英雄の魔剣 48
あくる朝、アレクロスはいつもより早く目覚めた。日の出よりも早くに。東方の空は明るくなりつつあるが、まだ曙光(しょうこう)は見えない。
アレクロスは、着替えを手伝う従者――従者は大抵若い男だ――を呼ばずに、一人で夜着から脱ぎ変えた。世継ぎの王子にふさわしい正式な衣服を着る。
濃い青紫の下履(したば)きと丈の長い上着。上着の裾(すそ)は膝が隠れるくらいまである。五つの象牙製の釦(ぼたん)で前を留めるのは、腰より上までだ。だから足の動きが妨げられはしない。
鏡の中の自分の姿をじっと見つめた。
髪の色は朱色を帯びた金色だ。なめらかに首と頭部の境い目まで波打ち、艶めいている。目は蒼い。アレクロスはしばらく自分の背丈より大きな姿見に見入った。鏡は銀製で、姿が映るほどに磨き上げられた物だ。平民にも出回っているのはピューター製だが、それでも高級な品である。
その、高貴の身には許された銀の鏡の中の自分が、まるで自分とは思われない。
第一公爵家が制作した鎧と魔剣を身に着けてから、まだいくらも経ってはいない。それにも関わらず、アレクロスにはすでに黒髪と黒目の雄々しい騎士の姿こそが、自分の真の姿であると思えるようになってきた。
自分は何者なのか。
この漆黒の魔力ある鎧と魔剣の力で得た『自分』は本当の自分ではないのだろうか。
その通りだ、と言う者もいるだろう。だがアレクロスはそうは思わない。
違う、この鏡に映る自分、と言うより武具を得る前の自分こそが偽(いつわ)りの自分であり、セシリオたちがくれた鎧と魔剣は真の自己をよみがえらせてくれたのだ、と。
ふと気が付くと、髪色がいつもよりくすんで見えた。朝焼けの明るい日の光が差してきて気が付いたのだ。
前はもっと明るい金色だったはずだ。今はいぶし銀ならぬ、いぶしたかのようなくすみのある黄金色になっている。
この髪は黒くなってゆくのだろうか、アレクロスは思った。武具を身に着けていない時でも。
瞳の方も、じっくりと観察してみる。
生まれ付きの瞳は蒼白の色だ。それが今は、暗い灰色みを帯びてきていた。明らかに魔性の武具を身に着ける前とは違う。
一番肝心なのは心根の方である。
朝起きたばかりの心身には、すでに活き活きとした生気が満ちている。生まれて初めての感覚だった。
「そうだ。これで本当の自分になりつつあるのだ。そしてそれは俺が、武具に甘えず努めを果たそうとしてきたからだ。万が一にも慢心して己が真に為すべきことを忘れていれば。得た力が大きいだけに、その代償も到底払えきれないほどに大きくなっただろう」
そう言って細く長く息を吐き出した。気持ちを落ち着けるためである。
今の自分を抑圧するものはない。では、これまでは一体何が自分を引き止めていたのか。
アレクロスは思う。理由ははっきりしている、と。
世継ぎの王子は、鎧と魔剣とを別室から取り出した。召使い三人分の同居部屋と同じくらいの広さの中に、これらが納められている。前に使っていた武具もまだ残してある。こちらはミスリル銀の鎧と剣である。またこれを使うことがあろうかとしばしは思案した。
従者の手を借りずに武具の安置室から漆黒の武具を取り出してきた。再び姿見の前に立ち、甲冑を身に着け、帯剣する。髪と目は再び黒くなってゆく。すべてが魔剣と同じ漆黒に包まれる。
改めて意識が明瞭になり、心身にはさらなる活力が吹き込まれた。力強く、熱く燃えているようで、どこか頭の芯は冷ややかに。
「熱い心と冷静な頭。これこそが求めていた自然な状態だ」
眼光に鋭さと幾ばくかの怜悧さが表れている。
そんな自身の様を見て取ってから、決意を固めて魔剣の柄を握った。
次の用事のためには従者を呼んだ。さすがに他の王族への来訪とあっては、一人だけで事を済ませるわけにもいかない。
従者は卓上にある呼び鈴を鳴らすと、すぐさま駆け付けた。呼び鈴は澄み切った音がした。それは大きな音ではないが、遠くまでよく響く。
従者はお仕着せの黒に近い灰色の上下の衣服が決まりだ。簡素であり、上着の前を留める錫(すず)製の釦(ぼたん)の他には、飾りは何もない。
「俺の伯母の部屋へ。このアレクロスが訪ねると伝えてくれ」
「かしこまりました」
若い従者は、うやうやしくお辞儀(じき)をして退出した。