ウィルトンズサーガ第3作目【厳然たる事実に立ち向かえ】『深夜の慟哭』第71話


 アントニー? アントニーは何処だ?

 何故か姿が見えない。霧は濃いが、こんなにも近くにいる者の姿が全く見えなくなるほどではないはずだ。

 しかしウィルトンの目には、アントニーの姿もロランの姿も見えなかった。

 声も聞こえない……。

 ウィルトンは無力感に囚われて、途方に暮れたように辺りを見渡した。

 あの時、陽炎の揺らめきは消えていた。ブルーリアが再び姿を現した時に。辺りはますます美しい風景となり、同時に、陽炎の代わりに霧が流れてきた。

 今は霧で辺りが全く見えない。

 美しい風景も、盟友の姿も、何も見えない。

「この結末を受け入れるのです。それしか道はありません」

 アントニーらしき声がした。きっとアントニーなのだろう。まるで別人の声に聞こえる。

「そうですよ。ブルーリアさんの寿命は長いのです。いつかは許せる日も来るかも知れません。僕たちがそれを見ることが出来なくても」

 ロランなのか? この声も、エーシェルの肉体になってからの声とは違う。人形の姿だった時の声とも違う。

「いやだ、いやだ! 俺はこんな結末は受け入れたくない!」

 だが、受け入れなければ。受け入れなければ、一生、何も見えない霧の中だ。

 ウィルトンは霧の中、何も見えない周囲を見渡した。見渡しても何も見えない。ますます濃く深まりゆく白い霧以外には。

 俺は一体何のためにブルーリアと共に地下世界へ来たのだろう。

 ブルーリアを助けたかったからか。

 ブルーリアに感謝されたかったからか。

 ブルーリアと親密になりたかったからだろうか。

 ブルーリアに尊敬してもらいたかったからか。

「俺は見返りなんて求めないつもりでいたけれど、実は見返りを求めていたんじゃないだろうか。だから、こんな結末になったのが許せないんだ」

 もちろん、アントニーの言ったことは正しい。ブルーリアは約束を守ってくれたのだと、そう言ったアントニーは正しい。

 そうだ、あの声はアントニーの声のはずだ。アントニーが俺に語りかけてくれてるのだろうから。

  今はまるで盟友の声とは違うように聞こえるようになってしまって、俺の耳には、アントニーが言ってるようには 聞こえないのだ。

 でもきっと、アントニーが語りかけてくれてるのだと、今でもまだそれだけは信じられる。

 そう、アントニーが言うように、ブルーリアは約束を守ってくれた。

 この地下世界の大半は、美しく平和な場所になる。暮らしやすい場所になる。

 それに妖精ではない俺たちは、例の地下世界のさらに地下にある天国のようなあの場所にも行ける。そこにいて疲れたり消耗することもないはずなのだ。

 案内してその場所を知らせてくれたのはブルーリアだ。彼女は、俺たちに放っておいて欲しいだけで、俺たちに危害を加えるつもりはない。

 人間かヴァンパイアがまたこの地下世界にやってきて荒らし回ったりしない限りは、彼女は誰にも危害を加えることはないだろう。

 レドニスは倒したし、地下世界にいる三つ頭の魔犬も倒した。もう地上に災厄が訪れることは、ほとんどないだろう。全く無いとまでは言い切れないが、今までのようにはならないはずだ。

 あの三つ頭の魔犬よりも、さらに小型の一つだけの頭の魔犬が、地上に現れて人間を食い殺すなどということも、今後はほとんど無くなるはずだ。

「そうだ、俺たちはやったんだ。そしてブルーリアはそれを助けてくれたんだ。これ以上何を求めるって言うんだ?  彼女の自由にしてやるべきじゃないか」

 そうだ、ロランの言う通りだ。俺たちはもう、自分たちの思う幸せを彼女に押し付けるわけにはいかない。

 例え彼女が、ブルーリアが間違ってるんだとしても、それにこだわり続ければ苦しいのは俺の方なのだ。

 そうだ、俺はこのまま霧の中に囲まれたまま、ロランの顔もアントニーの顔も分からないままに人生を過ごすことになってしまう。

 そうなっても、俺の自業自得だ。誰を責めようもない。

 ブルーリア、俺はお前のことを信頼する。そして俺はお前のことを突き放す。俺はお前に与える、お前の自由を。

 お前自身の判断、そしてお前自身の選択を、俺は無条件にそれを与える。
 
 たとえその結果に何が待ち受けようと、お前の選択を尊重する。俺はお前を突き放す。それがお前に与えられる全てだ。

 俺はお前を突き放す。

 それは、俺が今ここで、お前に与えられる唯一のものだ。

 それが、俺がお前に与えられる唯一の贈り物だ。

 さようなら、ブルーリア。俺はお前を自由にする。

 俺は、お前を突き放す。

 俺は、お前を自由にする。

 俺は、お前を信頼する。

 俺はお前にとっての正解をきっと知らない。俺自身の正解さえ、よく分かっていないのに、そんな事が分かるはずはない。

 お前の正解は、お前自身が見つけるんだ。俺も知らない、お前自身の正解を。

 ウィルトンは、自分自身の心が晴れやかになるのを感じた。これまでに感じた事がないほどの自由と軽やかさだった。

 白い濃い霧は晴れていった。

「アントニー? ロラン?」

 やがて二人の姿もはっきりと分かるようになった。

「大丈夫です。私はここに」

「ウィルトン様! ウィルトン様が、そのままアントニー様を忘れてしまわれるのかと思いましたよ!」

「何を言っているんだ、俺がそんな事……」

 だけど確かに、霧でアントニーの姿も見えず、声も分からなくなっていた。

「俺は盟友も、盟友をずっと支えていてくれた従者の事も見失うところだったんだな」

「ええ、残念ながら。ブルーリアに囚われたままなら、そうなりましたね。あなたの思いが善意だろうと、愛情だろうと、あなたがブルーリアに囚われたままなら、私たちを再び見ることはなかったのです」

 ここはそんな風になっているのです。それはどうしようもない事なのですよ。残念ですが。

「残念なんかじゃないさ。ブルーリアは、むしろ俺に大事な事を教えてくれたよ」

 ウィルトンは、晴れ晴れとした顔で言った。

続く

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片桐 秋
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