ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第57話
「ウィルトン、気をつけてくださいね。いざとなれば私は宙を飛びます。私一人なら大した負担にはなりません」
「よし、分かった。ブルーリアは大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。私は水に浮くから。決して沈むことはないの。何か特別な呪いでもあれば別だけれど、この水にはそんな魔法も魔術も感じられないわ。だから大丈夫よ」
「そうか、それならよかった」
ウィルトンは振り返らずに返事をした。もう穴のある岩壁の近くまで来ていた。
「少しだけ温かいな、この水は。だけど池に流れ込むと冷めちまうのか」
ウィルトンの頭ほどの大きさの穴から、温水がゆるやかに流れ落ちている。
何か大きな石でも落ちていないかと見渡す。あれば穴をふさげると思ったのだ。しかし石は見当たらなかった。
「待てよ、こうすりゃいいんだ」
ウィルトンは岩壁に槍からの光の刃を撃ち込んだ。砕かれた白と虹色の石がばらばらと落ちる。
ウィルトンはそれらを拾い集めて、温水の流れ出る穴に詰めていった。徐々に流れは弱まる。
幸い、穴からの流れには強い勢いはない。ふさいでも水の力で破裂することはなかろうと思われた。
「よし、アントニー。これでお前も渡れるだろう。俺が向こう岸に着くまでは待ってくれよ。何もないか、確かめなきゃいけないからな」
そのまま無事に向こう岸に着いた。アントニーが灯した明かりはウィルトンについてきて、彼が立つ洞窟の中も照らし出してくれた。
これまで来たのと同じような道が伸びている。ほぼ真っ直ぐだ。
「大丈夫だぞ」
「分かりました。我々も渡りましょう」
アントニーとブルーリアは二人して水の中に入る。ウィルトンがしたように、派手に水しぶきを上げはしなかった。
ウィルトンは、二人が岸に来るまで待った。
ブルーリアの動きは優雅でなめらかで、細身の魚が水中を泳ぐごときである。彼女はアントニーよりも先にウィルトンのそばに立った。
「アントニー、大丈夫か?」
ウィルトンの問い掛けに、ヴァンパイアの青年はうなずく。
「ご心配なく。水の流れは感じないので。あなたの気遣いのお陰です」
アントニーも岸辺に上がった。
また三人してさらに奥の通路を歩く。灰色の、重い雰囲気をまとわせた通路の中を。岩の中を荒っぽく掘り抜いたようなゴツゴツした岩壁と天井、それに床が見えた。
半刻のさらに半分ほどを進み続けた。
「あれは何だ? 広い空間の奥に石柱がある」
「あの石柱の下だわ。私の直感は、やはり正しかった」
ブルーリアは、ウィルトンの背後から走り出して石柱に向かう。何故か広い空間の中は明るかった。何処に光源があるわけでもなく、空間に満たされた空気そのものに明るさがあるような。
「石柱よ。この下よ。間違いないわ」
ブルーリアは大きな声をあげた。
ウィルトンは走った。アントニーもついてきた。
「動かせるのか?」
「大丈夫よ」
石柱に刻まれた円形の模様に手を当てると、石柱は横にずれた。ずれた後から地面の穴が見えた。
そこだけは、きれいに磨かれた岩の箱のようになっている。ちょうど石柱が、箱のふたの部分になっていたのだ。
縦に長い、岩にくり抜かれた箱のような空間の中に、見事な板金鎧があった。
「おお、これか!」
ウィルトンはさっそく手を岩の箱状になっている中に入れて、鎧を持ち上げた。思ったよりもずっと軽い。
「美しいな」
銀製の板金鎧の表面には、細かな模様が彫金されている。常緑の葉と、葉のたくさん付いた枝の文様が、鎧の全体に刻み込まれている。
「実に素晴らしい。まさに芸術作品だ」
「あなたが身に着ければ、きっと似合うでしょう」
と、アントニーは言った。彼は見事な鎧を感心したように眺めている。
「よし、取り出すか」
アントニーにそう言われて嬉しかった。俺は必ずこの鎧に相応しい振る舞いをし続けようと誓う。
「お? 思ったよりも軽いな」
「そうよ。ただの銀製の鎧ではないから」
「魔法の力が掛かっているのか?」
「そうよ。妖精族にとっても大きな力、古(いにしえ)に失われて、もう戻らない力なの」
「そうなのか。じゃあ、ありがたく身に着けることにしようか」
ウィルトンは傍らに立ったままのブルーリアに微笑み掛けた。
ウィルトン自身はと言うと、石柱の傍らにかがみ込み、鎧を取り出してその石柱の傍らに置いた。
「よし、この革鎧を脱ぐか。それにしても、こんな立派な鎧を、直に触るのは初めてだ。センド様のご家来の騎士の鎧姿を、遠目に見たことは何度かあるけどな」
ウィルトンは鎧姿となった。アントニーが手伝って身に付けさせてくれた。
「素晴らしいわ。とても立派よ」
ブルーリアの瞳に、涙が一粒浮かんだ。それは彼女のまばたきに消え、頬に流れはしなかった。
「よし、それじゃ行くか。やっぱりブルーリアの直感は正しかったな」
「ええ。大抵はそうよ。心配に心を押しつぶされていなければね」
一行はその場を離れた。今度は壁際に沿って歩いて行った。壁面には墓石のような何かがあった。
「あれが何か分かるか、ブルーリア」
「あれはたぶん、妖精郷があった頃の名残りよ。暗黒の神ダクソスの配下の亜神と戦った古(いにしえ)の妖精の墓ね」
「そんな物がここに? ブルーリアの言った悪者が、そんな墓を守っているのか?」
「奴は人間のことは憎んでいるけれど、同じ妖精にはそうでもないの」
「なるほどな。あの墓は戦いで倒れた者たちの墓標か」
「そうね。私たち妖精は人間のように、一族のための墓や、一人ひとり別々の墓は建てないのだから。特に偉大なことを成した人間には、その人だけの大きな墓が造られると聞いたわ。でも妖精はそんな事しないの。私たち妖精は、みんな死後は一緒よ」
ブルーリアは嘆息した。ウィルトンには、その嘆息に、数百年分に及ぶ長い嘆きが込められているように見えた。
続く
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