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【厳然たる事実に立ち向かえ】深夜の慟哭 第29話【ウィルトンズサーガ3作目】

マガジンにまとめてあります。


 ウィルトンはあわてて答える。

「しかしセンド殿は、デネブルにこそ従順でしかいられなかったものの、領内を巧みに統治してはきた。そのセンド殿を追い払って俺たちが領主になれば、それはそれで不満や非難を呼ぶだろう。第一、戦いの技と統治の技は別のものだ。アントニーなら、どちらも兼ね備えているのだろうが」

 それを聞いてアントニーは、そっと首を横に振った。

「残念ながら。もしも私が統治に優れていたなら、そもそも民を飢えさせる危険をあらかじめ避けることも出来たでしょう」

「アントニー」

 何と言っていいか分からない顔をするウィルトンに、アントニーは優しく微笑んだ。

「いいのです。私は自分がしたことから逃げる気はありません」

 ウィルトンはそれきり黙ってしまった。何か言いたげだが、何も言わない。いや、言えないのだろう、とアントニーは思う。

「とにかく、いったんは私の屋敷にお戻りください。今後を相談しましょう。もちろん、エレクトナ殿もご一緒に」

「そうだ、エレクトナ……殿は、俺たちがお祖母様であるセンド殿を領主の地位から追い払えば、俺たちを恨むのではないでしょうか」

「私はそうは思いませんね」

 アーシェルは、ここで凄みのある笑みを見せた。

 アントニーは確信した。やはりエレクトナは祖母に対して、かなりの程度の隔意があるのだ。晩餐に呼ばれた昨夜を思い出す。あの一族は、センドに支配されて言いなりの息子とその妻、センドに逆らう孫娘のエレクトナ、そんな関係になっているのだろう。

「エレクトナ殿は、ご両親を不甲斐ないとお思いなのでしょうか」

 アントニーは訊いてみる。何と言っても、エレクトナとの付き合いはアーシェルの方がずっと長いのだ。

「もう令嬢は、ご両親には何も期待してはおられないのです。私は知っています」

 アーシェルは馬にまたがって二人に声を掛けた。

「屋敷に戻りましょう」

 馬首をめぐらせて先に進んでゆく。

「行くか」

 ウィルトンも馬にまたがった。アントニーを見ずに、屋敷の方角に顔を向けて言う。

「どんなことがあろうと、俺はお前の味方だ。たとえ人々が、いつかはお前への恩義を忘れるとしても、俺は生きている限り決して忘れはしない。いや、冥府へ旅立つ時にも忘れない」

「ウィルトン」

「絶対にだ」

 ウィルトンも先に進んでゆく。

 アントニーは立っていた。まだ馬には乗らなかった。ただ立ち続けて、ウィルトンの背中を見ていた。

 その晩のこと。アーシェルの屋敷では暖炉の前に四人が集まっていた。エレクトナと、朝昼に野犬の群れと戦った三人の男たちである。北方の春早く、夜はまだ寒い。暖炉は明々と燃え、他には魔術による灯りもない。

 長方形の卓をはさんで、向かい合わせに長椅子が置かれた広い部屋だ。朝食を食べた食堂の隣にある。

 卓も長椅子も脚が短く、上に物が乗る位置が低い。いずれも上質な木材で作られている。エレクトナの棺が置かれていた屋根裏にあった椅子のような黒檀ではないが、きれいに磨き上げられて艶の出た木目の美しい家具である。

 壁にはタペストリーが飾られている。見事な刺繍を施した大きな布だ。三方の壁に二枚ずつが下げられている。

 残りの一方には大きな窓がある。硝子戸があり、今は外側の木戸も閉められている。

「お寒くはありませんか?」

 アーシェルがエレクトナに尋ねる。

「いいえ。ありがとうございます、大丈夫ですわ」

 エレクトナの様子は、朝に見たのとは様変わりしていた。目は金色に輝き、髪も紅い。肌は死体のように青ざめている。

「ヴァンパイア化、なのですね」

 アントニーは言った。古王国時代にも、まま見られた事例だ。今も目の前にいる。

「ええ。でも血はアーシェル様からいただきましたから、あなたの盟友の血を飲ませていただくには及びませんわ」

 半ヴァンパイアは、新種のヴァンパイアよりは多くの血を要する。しかし健康な若い男であれば問題にならない程度の量ではある。それより不健康な暮らしをしている方がよほど害だろう。

 アーシェルは、不健康な暮らしをしているようには見えない。質朴で健全な、田舎貴族のようである。

 しかし。

 アントニーは思案した。

「何故、我々にセンド殿になり代われと言われたのですか?」

「他に方法はないからです」

 アーシェルの答えはあっさりしていた。取り付く島もない、と言ってもいいくらいだ。

 アントニーはエレクトナを見た。やや驚いたことに、エレクトナはその通りとうなずく。

 驚くべきことではないのかも知れない。確かに、センドの屋敷にいた時から、エレクトナは祖母への叛意を見せていた。

 センドは? 老いたる女領主の方はどう思っているのだろう。

 アントニーは、自分の隣に座るエレクトナから目を逸らした。向かい側にアーシェルとウィルトンがいる。

 他の三人の顔に暖炉の灯りが投げ掛けられ、濃い陰影を作っていた。自分の顔にも、闇と光が対比を成しているのだろう、とアントニーは思う。

「本当にいいのですか?」

「逃げられはしませんわよ」

 昼間に聞いた言葉と同じだ。エレクトナも、アーシェルと同じことを言う。

「アントニー、お前はどうなんだ?」

 ウィルトンが、じっと自分を見つめている。

「お前が貴族の、領主の立場に戻りたいなら、俺はそうする」

 ウィルトンの言葉が、深い慄(おのの)きと共にアントニーの耳を打った。

続く

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