ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第61話


「終わったか」

 ウィルトンは小さくささやいた。

 ウィルトンは自分自身のその声を、我ながら静か過ぎる声だと思った。勝利の雄叫びには、ほど遠いではないか、と。

「はい」

 アントニーもまた静かに答える。彼の胸中は複雑であった。

 ウィルトンは、盟友の表情から彼の内心を推し測った。何かを言おうとした時、

「ありがとうこざいました、お二人とも」

深い青の髪と黒い肌の妖精は、深々と二人の英雄に向かって頭を下げた。

「何だよブルーリア、急に改まって」

「これでようやく、私の宿願は果たせたのよ。二人のおかげなの」

 二人を見つめる深い青の髪の妖精は、これまでになく物静かなたたずまいを見せていた。

「おいおい、まだこの地下世界を解放してはいないぜ。宿願を果たしたと言うには、早過ぎるんじゃないか?」

「ええ。でもしばらくは休みましょう」

 そのうち、彼らが今いる場所、この洞窟の奥の広い空間に、温かな光が満ちてきた。夜明けのような光だった。

「何だ、この光は」

「レドニスが死んだから、彼の恨みが消えたからなの」

「恨みが、この場を暗くしていたと言うのですか?」

「そうよ、妖精には、良くも悪くもそんな力があるわ。思う事が周囲に影響を及ぼすの。もちろん自分自身にも。力ある妖精ほど、大きな影響をもたらすわ」

 ブルーリアは微笑んだ。穏やかな笑みだ。彼女が初めて見せる種類の笑みだった。安らかさが漂っていた。

「では、貴女も」

「そうね。私の心は今はとても晴やか。あなた方への感謝で満ちているわ」

 ブルーリアの深く暗い青の髪の色が、明るく軽やかになっていった。晴れた日のさわやかな、淡い青の空のような色に。

 その水色の髪の艶に、銀色のきらめきが混じる。

 美しかった。暗い青の色よりも、濃い黒の肌の色に合っていた。

 彼女の周囲から、穏やかな優しい音楽が流れてきた。二人は心身が癒やされてゆくのを感じる。

「この音楽は? これも貴女の魔法なのですか?」

「私の心の音色なの。しばらくは流れ続けるわ。私の今の歓びが静まるまではね」

「とても美しい音色です。高価な硝子(ガラス)を触れ合わせるように澄んだ音色、いえ、それよりももっと、高く澄んでいる」

「戦いと旅の疲れが癒されてゆくな」

 ウィルトンは伸びをした。そのまま地面に座り込む。地面には、いつの間にかやわらかな草が生えていた。

「横になるか」

 槍使いの戦士は、手足を伸ばして草地の上に寝転んだ。

「レドニスの恨みの念は、この洞窟の中だけでなく、外にも広がっていたと思いますか?」

 であれば、外もまた、このように温かな光に満ちて、やわらかな、踏み心地の良い草が生えているはずである。

「アントニー、そいつは外に出てみりゃ分かるさ。今は休もうぜ」

 すでにかなりの時間が過ぎていた。おそらく、地上では太陽が沈み、夕闇が迫る頃合いだろう。

「ここで寝るか。背負い袋に毛布がある」

「ロランを出してやります。ロラン、怖くなかったか?」

「大丈夫です、アントニー様。アントニー様がこれまでもたくさんの苦難を乗り越えてこられたのです。僕も何かお手伝いをしたい。そうだ、寝支度をさせていただきますね」

「その必要はないわよ」

 ブルーリアが右手を振ると、草で編まれた寝台が現れた。全部で四つ。さらに、良い香りの花びらが集まって掛け布団になる。

「こりゃありがたい! ロラン、お前も手足を伸ばして寝ろよ。窮屈だっただろ?」

「お気づかいなく、ウィルトン様。ブルーリアさん、ありがとうございます」

「いいのよ」

 淡い水色の髪となった妖精は、自ら寝台に上がった。そっと身体(からだ)を横たえる。

「では、私は寝るわ。おやすみなさい」

 そう告げると、すぐに眠りに落ちていった。安らかで静かな寝息が聞こえる。

「俺は服を脱いでから寝るぞ」

 言いながらウィルトンは、掛け布団の下で服を脱ぎ始めた。ブルーリアはすでに夢の中で、見せてしまう恐れはないのだが、念のためだ。

「では、私も」

 アントニーも同じようにし始めた。

 それを見ていたロランも、大人しく寝台に潜り込む。

「長い戦いでした。アントニー様、この戦いはいつになったら終わるのでしょうか」

「ロランには、本当に長い間付き合ってもらったな」

「アントニー様、それはかまわないのです。僕は、アントニー様の安らかな暮らしが望みなのです。もちろん、僕自身もそんな暮らしをしたいとは思いますが」

「もうじき終わるさ」

 ウィルトンは、呑気過ぎると思われるほどの言い方をした。案の定、アントニーもロランも、あきれた顔で槍使いの戦士を見た。

「まだまだ先は長そうですよ」

「そうかも知れん。だがそうでないかも知れん」

「そんな、どっちつかずなことを」

「俺に少し考えがあるんだが、聞いてくれるか? それとも先に寝るか?」

「そう言われると気になりますね。話してください。あなたがまだ休みたくないのであれば」

「僕も聞きたいです」

 ウィルトンはにやりと笑う。寝台の上で寝返りを打って、アントニーとロランの方を向いた。

「ブルーリアが言った事が気になってな。妖精の心の思いが外側に現れるのなら、ひょっとしたらこの地下世界の荒涼として恐ろしい状態も、妖精たちの心にこそ原因があるんじゃないかと思ってな」

 アントニーはうなずく。

「それは私も考えました。しかし、ブルーリアがそれに気がつかずにいるとは思えない。長い長い歳月を、この地下世界で過ごしてきたというのに」

「俺は他の妖精たちに会いたいな。会って話を聞きたい。ブルーリアを信用しないわけじゃないが、他からも地下世界の話を聞きたいんだ」

「そうですね」

 アントニーは再度うなずいた。考えてみれば地下世界へ来て以来、ブルーリアからしか説明を受けていないのだ。

 彼女が意図的に嘘をつくとは思わないが、彼女が全てを知っているとも限らない。

「分かりました。では明日、ブルーリアにもその話をしましょう」

 続く

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