自分の価値観に合わないのが『悪影響』なのではない

フィクションの『悪影響』のお話です。『』付きなのには理由があります。

フィクションの中で、明らかに現代日本の社会では許されない事が描かれている場合は、『』付きではない悪影響を与えるのではないか? と問い掛けてもよいでしょう。

実際に、悪影響があるのかは、また別の問題ですが。

しかし中には、自分の価値観に合わない影響を及ぼすかも知れないのを、悪影響と言う人がいます。その場合は『』付きの『悪影響』です。

たとえば、こういうのはどうでしょうか?

あるハイファンタジーでは、ほぼ常に主人公の男性が女性を助ける形になる。

別に良いではないかと私は思いますが、ここで仮に「女性の自立心を妨げ、男性に依存させるかも知れないから良くない」と言ったとします。

こうした言い方をすると良くない事のようですが、よくよく冷静になったらですね、頼りがいのある男性を女性が頼るのは。この現代日本で、そこまで否定的に扱われているでしょうか?

そうではないと思うのですよね。

結局、仮にそのフィクションを見てそのような影響が出たとしても、それは個人の自由な判断の範疇なのです。社会的に許されない事ではないのですな。

そもそも、フィクションの影響力というもの自体、単純に「こんなフィクションを見たから、こうなった」と言い切れるものでもないのですが。

人によって受けとめ方が違うし、同じ影響を受けたとしても、程度が違うからです。

そこでその段階を飛ばして、さらに世間的には決して悪影響とまでは言い切れないのを、『悪影響を与える』と言い切るのであれば。

はっきり言ってあまり支持されない、もっと言えばかなり強い反論・反発を受けるのは仕方がないのですね。

で、私は本当に『悪影響』があると思うわけではなく、単にバトルヒロインが男性並みに戦えないバトル物が好きではないだけである。

しかし私が好きではないから、どうだと言うのか?

そんなものは、そのフィクションを好んで読んでいる人たちからしたら、どうだってよいことではないか?

この手の議論の難しい点は、フィクションに果たして『悪影響』があるのか、の前に、そもそもそれは本当に悪影響なのかを自らに問わねばならないからである。

次に、それが本当に悪影響だと世間を説得しなくてはならない。

それが出来て初めて、ようやく「本当にフィクションによる悪影響があるのか?」の議論の俎上に乗るのである。

今回は自分の価値観というか感覚を論題にしたが、様々な事に同じことが言えるだろう。

果たしてそれは本当に悪影響ですか?

あなたが『悪影響』だと思っているだけではないか?

とね。

さて、今回はここまで。

読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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片桐 秋
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