見出し画像

【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第12話

マガジンにまとめてあります。


 こうして晩餐は無事に終わった。めいめい立ち上がると、給仕の者たちが椅子を引き、食卓から離れやすいようにしてくれた。

 ウィルトンはほっとしていた。アントニーを見ると、彼は常に変わらず平静なままだ。ほうほう、さすがにお貴族様育ちは違うぜ。そう思いながら、今度は令嬢を見る。令嬢はウィルトンとアントニーに微笑みかけてきた。

「いかがでしたかしら?」

「とても美味しかったです! こんな豪華な食事は生まれて初めてです」

「そう、それはよかったわ」

 エレクトナはやや苦笑気味の笑顔を見せた。田舎臭く、庶民的なウィルトンの様子が、この場にはふさわしくないと思っているのだろう。そうバーム村出身の男は考えた。

 見れば卓をはさんで離れた場所で、女領主は息子夫妻と話している。立ったまま、何やら厳粛な面持ちだ。ウィルトンには、ますます貴族社会が面倒臭いものに思えてきた。

 アントニーはといえば、慣れたふうに、

「とても素晴らしいおもてなしでした。ありがたく存じます。それに、このように美しい方とお近づきになれたのですから。今宵の出会いを、天上の神々に感謝申し上げたいですね」

と、令嬢に言った。

 うわあ、気障(きざ)だな! ウィルトンは内心で叫ぶ。叫んだのは心の中だが、態度には現れていたかも知れない。

 盟友のアントニーが、このような物言いをするのは初めて見た。確かにエレクトナはとても優雅な貴婦人だ。知り合えたのは嬉しいだろう。アントニーだってそのあたりは普通の感覚を持っている。

「誇張が過ぎるんだよな。いちいち大げさで気取った言い回しでさ。ああ、やれやれ」

 誰にも聞こえないようにつぶやく。

 そんなウィルトンにはかまわずに、盟友は令嬢に問い掛けた。

「エレクトナ様はお帰りが早かったようですね。お祖母様やご両親からは、明日お会いすることになると伺(うかが)っていました」

「用事が早く済みましたのよ。驚かせて失礼をいたしましたわ」

「そうでしたか。お忙しかったのですね」

 アントニーは、用事が何であるかをいきなり尋ねる真似はしなかった。

「ええ、少しばかり。私でなくてはならない出来事でしたの」

「何があったのか、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、そうですわね。それにお答えする前に、あなた方は、悪とは何だとお考えかしら?」

 急に変な質問をするんだな。ウィルトンは怪訝(けげん)に思う。内心の思いは顔にも表れていたのだろう、令嬢はウィルトンを見て笑う。

「そんなお顔をなさらないで。思うところを何でもおっしゃってくださいな」

 先にアントニーが答えた。

「なかなか難しい問い掛けですね。誰が見ても悪だと見なせるものは実は少なく、大抵の物事は立場や見方によって善悪が決まるのだと思います。私は……きっと誰かから見れば悪だったと思います。いえ、間違いなく」

「そうですの」

 エレクトナはそれ以上を言わない。何故そう思うのかを訊(き)きもしなかった。

「俺も、いや私も同じ考えです。でもそうだな、誰かを傷つけるのは悪だと、そう言い切れたならと思います。きっと善悪は、何が正しいのかは、立場によって決まるだけでなく、何かしら基準がある気もします。そうであって欲しい。でなければ何をしでかしても、自分さえ正しいと思っていればそれで良いことになります」

 デネブルも自分を正しいと思っていただろう。では奴のしたこともまた、一つの正義だと、善なのだと見なせるだろうか。否、それは出来ない。してもならない。

 エレクトナもアントニーも、黙って何も言わなかった。否定ではない。単純な肯定でもない。彼らはただ、黙って話を聞いていた。

 ウィルトンは先を続ける。

「しかし、どうしても譲れない正しさが、善悪があるのだと主張した途端に、他でもない自分自身が、正義感や善意の暴走という名の悪に染まってしまう気がするのです」

「分かりますわよ」

 ウィルトンにとって意外だったことに、令嬢は同意してくれた。

「お分かりになるのですか?」

 ウィルトンは驚きを隠さなかった。

 デネブルを倒したことでここに呼ばれた英雄の片割れ。ウィルトンの立場はそれだ。気遣ってくれているのだろうか、彼女なりに。

「分かりますわ。ですから、私は自分を悪だと思っていますの。救いようのない悪ではないにしても、悪の要素は持っているのですわ」

 令嬢エレクトナの思わぬ告白に、ウィルトンはどう答えてよいか分からなかった。何も言えずにいると、

「それはそれは。貴女のような美しい方が、どのような悪を為すとおっしゃるのでしょう。美しい薔薇には棘がある。そんなお話なら分かりますが」

 アントニーが、やや冗談めかして言った。口元に微かな笑みが浮かんでいる。

「人は見かけにはよりませんわ」

 美しいと言われたのは否定しないのか。ウィルトンは内心で揶揄の思いをささやく。しかしこれは、否定、というよりは謙遜すればかえって無礼になるのかも知れなかった。

「『おこがましい偽善者に、あるいは暴君のような正義感。そんなふうになるくらいなら、いっそ“悪”になったほうがいいと思ったんだ』」

「! それは」
 
 ウィルトンはハッとした。それは村の芝居小屋で、何度も観た芝居の主人公の台詞であった。あれは庶民向けの芝居で、貴族の令嬢が観るようなものではないとされている。

「『正邪の使者』ですわ。あれは元々、貴族の間で読まれていた文学を芝居に直したものでしたのよ」

「え? そうなのですか? 初めて知りました。台詞は元のと同じなのでしょうか?」

「はい、全く同じですわ。そこだけは、ね」

 エレクトナのその言葉は、とても意味深げな言い方に、二人の英雄には思えた。

続く

いいなと思ったら応援しよう!

片桐 秋
お気に召しましたら、サポートお願いいたします。