ロード・ダンセイニ『51の物語』より5篇の感想を
古典的ファンタジーの名作で知られたロード・ダンセイニのごく短い短編集です。ショートショート集と言った方がいいでしょうか。
まずは『逢瀬』から。詩人は名声の女神を崇拝して詩を捧げるが、彼女はつまらない人々にばかり恩恵をもたらす。やがて、詩人は名声の女神から、あることを告げられる。
この物語が象徴している事は分かりやすく、名声の女神が告げた意味も、世間でよく言われることです。
『イギリス名詩選』(岩波文庫)に収められている、エミリ・ブロンテの詩を思い出します。
「なるほど、名誉欲か? そういえば、昔夢見たこともあったが、日が射すと忽ち消える朝露みたいなものだった」
名声を追いかけ回すより、おのれの為すべきを為すのが大事だと、この物語の詩人を見ていると思えてきますね。
よく出来た物語には、自然と考えさせる力があるのですね。
次に、『冥府の川の渡し守』です。原題はCharonとあり、カロンすなわちギリシャ神話の半神の名です。
カロンは、いつか誰も向こう岸へと運ばなくなるのか? つまり、人類が滅びる時、カロンはどうするのか。
それがテーマです。
この『51の物語』は、一つ一つが重いテーマを扱っているため、短くとも中身が詰まっており、1篇を読むたびに、ほっと一息入れたくなります。
3番目は『牧神の死』。同じくギリシャ神話を素材に、理想郷アルカディアの統治者であるパーンの死と再生について、です。
牧神パーンが再生した理由は何であるのか? 単に乙女たちに笑われたからでしょうか? 乙女たちは何故笑ったのでしょうか?
乙女たちは、それが牧神であると知っていたのでしょうか。それとも知らないが故に笑ったのでしょうか?
それは明確にはされていません。一人一人が答えを出すのです。こうした型の物語でよく出来た物は、その時には分からなくても、後に精神の財産になっているものです。
なぜなら人生には、簡単に答えが出せないこともあるからです。
4つ目は『ギザのスフィンクス』です。全てを滅ぼしてゆく『時』に勝てるものはあるのか? それがテーマであると思います。
何千年も残り続けたエジプトの遺跡は時に勝てたのだろうか。いや、やがて時は、天地をも滅ぼす日が来るのてはないか、と。
永遠に残るものがある。それは無い。どちらも本当で、「いや、太陽系そのものがいつかは滅びるのだ」とは、一面からしか見ていない答えです。
スフィンクスの遺跡を見て、永遠を感じるのも、永遠などないと考えるも、どちらも正しいのだと思います。それは視点の違いだからです。
私の解釈は以上でした。皆さんはどうでしょうか?
5つ目、今回はこれで最後です。『雌鳥』、庭で飼われている雌鳥と、遠くまで飛んでいける燕(つばめ)の対比で書かれたストーリーです。
燕が話す、遙か遠くの話を話を聞いて、雌鳥は思い切って冒険に出ます。それはおそらくは燕たちが飛んでいけるよりも、ずっと短い距離の旅でしかなかったでしょう。
自慢げに自分たちの見てきた物の話をする燕たちに、飼われている鳥たちは言います。
「君たちは、我らが雌鳥さんの言うことを聞くべきだね」と。
これはあくまで一つの解釈で、読み取り方はいくつもあると思います。
飼われている鳥たちは、燕の視野の広さが理解出来ないのだ、とか。
そう言った受け取り方も出来るでしょう。
何であれ、やれることをやったものが偉大で、結果の大小は関係なく、そこにそれぞれの美しさがあるのだ。そうとも取れますね。
皆さんは、ロード・ダンセイニのこれらのごく短い物語を読んで、いかがお考えになるでしょうか。