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【クリエイティブ生活】マスマーケティングの限界について【男性向けとか女性向けとか】

 最近マーケティングの入門書を読みました。現在、マスマーケティングによる販売戦略は限界に来ており、現在は特定のユーザーを深掘りした方が、かえって広い範囲に刺さる商品になるとする見方が優勢のようです。

 マスマーケティングとは、出来るだけたくさんのお客様に買っていただくことを目的にして、狭い範囲ではなく、広い範囲での市場の動向を見ることです。

 これの何が問題なのでしょうか? 広く売れるならそれが一番ではないかと思いますよね?

 問題点は、今は消費者の好みが細分化されているため、ターゲットを広くし過ぎると顧客像がぼやけてしまい、購入したいと思えるほど魅力的とは言えない『商品』が出来上がってしまうことです。

 『商品』そのものだけでなく、売るための宣伝もそれなりになります。つまり八方美人的になり、かえって好かれなくなります。

 私が思うに、マスマーケティングの最たる物は男性向け・女性向けといった大まかなくくりだと思います。

 性別によるくくりが全く無効とは思いません。ただ、それにだけ囚われるのはまずいのではないかとは思います。

 マーケティングの本だけでなく、Twitterをやっていた時のあれこれを見ていてそう思いました。

 私が知るマスマーケティングの人は、とにかく一つヒットした事例があればそれを真似れば良いという考えのようでした。

 二番手、三番手に付けている商品は考慮に値せず、それは単に一番手より『劣った』物であると見なしています。

 それらが別のターゲットや市場に受け入れられているものである、それはそれで立派で必要不可欠な商品である、といった発想はほぼありませんでした。

 例えば男性向け美少女キャラクターコンテストをやったとして、一位が金髪碧眼美少女なら、とにかく金髪碧眼美少女を出せば男性受けするのだ、といった感じですね、

 で、二位に黒髪ロング黒目、三位に栗毛のショートカット緑目がいたとしたら、もう黒髪ロングも栗毛ショートもいらない、一事が万事そんな感じでした。

 いえ、黒髪ロング黒目や栗毛ショート緑目が好きな人は、金髪碧眼美少女ばかりになったら困るんですよね。(女性向けイケメンキャラクターコンテストでも同じような話です)

 ただナンバーワンを目指せばいい。従来型の高度経済成長期的なマスマーケティングのやり方なら、この考えがむしろ正しいのでしょう。

 世界のナンバーワン経済大国であるアメリカに追いつけと考えていた時のノリはおそらくそんな感じだったのだと思います。また、そうして目標に向かって邁進して来たからこそ、日本はそれなりの経済大国になれたのでしょうね。(日本より貧しい国は今でもたくさんあります)

 しかし、今では別のやり方を採用する時が来ているのであり、それは特定のユーザー、ファンを深く調査することで、ターゲットを絞り込み、宣伝も商品開発もそれに合わせる。

 すると、逆説的に多数の顧客にヒットする商品となる。

 近頃のマーケティング戦略は、そのようになっているようです。

 ただ、マスマーケティングは、『自分が(自分の創り出す商品が)圧倒的な多数派に支持されている』といった安心感や優越感を満たしてくれるという精神的効果はあると思います。

 ユーザー・顧客の側も、多数派に支持されている・共感されている物は良いものだと思う人がまだまだ多いでしょうから、マスマーケティング的な理論や宣伝、またウェブ小説なら創作論も、それで成功するかはともかく、まだまだ衰えないのだろうなと思います。

 私はマスマーケティング的なやり方ではないほうが好きです!🍀

 三番手の栗毛ショートをメインヒロインにしてやるぞ! と決めたらチャレンジするのです。

 Twitter(今は止めましたが)に「ウェブ小説読んでメインヒロインが金髪碧眼じゃないとガッカリする」とか、

 「メインヒロインは金髪碧眼にしましょう。それでないと人気が出ませんよ」などと流れてきても、

サイコパシースペクトラムを発揮してスルーし、何が何でも栗毛ショートをメインヒロインにするのてす🍀

 それくらいの気概で生きていきたいものですね。

 ちなみにマスマーケティングによれば男性は責任感のある男性が出てくるフィクションを好むそうですが、これが昭和の高度経済成長期に大ヒットした名曲と映画、それを歌い出演した大スターです。




 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 あなたのクリエイティブ生活のヒントになれば幸いです。

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片桐 秋
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