ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第7作目『深夜の慟哭』第43話
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ブルーリアはウィルトンたちの前を歩いていたのに、背後の様子が分かるかのように声を上げて笑った。朗らかな、気持ちが明るくなる笑い方だった。
地下世界はやや薄暗い。地上の黄昏時か、黎明の空のように。炎と熱気を放つ巨犬を倒してからは、少し肌寒いくらいに感じる。それというのもウィルトンは、先ほどの戦いで焼かれた、鎧の下の衣服の袖を破り捨てていたからである。
「どうしても寒いなら、私の力でどうにでもしてあげられるわ」
「いや、いいさ。このまま歩いていけば体も温まる。気にしないでくれ」
「遠慮しなくていいわよ。魔法の水で少し濡れているようね。乾かしてあげるから待って」
じきに春の盛りの暖かさが、ウィルトンの周囲に満ちてきた。春の盛りの昼、陽光の恵みを最も感じる季節の暖かさだ。
「こりゃすごいな」
「しばらくそのままでいて」
「ああ、ありがとうな」
ウィルトンはそのまま歩き続けた。その左横にアントニーがいる。さらに背負い袋に入っている ロランが。
やがて服は乾いてきた。 三つ頭の巨大な犬から炎を浴びせられ服に火がついた時に、ブルーリアが水を掛けて消してくれた。そして火傷も癒してくれたのだ。
火傷の痛みはもはやないが、服は濡れたままだった。それも徐々に乾いてきた。これもブルーリアのおかげである。
辺りが薄暗いのはそのままだった。そこでアントニーが言った。
「明かりをつけましょうか? その方が先までよく見えるでしょう」
ウィルトンは、
「そうだな、明かりを先まで飛ばせるか?」
と尋ねた。アントニーは、
「ええ、出来ますよ。やってみましょう」
そう言って、月の光のような明かりを灯し、ブルーリアが歩く前まで、宙を漂いゆかせた。
「綺麗だな」
ウィルトンはそう呟いた。誰に聞かせることもない、ただの独り言であったが、アントニーはそれを耳に留めた。
「そうなのです、月の光のようでしょう? 実に美しい。この四百年の間、この明かりがどれほど私の心を慰めてくれたか分からないほどです。今はこうして見ていると、この地下世界でも地上の月を見ているような気持ちになれます」
「紅(くれない)の月の光は出せないのか?」
ウィルトンは少し気になって訊(き)いてみた。何と言っても、地上の月の光は紅と銀の二つが揃ってこそだ。紅の光は弱く、銀の光は強いが、 それでもその二つが天空に輝いているからこその夜空なのである。
「出せますよ。でも、普通は銀の月の色を使うのです。その方がより遠くまで明るく照らせますからね。それは本物の月と同じなのですよ。紅の月は美しくはあるけれど、あまり実用ではないのです」
「そうか、でも実用的でなくていいさ。この戦いが終わったら、その紅の明かりを灯してくれよ。きっとすごく綺麗だろう」
「僕はその明かりを見たことがあります。確かにとても綺麗でした」
ロランが口を挟(はさ)んだ。ウィルトンはうなずく。
「そうか、俺も見てみたい。お前はきっと何度も見てきたんだろう。俺も見てみたいんだ」
「はい、ご覧になれますよ。この戦いが終わったら必ず三人、いえブルーリアさんも含めて四人でその明かりを見ましょうね」
「ああ、きっと四人で見よう」
ウィルトンは短く答えた。心が晴れ晴れとしてきた。ブルーリアが導く先に待ち受ける危険も気にならなかった。
気を緩め過ぎたわけではない。これから戦う相手が強敵なのは分かっている。それでも胸には希望があふれ明るい気持ちになっていた。
決してこれから向かう先にいる敵を舐めているのではない。
ただ固く決意をしたのである。必ずこの四人で、明るく美しい月の色をした光を囲んで、平和に、そして楽しく幸せに過ごすのだと、そう決意したのだ。
三人は歩き続けた。
地上における時間の数え方は一日を二十四等分にしてその一つを一刻と呼ぶ。すでにその一刻が過ぎていた。
ウィルトンは疲れを知らなかった。ブルーリアもそしてアントニーも疲れている様子はない。さほど足早に歩んできたわけではない。ゆったりと慎重に進んできたのだ。一応、ブルーリアに声をかけてみる。
「どうだ、ブルーリア、疲れてはいないか? 少し休んだ方がいいんじゃないのか?」
「私なら大丈夫よ、お気遣いなく。でもありがとう。あなたは優しい人ね」
「ああ、そうだな。俺は世話になった人間、恩義のある人間には優しい」
そう言ってしまってからハッとなって言い直す。
「あ、いや、もちろん、妖精でも誰が相手でもだ」
左隣でアントニーが笑った。幸いなことに気を悪くしてる様子はない。ウィルトンはほっとする。
「お前にも、もちろん優しくするよ。ああ、ロランにもだ」
念のため、そう言っておいた。アントニーは相変わらず笑い続けていた。
ロランも主(あるじ)につられたように笑い出した。
「ヴァンパイアが相手でも、人形が相手でもだ」
ウィルトンは言い直した。二人は笑い続けていた。ウィルトンの前を歩くブルーリアも笑い出した。振り返らず、ただ肩を震(ふる)わせて静かに笑っていた。
やれやれ、とウィルトンは肩をすくめる。今度からは気をつけよう。そう思うのだった。
続く