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大長編構造にて、二通りの導入部分を書きました

 何十万や百万を越える文字数の大長編を書くには、そのための書き方がある。私もTwitterXで初めて知ったのだが。

 まあ、10万文字程度の長編や数万文字の中編を書くのと同じやり方で続けていくのも可能ではあるのだが、作中時間を、熱いアメを引き伸ばすように伸ばして描写してゆく大長編構造の書き方を身に着けると、表現の幅が広がるのと思う。

 ちなみにだが、アメリカンドラマやアメコミは、この大長編構造で創られることが多いそうである。

 日本の漫画はハリウッド映画などと同じく、中編程度の長さの物を描くのに適した構造を使っているらしい。たぶん、ライトノベルの大半もだろう。

 最近の女性向けはよく分からないが、少年漫画や青年漫画だと、バトルやスポーツの試合で勝敗を決する、あるいは何らかの解決すべき問題が立ちふさがる、そんな展開を繰り返して、人気がある限り続く、そんな物語が多いと思う。

 これはたぶん、中編用の構造を使って長期連載しているから、なのだろう。

 アメコミはよく分からないが、アメリカンドラマに関して言えば、ハリウッド映画とは異なり、一話ごとつまり一時間ごとに事件が解決するスタイルでも、ハリウッド映画とは時間感覚が異なる。

 上手く言語化できないのだが、作中時間が、熱いアメを引き伸ばすように、にゅーと伸ばされている感じである。短時間で畳み掛けるやり方ではない。

 それでいて、上手くできたドラマなら、冗漫さや退屈さはなく、きっちり濃密な時間を楽しめるというわけだ。

 あとはドラマなら、一話ごとか数話である程度は問題解決できても、解決し切れない問題も残っていて、それはずっと持ち越される。(この解決し切れない問題は、主人公の長期的目標とは違う。それはまた後日にでもまとめられたらと思う)

 で、人気が続く限りは続ける方針であることが多いのは、日本の連載漫画と同じ様な感じだ。

 ところで、大長編構造を「熱いアメを引き伸ばすように、にゅーと作中時間を伸ばす」ように感じるのは、私の平素の感覚は、中編構造とでも言うべきもののほうだからだ。

 逆に大長編構造に慣れ親しんだ人からは、ハリウッド映画や日本の連載漫画、ライトノベルのようなタイプは、どうだろう? 展開が速すぎると感じるのかも知れない。

 さて、試しに大長編構造で導入部分だけを書いてみた。例によって2種類、そう前回や前々回の記事で取り上げた、『砂男』タイプと『カーミラ』タイプである。


 『砂男』も『カーミラ』も中編であるから、当然に大長編構造は使っていない。それ以外の部分は、合わせる。

 『砂男』は、『主人公が能動的に状況に働きかける』物語で、『世界や出来事は主人公のために、障害や恩恵として現れる』であり、『展開が速く、描写は端的にまとめてある。情報量少なめ』である。

 『カーミラ』は、『主人公がやや受け身』『世界や出来事は主人公の思いや行動とは関わりなく、そこに確かに存在する』物語で、『展開は遅めで、描写はていねい、様々な事が細かく描かれる。情報量多め』である。

 この2種類を、大長編構造で導入部分だけを書いてみた。

 以下に示す。まずは『砂男』タイプを大長編構造に。
 

 大事な薬草がこの村から消えてゆく。

 リズは何とかしたかったが、自分に何ができるのか分からなかった。とりあえず近くの川へ行ってみよう。あの川に何かがあるのかも知れない。

 村の四つの畑のうち、無事に薬草が残っているのは一つだけだ。それもやがて駄目になるだろう。時間の問題だ。そして時間は、あまり残されているようには思えなかった。

 歩く。川辺りまでは近い。そんなには離れていない。にも関わらず、まだ誰もここへ来てはいないようだった。

 川辺りから狭い水路を引いてある。それは村の中へ流れ込み、薬草だけでなく、他の作物を育てるのにも使う。

 そうだ、他の作物は全部無事なのだ。薬草、アムリマの宝石のような美しい薬草だけが枯れてゆく。水が理由ではないのかも知れない。しかし他に何を調べればよいかも分からない。

 リズはこの村の女のたしなみとして、農作物を育てる手際を身に着けてきた。今も、農作業のための動きやすくて丈夫な衣服を着ている。

 川辺りから引いた水路の点検も、怠りなく他の者がしてくれていたはずだ。一体何が原因なのか? さっぱり分からないまま川岸に来た。

 次に『カーミラ』タイプを大長編構造で。

 この村の畑から、宝石のような美しいアムリマの薬草だけが枯れてゆく。

 リズは枯れ果てた薬草畑を眺めていた。もうじき、残りの畑も枯れるだろう。今は四つあるうちの三つの畑が枯れ草の山になっている。

 アムリマの薬草は、透明な赤と緑の色をしている。美しく貴重な宝石のようだ。実際に、宝石のように貴重な薬草だった。

 リズは枯れ草を見つめてため息をつく。もう、あのきらきらとして綺麗だった風景は目の前にはない。

 今は昼間だった。よく晴れた青空、春の風が微かに頬をなでてゆく。リズは農作業のための身軽な衣服を着ている。これからどうすればいいのか、分からなかった。

 リズはこの村で生まれ育ち、薬草を畑で育てる手伝いもしてきた。今は15歳。これまで生きてきて、こんな風に、全ての努力が台無しになるとは考えてもみなかった。

 でも落ち込んでいても仕方がないのだ。何とかしなければならない。

 近くの川から引いた水路をのぞき込む。澄んだ水が流れ、何の異常も見当たらない。第一、他の作物は無事なのだ。水が原因とは思えなかった。それとも、自分の気が付かない何かがあるのだろうか?

 水路の水は冷たい。上流からは、春の雪解け水が流れ込んできているはすだ。レンガで作られた水路は日々きちんと管理され、誰かが毒を流し込むのもあり得ない。

 第一、そんな事をして何になると言うのか。

と、ここまで。

さて、前回の記事で書いた、中編構造の導入部分とは、かなり違うのがお分かりいただけただろうか?

 扱っている設定などは同じである。 

 で、これはあくまでも私が実験した限りにおいて、だが、展開速めタイプは大長編構造にしても、さほどスピード感が変わるようには思えなかった。

 しかし元から展開遅めのタイプを大長編構造にすると、かなりスピード感が変わる。個人的には、かなり遅くなるように思えた。

 あとは主人公の受け身ぶりも、良くも悪くもさらに際立つ。

 能動的な主人公は、大長編構造にしても、同じように能動的であるが。

 このあたりは好き好きであり、良し悪しの問題ではないと思う。

 仮に『カーミラ』タイプを大長編構造にした小説として不出来だとしても、それに対する指摘やアドバイスというのは、『カーミラ』タイプの物語も、大長編構造も知った上で、その中から最適解を出さねばならない。

 単に自分の好みやこれまでのインプットの偏りから「もっと展開を速くしたほうが良いよ」と言っても、それはまともなアドバイスとは言えず、「それ、あなたの感想ですよね」なのではないか。

 まあプロの編集者や、プロの作家で書き方を教えている人たちはすごいなと思う。私には、とてもできない。

 でも、本当にそんなすごい人たちばかりなのだろうか?

 そんな不信感も、実はあったりするのである。

 あなたはどう思いますか?

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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片桐 秋
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