ネタ的なゲームのアイデア【創作者の勢力争い】
長年TwitterXでの諸々の言説を見ているうちに、こう思うようになった。
私も含めてみんな本当は、自分の好きではない物の表現の自由など、どうでもいいのではなかろうか? 少なくとも、積極的に認めたくはないのではなかろうか、と。
そうは言っても、自分の好きではない物を排除すれば、きっといつかは自分自身にも返ってくる。
排除したい、は所詮は感情論であり、そこに一定の原則やら規定はないのだ。もしあるように思えても、それは決して公平な立場からの訴えではない。
そこで、こんなゲーム企画を考えついたのである。いくらか風刺的な意図はあるが、ネタというかジョークなので、あまり本気には取らないでほしい。
このゲームの目的は「自分の好きなフィクションを広め、他のタイプをすみっコに追いやろう!」である。
エンパワーメント・芸術文学・快楽の園・配慮する者・ノンポリオタクの5勢力がある。今回は、それぞれの勢力について、軽く概略だけを語ることにする。
《エンパワーメント》
我こそはエンタメの主流と信じる勢力。
大、中ヒット作は、この勢力から生まれることも多い。
エンパワーメントとは、簡単に言えばフィクションにより勇気づけ、力づけることである。
この勢力の中でも力のある者たちは、常にフィクションによってエンパワーメントされた状態にある。
どちらかと言えば大衆の判断を信用し、大衆によって支持された物には一定の価値があると考えるが、それは必ずしもいわゆるヒット作ではなくともかまわない。
また、大衆にある程度支持された物のすべてを好きにはなれない以上、自分の好き嫌いとはまた別の話である。
好む作風は、能動性が高く、問題解決的で、動的で、高みへと登る志向、理想を目指す志向である。
時として荒唐無稽なフィクションも生み出しつつ、現実に良き影響をもたらすのを目指すために、批判を受けた際に「フィクションであって現実とは関係がない」とする逃げを打つのが難しい場合がある。それがこの勢力の最大の弱みである。
他勢力との関係
・《芸術文学》からは、いくらか軽んじられつつも、その影響力は無視できないと思われている。
・なぜか《快楽の園》からは高尚と言われる。
・《配慮する者》から一番批判をされやすい勢力である。
・《ノンポリオタク》からは当たり前に親しまれている。しかしこの勢力は、あまり強烈なエンパワーメント効果を受けない。
《芸術文学》
現実に活かせる知恵を文学の形にするのを至高とする。
現実に影響を与えたいとするのは《エンパワーメント》と同じだが、精神的な力や勇気づけよりも、もっと静的でやや受け身な、人生そのものの味わいや、リアリティレベルの高い人物描写などが特徴である。
この勢力の生み出すフィクションには、極めて能動的な主人公は稀であり、作風もそれに応じたものとなる。
ゆったりと時が流れるような、人間関係描写を重視した展開を好む。
大衆受けするエンターテイメント作品には、否定的とまでは言えなくとも、いくらか懐疑的である。
フィクションを現実からの逃げ場としているとして、《快楽の園》を敵視する。
《エンパワーメント》には複雑な感情を抱いている。
他勢力との関係
・《エンパワーメント》からは、いくらか女性的な作風で、スローテンポだと思われている。
・《快楽の園》は、フィクションと現実をリンクさせるのに懐疑的である。
・《配慮する者》は、現実との関連から批判を行う事もある。
・《ノンポリオタク》は、ストレス解消、現実逃避としてフィクションを消費する事を、あまり認めない姿勢に抵抗を示している。
《快楽の園》
ウェブ小説投稿サイトや、そこからの書籍化(商業出版)で、圧倒的な勢力を誇る。
現実を支配する様々な囚われや束縛から解放され、フィクションの中で自由に快楽を味わえるように、疲れた人々にひと時の安らぎを与える勢力である。
比較的新興の勢力であるために、他から軽く見られがちである。そのためか、他の勢力より、批判や不支持に過敏に反応する者が多い。
大衆受けするエンターテイメントである《エンパワーメント》を、なぜか高尚と思っている。
フィクションを逃げ場にしたくない《芸術文学》とは、対立しがちである。
フィクションは現実とは関係のない避難所であると考えており、現実的な話を取り扱ったり、現実に影響を与えようとはしない傾向にある。
《配慮する者》から批判された時に、「現実とは全く関係のないフィクションです」と逃げを打てるのが、おそらくは最大の強みである。
独特の特徴を持つ異世界モノが、この勢力の最も得意とするところである。この勢力にとって異世界は、現実にはない様々な快楽や願望を満たしてくれる場所として、読者に提供される。
《エンパワーメント》や《芸術文学》が取り扱うハイファンタジーの背景世界とは、設定思想が根底から異なる。
また、大まかな傾向としては、この勢力の男性向けの主人公は、読者が共感しやすいようにあまりカッコよく書いてはならず、逆に女性向けの主人公は、読者の憧れの対象として、貴族令嬢の美人が書かれることが多い。
他勢力との関係
・《エンパワーメント》からは、別にこういうのもあっていいと思われている。
・《芸術文学》からは、フィクションを逃げ場にする事を強く批判されている。あるいは軽く見られている。
・《配慮する者》は、おそらくは現実への影響力から、あまりこの勢力を問題にはしない傾向にある。(全くしないわけではない)
・《ノンポリオタク》にとっては、他の勢力の創作物と同様、消費し、褒めたり批判したりするものである。
《配慮する者》
様々な少数弱者や女性・子どものために、フィクションをコントロールしようとする勢力。
《エンパワーメント》の力と勢力圏を、我が物にするのを当面の目的とする。
現実とフィクションを『完全に』切り分けている《快楽の園》には、よほど大きな顔をしない限りは案外寛容である。
この勢力は決して一枚岩ではなく、同じフィクションに対する評価や要望が、まるで違うことは珍しくない。
アメリカの《エンパワーメント》の中には、《配慮する者》の要望に応えたフィクションを作り出した者もいる。
しかし弱者に寄り添う《配慮する者》の志向と、基本的には強さや向上・立ち向かうことを重んじる《エンパワーメント》では本来は相性が悪く、市場に受け入れられる優れたフィクションを生み出すのは、不可能とは言わずとも難しさをともなう。
他の勢力との関係
・《芸術文学》以外からは、おおむね疎ましく思われている。
・《芸術文学》は必ずしも敵視しない。弱い立場に寄り添うのも、本来は文学の役割の一つだからである。
《ノンポリオタク》
あらゆるフィクションを偏見なく楽しむのを至上とする。好みはあれど、それは善悪の問題とは違うと考える。
よほどのことがない限り、他の勢力と激しく争うことはない。
日々争いが絶えないこの世界に平和と各自の幸せをもたらすには、お互いに理解しようとするよりも住み分けることが大事であると考える。
たとえば《エンパワーメント》だけで固めたり、《快楽の園》の勢力に、自由に快楽を与えれば世の中良くなると考えている。
他の勢力との関係
・《エンパワーメント》からは仲間だと思われている。
・《芸術文学》からは、もっと身になる物を読むべきだと思われている。
・《快楽の園》からは、あまり自分たちの創作物が受け入れられないと思われている。
・《配慮する者》からは、社会的な問題に無関心だと考えられている。
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とりあえず、ここまでです。
いつかは本当にゲームになるといいな!
ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。