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英雄の魔剣 45

 聞き届けるかどうかは、俺自身の胸先一つで決める。アレクロスは思う。

──自分に諫言(かんげん)出来るのは、知性に優れ、人柄も信頼出来る者のみ。
──それ以外は無用だ。

 そんな人間は限られていた。とても、とても限られていた。
 実際のところこれまでは、第一公爵家と第二公爵家の者にしか、その資格を見い出せなかった。

 今は違った。
 眼前にいるユスティーナは、一介の騎士身分の女に過ぎない。それでも、その気高い精神と見識や判断力は、公爵家の人間にも比すべきと思わせられた。

 アレクロスは試しにこう問い掛ける。
「ユスティーナ、この命を下すまで身近に来て私と話す機会はなかったな」
 『私』と言った。
 『俺』ではなく。
 その言い方に、ユスティーナも気が付いたはずである。
 それだけでなく、ユスティーナを『お前』と呼ばず、その名前を口にして呼び掛けた。

 それだけでも格段の扱いの差をはっきりと表したのだ。むろん、アレクロスは、大貴族の令嬢に対するようにまではしない。
 今はまだ。

「お目通りがかないまして、真に嬉しく存じます」
 ユスティーナの方は態度を変えず、落ち着いて礼節を守っている。
「そう思っているか」
「はい」
 アレクロスはここで、いささか意地の悪い問い掛けをしようと考えた。

「それにしては遠慮のない物言いであったな」
 それを聞いて、女騎士はしばし黙り込んだ。王子の不興を恐れてのことではないようだ。

「失礼をいたしました。どうしても申し上げたかったのでございます」
 そう言って、銀髪に深い藍色──鉱石コバルトが、硝子(ガラス)などに混ぜられた時の発色である──の瞳の女騎士は、さらに深々と頭を下げた。

「俺の怒りが恐ろしいとは思わなかったか」
「失礼ながら王子殿下、それでお怒りになるのであればそれまでのことでございましょう。まさかこのコンラッド王国で、処刑にはなりますまい。私は騎士団副団長の任を解かれ、故郷へ送還されましょうか。そうなれば父母にはその報告をした後、精霊たちの森で静かに暮らすつもりでありました」

「そう考えていたのか」
 アレクロスは感心した。単に勇気があるだけではない。慎重さも備えている。そうだ、勇気は無謀とは違うのだから。

「此度(こたび)の任務が終われば、『そなた』を男爵の位に取り立ててもよい」
 それを聞いてユスティーナは身を硬くした。それまでも端然として微動だにしない様子ではあったが、今は戦いの気配を感じたかのように緊張しているのが伝わってくる。

 もちろん、ここでアレクロスが腰の魔剣を手に打ち掛かってくるなどと考えてはいないだろう。そうではなく、男爵位(だんしゃくい)と引き換えにどんな責務を負わされるのかと、それが不安なのに違いなかった。アレクロスはそう見て取り、そしてその推察は正しかった。

 女騎士は言った。
「恐れながら、私は貴族の爵位には関心がございません。どうか一介の騎士のままでいさせてくださいませ」
 アレクロスはそれを聞いて、意地が悪いとも受け取れるような笑みを浮かべてみせた。

「『お前』は、欲がないのだな」
 アレクロスは再び、女騎士を『お前』と呼んだ。

「残念ながら褒めてはいないぞ。それは必ずしも良い事とも言えるまい。なぜならお前はこの国にいる人間だけでなく、森の中にいる精霊たちをも守りたいと望んでいる。それもまた人の欲望だ」 

 ユスティーナは黙って聞いていた。アレクロスは続ける。

「いや、誰かを守りたい、救いたい。その上で感謝されたい。それが欲でなくて何であろうか。精霊の森はたまたま我が国の領土内にあるだけで、かの森の精霊たちは、我が王家の統治に心服しているわけではないが」
 アレクロスは、ここで一度間(ま)を置いた。

「それでも我がコンラッド王国を魔物から守るならば、当時に精霊の森も守られる。当の精霊たちがどう思うかに関わらず、だ。俺としてはとりたてて彼女らには感謝は求めぬ。だが──お前は違うのではないか」

「感謝が欲しいわけでは、」
 そう言い掛けて、ユスティーナは口をつぐんだ。

「いや、正直に言え。お前はもっと確実に精霊の森やこの国の人々を守りたいであろう。『俺』もそうだ。そのためにお前の力が、その意志が必要なのだ。そのためには、騎士のままでいてもらうわけにはいかない」

 さらに間(ま)があった。

「はっきり言う。爵位を持ては今までのように、気楽な森の暮らしは出来なくなる。だが代わりに得られるものがある。より大きな力と権限をお前は手にするのだ。魔族をこの王国から打ち払い、隣国であるブリランテ女王国との火種も鎮火すれば、その時には爵位はそのままで、森の暮らしに戻ってもよい」

 それが何時(いつ)になるかは分からないがな、と心の中で付け加える。

「王子殿下、ご下命は必ずや成し遂げてご覧に入れます。その後の件は……なにとぞしばしのご猶予を」

「いいだろう」
 これ以上の無理強いは不要だ。アレクロスはすぐにそう判断した。

 それからいくらかの儀礼的なやり取りがあり、やがて女騎士は謁見の間を出ていった。

 その背中が、重々しく開かれた扉の向こうに消えるのを見守ってから、アレクロスは命じた。

「セシリオを呼んでくれ」
 それは左右に控える儀仗兵にではなく、玉座から離れてこの場を見守っていた侍従に対して告げられた指示である。年老いた侍従はうやうやしく一礼をして出ていった。

「ユスティーナ。彼女は素晴らしい従者になる」
 アレクロスはそっとつぶやいた。誰にも聞こえないように。

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片桐 秋
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