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【ダークファンタジー短編】暗黒城の村 第8話【創作論実作・ニュートラル型編】

前回のお話はこちらです。


 やれやれ、この娘にはデネブルやその配下よりもネフィアル神官が恐ろしかったのか? あるいは同じくらいに?

 まあ、無理もないだろう、とナサニエルは思う。守旧派の頑ななジュリアン神官は、ひたすらにネフィアル神官とかつての〈法の国〉を悪しざまに言う。

 確かに言われるだけの理由もある。だがそれだけでもないのだ。

 それだけではないのだ。悪く言われるだけの理由もあるけれど、それだけではない。それが、理解出来るのだろうか。

 理解出来ない人間には永遠に理解出来ない。そして今となっては、それは努力や心の有り様だけでどうにかなるものでもないとナサニエルには分かってきた。

 右利きが左手を使いこなすよりも、それは困難なのだ。一概には責められない。それに、そうした思考の頑なさを持つ者は、残念ながらネフィアル神官側にもいる。

「すみません、実は今はそれどころではありません」

 ナサニエルは初老の男の姿をしたヴァンパイアのことを話した。

「まだこのあたりにいるのなら、ご主人や息子さんが戻られるのは危険です」

 母親の方が身をすくませた。

「どうすればいいの? 私たちはずっと隠れていろと言われたのに」

「聖なる印をお持ちではないですか、お嬢さん」

 ナサニエルはふと思いついて言った。

「ジュリアン神の?」

「はい、そうです」

「あることはあります。ただ、不完全なの」

「いえ、ありがたい。使わせていただきます。私が使うのを許されるなら」

 娘はしばし思案した。

「私も一緒に行きます。ご存知かしら、聖なる印は、その信徒が使えば威力が増すのです。神技を使える神官ならなおさらね。私は神官ではないけれど、でもそのうちに。今は一信徒としてご一緒します」

「お嬢さん、それはありがたいお申し出ですが」

「大丈夫、自分の身なら守れます」

 ナサニエルは母親を見た。

「駄目ですよ、そんな。狼や山犬とはわけが違うわ」

「でもお母さん、行かなければお父さんと弟が危ないわ」

「聖なる印を貸してください。私が何とかします。ただ、印はお返し出来なくなるかも知れません」

「私は行きます。もう決めたの」

 娘は地下室の奥に進んだ。ナサニエルの灯した明かりが届く中、娘は自身の背の丈と同じ長さの槍を持ってきた。

「参りましょう。聖なる印はここに」

 槍の穂先に、ジュリアン神の聖なる印が見えた。羽ばたく白い鳩である。

「私の名はジアーナ。どうかよろしく、ナサニエルさん」

「はい、あなたは勇敢な方です」

 二人は地下室を出た。ジアーナの母はもう引き止めはしなかった。

 ナサニエルとジアーナが家の外に出ると、あたりは当然に暗いままで、ただ紅き月と銀の月は西の方に傾いていた。

「いなくなったのでしょうか」

 ジアーナの言葉にナサニエルは首を振った。ジアーナは栗色の髪と瞳のなかなかに愛らしい少女だ。ヴァンパイアも狙うかも知れない。女たちを地下室からは出さない計画であったが、こうなっては仕方がないとナサニエルは思う。

「まだ油断は出来ませんよ」

 ジアーナはナサニエルよりも夜目が利いた。

「見てください。あそこに誰かいます」

「私には見えません」

「ついて来て」

 ジアーナは槍をかまえてナサニエルの返事を待たずに歩いていった。早足なのに足音がしない。見事な技だ。ナサニエルは思った。

「狩猟が得意なのでしょうね」

 獲物に気づかれないために音を消す。そのための技量であろうと思われた。

「弟にはかなわないけれど、私もそれなりには出来ます」

「弟さんも足音を消して歩けるのですね」

 ナサニエルはほっとした。それならヴァンパイアに見つからずにいられるかも知れない。ヴァンパイアの聴力の鋭さは動物並みだが、これなら……。

「私は足音を消せません」

 無力で申し訳ない、そんな想いが声に現れている。聖なる印も出せない。だからジアーナに来てもらうしかなかった。

 足音を完全には消せないが、極力静かに歩くのなら出来る。人間ならともかく、動物やヴァンパイアには聞き取られてしまうだろうが。

「大丈夫です。ついて来てください」

 ナサニエルには大丈夫とは思えなかったが、少女の言う通りにした。他に手立てはないと思えた。

「父と弟がいつも行く方に行きます」

「分かりました」

 ナサニエルには不吉な予感がしていた。その予感が当たらないのを心から願う。

 家の周辺を探した。ヴァンパイアも親子も見つからない。

 嫌だ、嫌だ。この不吉な予感がどうか当たりませんように。

 家と家の前の道から離れて林の中に入る。少女は慣れた様子で迷いもなく進んでゆく。

 本当に勇敢な娘だ。ナサニエルは心底感心した。

 血臭が漂ってきた。ナサニエルの不吉な予感はより大きくなった。

「獣の血の匂いではありません」

 ジアーナは静かな口調でそう言った。ぞっとするほど冷静な声だった。

「! こっちに!」

 ジアーナは急に走り出した。それでも足音があまり聞こえてはこないのに、ナサニエルはまたしても感心させられた。

 続いて走るうちに、ナサニエルの耳にも聞こえてきた。男の苦しげなうめき声が。

「父さん!」

 ジアーナの叫びを聞いて、ナサニエルはまた寒気を背筋に感じた。不吉な予感は当たってしまうのか。そう思う。

 神技ではなく魔術の力で、自分と少女に『早足』の効果をもたらした。

「ありがとう」

 少女は振り返りはしない。

 赤松と白樺の林の中に二人は進んでいった。

 声の主のもとにたどり着く前に、見たくはないものを見てしまった。

 ジアーナよりも若い少年が、首筋から吹き出した血にまみれて、白樺の木の根元に倒れていた。

 微動だにしない。触れてみるがすでに冷たい。ヴァンパイアと同じく、死体の冷たさだった。

続く

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片桐 秋
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