【ハイファンタジー小説】アッシェル・ホーンの冒険・第七話【人の心の闇に勝る、『魔王』は存在しない】
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アッシェルは思わず息を呑んだ。次に案じたのは、ドラゴンがこちらに気がついているかどうかである。
幸い、ドラゴンはまぶたを閉じた。まぶたにまでも赤い文様がある。文様は脈打ち、波打っていた。ドラゴンの、丘一つ分ほどの巨大な全身で、黒地に赤が脈打っていた。
「何だか不気味ですね。神聖というよりは、何かこう、禍々(まがまが)しいような」
「ドラゴンが神聖なものだなとと! 遥か東方世界の信仰が西方世界に影響しなかったのは幸いであったな」
アッシェルは静かに言った。まるで言い聞かせるように。
「信仰しようとは思いませんね。ただ、人智の及ばぬ知恵や力を持つのが、ドラゴンの上位者だとは聞きました」
それは事実だ。
一方で、ドラゴンが如何なる存在であれ、神聖な存在だなどとは認めないのも別に自由であるし、かまわないとも思う。
自由。自由か。もしも東方世界の影響が甚(はなは)だしければネフィアル女神を信仰する自由はなかったのかもしれない。
アッシェルはドラゴンからそっと離れようとした。しかし、ドラゴンは目を開けた。きらきらと光る目でアッシェルたちを見つめてくる。
「よく来たな、人間よ」
予想していたのとは異なり、ドラゴンの声は実に穏やかであった。
アッシェルとしてはここでドラゴンの気分を損ねたくはない。すぐにひざまずく。
「はじめまして。私の名はアッシェル・ホーンと申します」
「吾はヒルマン・ダーティフ」
アッシェルは立ったままのヒルマンの服の裾を引っ張る。
「ひざまずいてください、あなたも」
ヒルマンは何か言いたげではあったが、逆らわずひざを床に着いた。床は滑らかな大理石である。黒と白の入り混じった模様には気品がある。
「なぜ、ここへ来たのか」
ドラゴンの深い豊かな声が響く。
「ここは〈法の国〉の支都ですね? 丘巨人が入り込み、根城にしているようです。我々は退治しに来ました」
「そうであったか。丘巨人のことは、私は知らない」
「どうか、ここに来たことにはお許しをいただきたく思います。我々は村に帰って、しなければならないことがあるのです」
「一つ、お主らに頼みがある」
「はい、我々にできることでしたら」
「私を元の世界に帰してもらいたい」
「元の世界に?」
そうか、ではあの魔術円は。
アッシェルは気がついた。
この広間へと呼び出すための物だったのか。
「お前たちのような小さき者がいない世界に私は帰りたいのだ。丘巨人とお前たちが呼ぶ者どもさえ、私には小さすぎる。そのために、あの魔術円を消してもらいたい」
アッシェルはヒルマンと顔を見合わせた。ヒルマンはうなずいた。ドラゴンの願いを叶えようと言う。
「こちらからもお願いをしてよろしいでしょうか?」
アッシェルはこう尋ねてみた。これを言い出すのは冒険だった。だが、ドラゴンが自分たちに頼み事をしたいのなら、ドラゴン自身では帰れないのなら、交渉の余地は充分にあるとアッシェルは考えたのだ。
「何なりと言うがよい」
アッシェルの考えは当たっていた。ドラゴンは鷹揚そうに言ってくれた。
「この場所に眠る財宝のありかをご存知ではありませんか?」
「財宝? 財宝が欲しいのか」
「はい」
アッシェルは、ヒルマンのいる村と、自分たちが、エミリも暮らす村に、その財宝を持ち帰りたかった。
財宝を掘り尽くしたと言えば、村に来た荒事師たちも帰るだろう。その考えがあった。
「ふむ、ではお前たちに選ばせてやろう。三つの財宝のうち、どれが良いかを」
「三つとも、いうわけにはいかないのでしょうね」
半分は冗談だ。こんな時に、こんな相手に冗談が言える自分自身に感心する。
「欲張ると身の破滅だぞ、人間よ」
ドラゴンは厳(おごそ)かに告げた。
「それは分かっております」
アッシェルは答えた。
「では三つの中から選ぶがよい。分かっておるか? 私はお前たちを即座に焼き殺すこともできるのだ。私のほうが選べる側なのだ。それを忘れるな」
やはり言い過ぎたか。アッシェルの背筋に寒気が走る。
ヒルマンの娘にさほどの関心があるわけではないが、彼女の父親を死なせたくはない。もちろん息子のためにも、ヒルマンの妻のためにも、死んで欲しくはない。
私もまだ死ぬわけにはいかない。
内心でつぶやく。
ドラゴンはうなずいたようだった。
「よろしい。では三つの財宝について説明しよう。まず一つ目は知恵の書だ。〈法の国〉の第一級の賢者が著した、歴史と魔術研究の本だ。二つ目は、黄金の延べ棒を大きな宝箱に五つ分だ。三つ目は、私を必要な時に呼び出せるようにしてやろう。さあ、どれを選ぶ?」
アッシェル・ホーンは、再びヒルマンと顔を見合わせた。
今度はすぐには答えられなかった。
続く