【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ第3作目『深夜の慟哭』第35話
マガジンにまとめてあります。
アントニーは、ウィルトンの背後で身を震わせた。ウィルトンは知っても変わらず味方でいてくれる。それは間違いない。だが、ブルーリアは、他の妖精たちは?
私はここに来てよかったのだろうか?
「アントニー、今は過去を考えるな」
盟友の様子を見て何かを察したのか、ウィルトンは肩に手を掛けてきた。
「とにかく先に進もう。ブルーリアは何も言わない。多少の隔意はあるんだろうが拒みはしなかった。お前の力は充分に分かっているはずだ」
「確かにそうですね。そうだ、今は先に進むしかない」
後半は自分自身に言い聞かせた言葉だ。
「水の中には入れるか?」
「水はごく薄い膜のようになっているだけです。大丈夫ですよ」
「それなら先に行け。何かあったら引き上げてやる」
「分かりました」
アントニーは水面に足先を浸し、それからゆっくりと下りていった。水は冷たくも温かくもない。ゆるゆると足にまとわりつく感触だけはある。
水は服の中まで染みてはこなかった。不思議だ、とアントニーは思う。いや、不思議に思うことは何もないのかも知れない。呪われた地下世界では、何が起こるか分からないのだから。
ブルーリアはすでに下にいて待っていた。アントニーが水膜を抜けると、両手を広げて歓迎のしぐさをした。
「ようこそ。呪われた世界へ」
「呪いの中心地が何処かは分かりますか?」
そう尋ねてみる。分かるならすでに手を打っているだろう。一応だ。
「だいたいはね。でも近づけないの。行くと遠のいてゆくわ。それではたどり着けない」
「遠のいてゆく、のですか」
「そうよ」
その時、ウィルトンも水膜を抜けて下りてきた。アントニーの隣に立つ。
「聞こえていたぞ。何故遠のいてゆくのか、理由はわからないのか?」
「暗黒の神ダクシスが、そのようにしたからよ」
「ああ、畜生。だけど何のために」
ブルーリアはふふと笑う。辺りは薄暗い。夕闇の迫る荒野のように、広々としているが薄暗い。地面は青味がかった灰色の岩に覆われている。遥か遠くまで、そんな陰鬱な光景が広がっている。
「私たちの先祖が、そんなに遠い先祖ではないけれど、そうね、ひいお祖父さんやひいお祖母さんくらいになるの、私たちにとっては。私たちのひいお祖父さんたちが、ダクシスに従わなかったからだわ」
「何とか呪いを解ければ、もうあの呪われた野犬も出てこなくなるんだな?」
「ええ、きっと」
その時、アントニーは遠くに奇妙な物を見つけた。いや、者なのかも知れない。
三つの頭部に、六本の太い燃え盛る炎に包まれた尾を持つ犬が、こちらに近づいてきた。狼ほども大きく、だらりと長い舌を垂れている。舌は赤黒い。白く長い牙も見えた。
アントニーは、己(おのれ)の高貴な先祖の骨で出来た杖をかまえた。
犬は小走りの速さで来た。
「ウィルトン、向こうから敵が来ます。呪われた野犬です。地上で見たものよりもっと大きく、凶悪なものがいます」
「なんの。デネブルを倒した俺たちに怖いものはないさ」
「油断しないでください。何があるか分かりません」
ウィルトンは愛用の槍をかまえた。
「おい、あいつ火を吐くぞ」
もうウィルトンにも見える位置まで来たのだ。三つの頭部を持つ猛犬は各々が大きな口を開き、喉(のど)の奥には燃え盛る炎が見えた。
「喰らいやがれ!」
こんな時の、いつもの口癖のような気合いの声。
ウィルトンの槍の穂先から、光の刃が飛んでゆく。白く輝く槍の先の刃が、猛犬の喉元に迫る。
猛犬はかわした。犬とは思えぬ身の軽さだ。山猫のように高く跳躍していた。着地するとこちらに走ってくる。
「くそ」
ブルーリアはその様子を見て、何事かをささやいた。美しい声。上質の竪琴の、低音の音色をかき鳴らすかのように。
ウィルトンとアントニーの前に、先ほど抜けてきたのと同じような薄い水の膜が張られた。水の膜は、三枚わずかな間を空けて重なっている。
「待てよ、こっちの光の刃は通るのか?」
「通るわよ」
ブルーリアはそれしか言わない。
ウィルトンは槍をかまえ直して撃った。
放たれた刃は、水の膜を通して猛犬に向かう。今度は右にかわされた。
「炎だけを防ぐのですね」
「ええ、そうなっているから」
その炎が来た。真ん中の犬の口から長く、横に倒れた柱状の炎が放たれる。猛烈な速さで襲い来る。
水膜は炎を防いだ。
と、その時、水膜が張られていない横合いから、地上で見たのと同じ野犬が現れた。三頭。黒い巨大な犬で、真っ赤な舌を伸ばしている。
アントニーは思う。この犬はこの呪われた地下世界から地上に現れたのだ。何もかもが呪われている。この犬も、元は普通の山犬だったのだろう。
哀れみを感じている暇はない。アントニーは魔術の杖を振るった。
「天の雷光よ、敵を撃て」
雷と稲妻が野犬に向かってゆく。三つ首の巨犬が来るまでに、こちらを倒しておきたかった。
続く
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