アッシェル・ホーンの冒険・第十一話【人の心の闇に勝る、『魔王』は存在しない】
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二人は家を出た。他にめぼしい物は見つからなかった。この地下都市が滅びた時に家人が持ち出したか、過去に盗掘されたのかも知れなかった。古王国の時あたりに見つかり、その後はまた忘れられていたのかも知れない。
「こいつを街に持ち帰ってな、売りさばくと、けっこうな額になる。ま、ざっと五年くらいは、平凡な庶民の暮らしをしていたら働かずにいられるぜ」
アッシェルは言外の含みを感じ取り、あきれたように言う。
「庶民の暮らしでなければ?」
「半年くらいで使っちまうな。ま、ソレでもいいのさ。俺の女に最低限の蓄えはしてもらってるからな」
「そうですか」
アッシェルは何と言えばいいのか分からなかった。
「女には金が掛かるからな。ドレスに化粧に装飾品。金の掛かる女に惚れると苦労するぜ。あんたには女はいるのか?」
「え? いや、あの……」
顔を赤くしたアッシェルを、マルバンはにやにやしながらひじでつつく。
「いるんだろう? よし、こいつも持っていけよ。その代わり、今後もよろしく頼むぜ」
マルバンは三つある髪飾りの一つを、アッシェルの手に押し込んだ。
「そいつは売らねえで女にくれてやれよ」
「は、はあ」
でも、こんな上等な、貴族の令嬢が身に着けるようなものを、田舎の庶民の娘が、どこに行く時に髪に飾ればいいのだろう?
今はアッシェルもほとんど旅には出ず、村で果樹や、木の実の採れる木を育てて暮らしている。
私が街に出たら、エメリは何と思うだろうか。アッシェルは案じた。
ここで仮に命を落とせばどうなるか?
ヒルマンやヒルマンの家族のために、あるいは財宝のために命を落とすのか。そんな危険を冒す価値はあるのか。
「おいおい、どうしたんだお兄さん」
「いや、何でもない」
アッシェルは首を横に振り、迷いを振り払った。
さらに列柱の並ぶ通路を、奥へと進んでいく。
途中で何本かの分かれ道を見たが、通り過ぎて真っ直ぐに奥まで進んだ。分かれ道はすべて、今通る通路に対して、直角に造られていた。丘巨人には出くわさなかった。こんな奥までは来ていないようだ。
半日ほども歩き続けて、一番奥にたどり着いた。奥には広場があった。広場は半円形で、円の弧を描く方が、通路に面していた。列柱も周囲に半円形に囲んでいる。柱の一本一本に、今でも神技の明かりが残っていた。煌々(こうこう)と明るい。
「古の人々はなんとすごい力を持っていたのだろう! それでも〈法の国〉は滅びてしまった。こうして、後世への遺産は残して」
「このあたりの丘巨人やらを退治し尽くしたらな、お偉い学者や魔術師の先生たちが調査にいらっしゃる。ま、その前にちょっとした物はちょうだいするってわけだ」
先ほどの銀細工を指しているのだろう。もし市場に出回れば、金を持っている学者や魔術師ギルドが買い取るのだ。
学者の中には、気に入った荒事師を常雇いにして、直接探索しに行く者もいる。
それはアッシェルも知っていた。
広場の中央に神殿があった。当然、ネフィアル神殿のはずである。〈法の国〉の国教はネフィアル信仰であったから。
近づいてゆくと、中からヒルマンの声が聞こえてきた。
「ヒルマンさん!」
アッシェルは神殿に走り寄る。返事はない。
「ヒルマンさん!」
もう一度名を呼ぶ。今度も返事はなかった。
「中へ入ってみるか」
マルバンは、アッシェルの前に出た。先に神殿内に入ってゆく。
神殿は、灰色ががかった青い色で、やはり高級そうな石材で建てられていた。入り口は両開きの扉で、躍動感のある浮き彫りが施(ほどこ)された青銅製だ。青銅色は青と緑の混ざった、そのどちらでもない色であり、青灰色の石材に映えて見事だった。
「すごい」
アッシェルは青銅の扉をくぐりながら、思わずつぶやいた。
中は今もなお清浄な空気に満ちていた。ここだけは三階分の高さがあり、天井には青空と太陽と白い雲の絵が見えた。まるで本物の吹き抜けのように。
「なんて素晴らしいんだ……。いや、今はそれどころではない」
ヒルマンの声が再び聞こえてきた。アッシェルは、呼び掛ける。
「やれやれ、やっかいなもんだな。〈女神の猟犬〉ってやつも」
「知ってるのか」
「ああ、前に一緒に探索に出たことがある。確かに強くて有能だが、正直なところ二度と組みたくはない」
「……」
アッシェルは黙ってしまった。マルバンより先に神殿の奥に進んでいく。神殿内にも列柱が並び、厳(おごそ)かにアッシェルたちを見下ろしていた。
奥には祭壇がある。祭壇も列柱も、灰色がかった、くすんだように見える淡い青だ。
ヒルマンは祭壇の前に立っていた。
「ヒルマンさん。知恵の書はここに置いたまま、家に帰りましょう。ご家族がお待ちです」
ヒルマンは振り返らなかった。
続く