【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第17話
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「すぐに? この夜に、ですか?」
貴族の令嬢が出歩くには遅過ぎるのでは、そう言いかけて思い直す。そうだ、彼女はヴァンパイアなのだ。もうじき、そうなる。新月、明日の夜には。
「ですが、今はまだ人間の体のままなのですね?」
「すでに力の兆候は現れていますの。お待たせしましたわね。もうかなり月が細いので、夜のほうが力が出るのですわ」
「昼日中には出歩けるのですか?」
「ええ。力は弱まりますけれど」
「お前は、アントニー。大丈夫……じゃないだろうな」
「ローブのフードを目深にかぶれば大丈夫です。火傷もしません。このローブは陽光を完全に防ぎますので。が、何かあっても夜のようには戦えません」
「その点は俺に任せろ。魔術は使えるんだろ?」
「はい。発動がいつもより遅くなるかも知れませんが」
「かまわん。背後からの援護があるだけで百人力だ。もちろん、ただの魔術師ではなく、優れた魔術師の百人分だぞ」
「それは、それは。ありがとうございます」
「何だ? そんなのは当然だろう」
「当然ではありませんよ。足手まといにはなりたくありませんからね」
ウィルトンは、そこで考え直した。足手まといとは全く思いもしないが、令嬢も日中は力が弱まるようで、万が一を思えばあらかじめ対策しておく必要がある。
「隣の領地は近いとおっしゃいましたね。危険はないのですか?」
「デネブルが滅びてからは何も出なくなりましたわ。獰猛な黒い野犬も、デネブルの配下となった旧種のヴァンパイアも、全くいなくなりましたのよ」
あなた方のお陰ですわ、と付け加える。
「それはよかった! でも野生の狼が、ひょっとしたら現れるかもしれないですね。それくらいは俺一人でも追い払えます」
「ではよろしくね、頼もしい方」
「はい、エレクトナ様。お任せを」
頼りにされて、素直に嬉しかった。
「ではよろしく。頼もしい我が盟友」
アントニーもそう言った。からかうような含み笑いが声にも顔にも表れている。
「あ、ああ……」
何となく照れくささを感じる。朝昼の光を浴びたアントニーがどうなるのかはウィルトンもまだ見たことがない。聞いたところでは、陽光を遮断するローブがあれば、身動きするのに不自由はないらしいが、より俊敏な動きは出来なくなる。肉体の力も、魔術の力も弱まるらしい。
「どのくらい弱まるんだ?」
「いつもの半分くらいでしょうか」
半分。それは強い敵が現れたなら致命的になる。
「大丈夫だろう、きっと」
ウィルトンは令嬢の言葉を信じて、野犬や狼の群れ以外には、襲い来るものもいないだろうと判断した。もっとも、野生の犬や狼は、滅多に人を襲いはしないものだ。本来はそうなのだ。家畜は狙われるが。
デネブル亡き後に、この地に掛けられていた呪いは解けて、野生の生き物が人を狙う事件は目に見えて減った。
そうだ、俺たちはこれだけのことをやり遂げたのだ。それなのに何故、俺たちが命を狙われなくてはならないのか。宿敵であり、大悪であったデネブルを倒したのに、くだらない人間同士の争いが芽生える。疑心暗鬼となり、互いに滅ぼし合う。
くだらない。本当に馬鹿馬鹿しい。ウィルトンは思った。
「デネブルを倒したのに。せっかく、この世界は解放されたのに! 別にそこまで富や名誉や地位が欲しかったわけじゃない。ただ、皆で平和に暮らせたなら、それでよかった。俺は静かにそこそこ豊かな暮らしで、のんびり釣りでもしながら生きていきたかった。適度に人から感謝されて……そうやって生きていたかったんだ」
「感謝はされておりますわ。それはもう。ですから、お祖母様も老貴族もうかつに手は出せませんわ。それに釣りだって出来ますわよ。屋敷の裏側を歩くと、美しい湖がありますの。お隣の領地との境目ですわ。さあ、一緒に参りましょう」
否を言う余裕はなさそうである。ウィルトンは、客間に戻り、槍を取ってくると言った。アントニーのローブも置いてある。
「では、お先に裏庭に出ておりますわね」
エレクトナは窓辺から離れた。振り返らず、扉を開けて出ていった。
「やれやれ。えらいことになったな」
「覚悟はしていましたよ。私は現実に、貴族社会がどんなものなのかを知っていましたから」
「なあ、このまま屋敷を抜け出して、オリリエを連れて遠くに逃げたらどうなるんだろう?」
アントニーは肩をすくめた
「おそらくは、ご領主のセンド様はなおさらに疑いを深めるでしょう。老貴族は、ここぞとばかりに、やましい思いがあるから逃げ出したのだと言うでしょう。まず間違いなく追手が掛かります。他の貴族の領地でも、私たちを利用するか、あるいは事を構えるのを嫌がって追い出すか、我々のご領主様のセンド・デル・バーナース様に差し出すか、そのようにするでしょう」
「なるほど。なら逃げても無駄だな」
「客間に戻り、支度を整えましょう。その際、いつでも逃げられるよう、荷物を持ってゆくのです」
「逃げても無駄なんだろう?」
「逃げても無駄、ではありません。逃げる必要に迫られるかも知れませんので。ご安心なさい、オリリエを見捨てろとは決して言いませんから。背負い袋の中にロランに入っていてもらいますが、オリリエはそうはいかないのも分かっています」
最後は冗談めかした物言いだったが、表情は真剣だった。
「よし、行こう。とにかく、隣の領地の貴族のアーシェルに会ってみよう」
ウィルトンはそう言って、先に扉に向かっていった。
続く