ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第56話
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歩いて行くと奥から、水が滴(したた)って水面に落ちるような音が、いくつもいくつも聞こえてきた。
「何だ? 地底湖でもあるのか?」
「単に地下水がたまっているだけかも知れませんが。そうなると、規模はそこまででもないでしょう。湖というほどの大きさはないかも知れません」
ウィルトンは、魔力ある槍をあらためてかまえ直した。
「奥まで見えるか? 二人とも」
「まだ、水のある場所は見えません。道は真っ直ぐではなく、いくらか曲がっているようです」
「ええ、その通りね」
「よし、俺が先に進む。アントニー、しんがりは任せたぞ」
アントニーは声には出さずに、うなずいてくれたのだろう。黒髪黒目の槍使いの戦士は、背中でそれを感じ取った。
先に進むと、アントニーが言った通り、通路は真っ直ぐではなく蛇行していた。身をくねらせながら進む蛇のように曲がりくねった道が続く。
地下水がしみ出してきていた。アントニーが灯してくれた魔術の明かりに照らされた地面の先には、いくつもの水たまりがある。
上から水滴が落ちて、水たまりに波紋を作っている。
「なんだ、地底湖なんて大げさなもんじゃねえな」
ウィルトンは、軽い調子で言ってのける。だが、進むほどに水たまりは深く大きくなり、やがて大きな池ほどのものに突き当たった。
池の向こうに、また暗い洞窟が見える。
「この水は流れているわけじゃないが、アントニー、お前は渡れるか?」
「あまり濡れたくはないですが」
「深さはどれくらいだろうな」
言いながら、槍を水の中に入れた。槍が池の底に着くのを感じた。槍の長さはウィルトンの足の長さほどだ。槍としては長い方ではないが、水深はそれなりにはあるということだ。
しかも、岸から離れて中央あたりまで行けば、さらに深くなっているかも知れなかった。
魔術の明かりが、もう一つ灯される。
「深さが分かりますか?」
「ありがとう。俺にも見えたぞ。よし、水深は、この岸近くと変わらないようだな。これなら歩いて渡れる」
「向こうの洞窟には、見たところ何もありません」
「よし、俺が先に行く」
言いながら腰にロープを結びつけた。もう片方のロープの先をアントニーに差し出して言う。
「何かあったら引っ張り上げてくれよ」
「分かりました」
ウィルトンは池の中に飛び込んだ。水しぶきが上がる。
「冷たいな。しかし耐えられないほどじゃない」
ゆっくりと前に進む。水は澄んでいて底まで見通せた。何も危険な物はない。洞窟の岩壁や天井と同じように、オパールの輝きで覆われていた。
アントニーの灯してくれた魔術の光が、水面と底面を照らし出す。白と、ほのかな虹色の光沢が、底面には広がっている。
「きれいなもんだな。こんな時じゃなきゃ、ゆっくり泳いで楽しみたいんだがな」
「ウィルトン、油断はしないでくださいね」
「分かったよ。心配すんな。用心は怠(おこた)らないさ」
言葉だけではなく、実際にそうしていた。槍で一歩先を突き、安全を確かめつつ進む。足元だけでなく、周囲にも気を配っていた。
足元以外は、アントニーやブルーリアも見ていてくれるであろうが、念のためである。
と、その時。池の中に魚を見つけた。長身のウィルトンの腕の長さほどもある白い魚である。艷やかなうろことひれを、魔術の明かりにひらめかせて泳いでいる。
「きれいな魚だ。食えるのかな?」
ウィルトンのこの言葉の、後の半分は冗談だった。だが、まるでその言葉を理解したかのように、白い魚は彼から離れて泳ぎ去った。
「食べられるのか、ですって? あきれたわ。さっきたくさん食べたはずでしょう」
ブルーリアの、あきれと驚き半分ずつの声が、背後から聞こえる。ウィルトンは振り返らずに、槍を持っていない方の手、右手を上げて振った。
「冗談さ。でも、俺の本業は今でも漁師だと思っているからな。魚には目がないんだ。仕事の上での癖ってわけさ。食うのは肉もチーズも好きだ。だが魚には、格別の思い入れがあるんだ」
ウィルトンは魚を追い掛けて、槍で突いて捕まえたかった。捕まえたところで食うことは出来ない。ここでたき火は無理だろうし、大きな魚を食べられるほど腹は空いていない。
それでも長年の習性で、見事な魚を見ると捕まえたくなってしまうのだ。
ウィルトンはさらに前に進んだ。微かに水の流れを感じた。この流れは何処から来ているのだろうか、と思う。
流れの来る方向、左手側を見る。池の端に、人の頭ほどの穴を見つけた。水面より上の、岩壁にある。
「アントニー、明かりを、あの左の岩壁に寄せられるか? もっとよく見たい」
「左の岩壁、ですか? ああ、あの穴から水が流れ出ていますね」
「さすが、ヴァンパイアの目はよく見えるんだな。そう、あの穴から出てくる水のせいで、この池にもわずかだが流れがある。だから、穴を何とかしないと、お前は渡れないかも知れない」
アントニーは、魔術の明かりをもう一つ灯し、穴の方に飛ばしてくれた。
ウィルトンは、ありがとよ、と言いながら、そちらの方に歩いて行った。
続く