英雄の魔剣 26
それから七日ばかりが経った。アレクロスと第一公爵家の兄妹は、《山の仙人》と共に地下世界の入り口あたりにいた。
ここで彼らには選ぶべき道が二つとなった。
今出てきたのは、マルシェリア姫が消えた遺跡の蔵書室にある二つの扉の一つである。もう片方の扉を行き、マルシェリア姫を探すか、今眼前に広がる針葉樹林を往(ゆ)くか、である。
天を赤い太陽が照らしている。人間と他の動物たちが暮らす地の夕日よりもずっと赤い。ここは夕暮れ時のように心安らぎもしなければ、どこか物悲しい気持ちにもさせない。魔物はどうであるか分からないが、人間であるアレクロスたちには血に染まる風景のごとくに思われた。
「いかがなさいますか」
セシリオが尋ねてきた。
「あなたは何か知らないのか」
アレクロスは《山の仙人》に訊いてみる。もとより正確な答えがあろうとは期待してはいない。もしこの初老に見える男が何かを知っているなら自ら告げたはずではないか。《奈落の侯爵》アンフェールを倒す目的が本当であるなら。
「ここは《奈落》にはつながってはおらんよ。ここは我らと同じく中立の者が暮らすのじゃ」
仙人は針葉樹林の彼方(かなた)に目をやった。
「あの向こうに《奈落》の底に降りる道がある。まだ人間は誰も足を踏み入れたことがない場所じゃが」
「それなら、蔵書室のもう一つの扉には行っても意味がないだろうな」
「そうとも限らんよ、王子様」
その横からセシリオが口を出した。
「マルシェリア姫に関係する何かがあるかも知れませんね。封印の謎は気になります」
「なるほど」
王女の身を捧げての封印とは、アレクロスも確かにこれまで聞いたことはなかったのだ。
前王国の遺跡の奥には宝の山。数々の伝説がそう語る。おそらくその話の大半は誇大なのだろう。そうでなければマルシェリア姫がいたところにもあるはずだ。仮に単なる金銀財宝とは違う宝であっても。しかし、封印に関する物ならばまた話が別である。それは蔵書室の書物とは違った形での知識が隠されているのかも知れなかったからだ。
「だがいずれにしても、今は宝探しなどしている場合ではない」
アレクロスは言った。《奈落の侯爵》自身はすぐに地上を、特にコンラッド王国をどうこうする気は無いかも知れないが、ブリランテ女王国はどうだか分からない。そう、アレクロスには、かの隣国の動向も気になる。
「前王国マリースの遺跡で守られている宝は、ただの財宝ではないのじゃよ」
「魔法の品か。聞いたことはある。同じことだ。我々には何より時間が大事なんです、今は」
「王子様、そうではない。マリースの遺産は知恵をくれるのじゃよ」
「知恵を」
フィランスは初めて強い関心を持った。
「そう、知恵じゃ」
フィランスは親友と顔を見合わせた。それから仙人に尋ねる。
「どのくらいで、その知恵の宝があるところにたどり着けるだろうか」
「さして時間は掛けられないと言われるなら、見つけるのは覚束(おぼつか)ないのう。このまま先に進んだ方がましじゃよ」
その時である。
世継ぎの王子たちがいるところの近くに、ベナダンテイが現れた。古い習俗を守る魔女たちである。コンラッド王国建国の折に、建国王が禁じた魔神への崇拝を行っている、とフィランスは聞いていた。
ここは魔物が暮らす《奈落》に近い。普通は人間がここを訪れたりは出来ない。だからこそベナダンテイたちの隠れ住む場所となったのであろう。それでも地上と同じくここにも魔物は現れる。中立を名乗る《山の仙人》とてどこまで味方でいてくれるか確証はないのだ。
それでも。それでも、ここに来なければと思うほどに、地上はベナダンテイたちにとって暮らしにくい場所なのだろう。今でも。
「いかがいたしますか」と、サーベラ姫。
「向こうの出方を見る」
アレクロスは、姫の問い掛けに即座に答えた。以前の彼なら考えられない素早さで判断してみせる。
「向こうはこちらに気づいてはおりません」
サーベラ姫が言った。
「不意打ちをしたほうが良い、と姫は考えるのか」
「はい」
サーベラ姫にしては実に冷徹な判断である。それには訳があるのもアレクロスは知っている。世継ぎの王子は思案した。考えていられる時間は長くはない。
「止めておこう。出来れば争いたくはないのだ。彼らは元々は我が国の民であった」
「そうです。しかし英雄王がご存命の時代には彼らは──」
「姫、それは分かっている。今は私の言うとおりにしてくれ」
サーベラ姫は頷(うなず)いた。
ベナダンテイは老若男女入り混じっている。五十人ほどの長(おさ)と見ゆるは壮年の女である。かすかに白髪の混じる髪を金色の紐(ひも)で、動きの邪魔にならぬように結い上げている。女たちは皆そのように髪を結っている。結わえ紐の色合いは様々だったが金の紐は長一人のみ。
彼らはアレクロスを見つけた。
長の女は一人、集団より進み出て、アレクロスの前に跪(ひざまず)いた。
「お初にお目にかかります。コンラッド王国のお世継ぎ様」
「俺を知っているのか」
「我らには、そちらの王宮に伝わるのとは異なる魔術がありまするよ」
女は顔を顔上げてセシリオとサーベラ姫を見た。
その面(おもて)には誇りと意地が感じられる。アレクロスはこの女と、女が率いるベナダンテイの集団に関心を持った。これまで話に聞いただけでは感じなかったほどに強く。
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