英雄の魔剣 49
半刻が経った。伯母は身支度を整えてアレクロスを待っているはずである。もう訪ねても無礼には当たらない。
王子は従者を一人伴って伯母のために与えられた部屋に向かう。そこは部屋と言うより離宮のような造りで、王宮から伸びる廊下で繋がれた離れの建造物である。アレクロスのための自室よりさらに三倍は広く、周囲は年中枯れることのない薔薇の花々で満たされている。この特別な薔薇の木々を世話する専属の庭師も二人いた。二人とも女である。
伯母であるウルシュラは、甥の意図を常に察していた。読心には長けているが、本当の意味で人の心を分かろうとはせぬ女であった。アレクロスはそう感じていた。そう感じる者は多かった。ウルシュラを知るほとんどすべての者と言ってよかった。
伯母の離宮に入るのに、漆黒の甲冑と武器の武装姿である。無礼を通り越して、実に剣呑さを感じさせるであろう。実際、従者にも遠回しに諌(いさ)められた。承知の上である、とアレクロスは答えた。従者はそれ以上は何も言わない。言うべきでないとも思っているであろう。彼らは公爵家の者とは違うのだ。
離れへ向かう廊下を歩きながら、魔剣の柄を強く握ると、じわじわと力が湧いてくる。それは剣から送られてくるのではない。最初はそう思っていたが実は違うのだ。力は自らの内側から湧いてくる。目覚めたる真の力。魔剣はそれを引き出す媒体となったに過ぎない。
伯母は魔女である。一日中を王宮の離れの中で、一歩も外に出ずに過ごす。今でもなお美しい女だが、その美は魔力によるものであり、かのベナダンテイたちが使っている力と同じである。つまり、王侯貴族に正式に認められた、体系立てられた魔術ではない。
アレクロスとしては、ベナダンテイを悪く思いはしない。
「彼らは我が国民(くにたみ)として扱うために、この地で正式に埋葬した。しかし」
アレクロスの言(げん)に従者は怪訝(けげん)な顔になる。
「あらゆる力は使い方を誤れば災いをもたらすものだ」
コンラッド建国時代には、益よりも災いをもたらした者が多かったと聞く。そのような者ばかりではなかったのだろう。だが問題になるほどには、厄難を引き起こす者の方が多かった、と。少なくともアレクロスはそう聞かされていた。
その時代にベナダンテイを国外に追いやった建国王の末裔(まつえい)たる伯母ウルシュラは、ベナダンテイの魔力を高度に洗練させ使いこなしていた。
ウルシュラは、一日中を離れで暮らすが、尋常でないのは中へ陽光も差し込まぬようにして過ごしていることだ。窓辺の厚い布の幕はずっと閉め切ってある。三重の厚い布が下りたままになっている。蝋燭(ろうそく)も油脂ランプも、魔術による灯りもない。ただ一日中暗い。
「換気のため幕を下ろしたまま、高価な硝子(ガラス)の窓を開ける時もあるな。その時には庭中の薔薇の香りが離れの中に流れ込んでくる。俺がそんな頃合いに居合わせた時もあった」
「まことに優雅なお暮らしでございますね」
従者は当たり障りのないことを言った。
「それでもその中に、濁(にご)った匂いもまぎれている」
「はい。それは魔力を呼び出す触媒の匂いなのでしょうか」
「それだけであればよいが」
王子はそれ以上の返答は無用と、それとなく態度で示す。従者はそれを察した。
アレクロスはそのまま真っ直ぐに進む。伯母のいる離宮まで来た。声を上げて名乗り、侍女が扉を開けるのを見守る。
中に入ると、ほのかに香の焚かれる薫りがした。東方世界の香の薫り。控えめだが奥深い、安らぐ香り。
扉は侍女の手で素早く閉められた。陽の光が入るのを防ぐためである。
「何用(なによう)で来やった」
伯母ウルシュラの声がした。広い部屋の奥からの声。暗闇の中で、それだけは実にはっきりとしていた。アレクロスが答える前に、
「武器を置きやれ」
と告げた。
暗闇に目は慣れているのだろう。アレクロスはまだ目がよく見えなかった。この魔術で造られた鎧と魔剣の力を持ってしても、闇を見通すことは出来ないらしい。今、気が付いたのだ。
鎧には何も言わないのは、上に分厚いローブをまとっているからだろう。それでもローブの下の武装の厚みを隠せるわけはない。物々しい格好には見えるであろうが、礼に反する衣服ではない。しかし帯剣のままに面会するのは。
目には見えずとも、ローブの内側の鎧と剣がぶつかり合う音がする。この静か過ぎるほど静かな部屋では特に。アレクロスは身じろぎ一つしなくなった。背後で侍女が、細く開けられていた扉から、そっとアレクロスの従者を締め出す音だけが聞こえた。