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【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ第2作目23話【深夜の慟哭】
マガジンにまとめてあります。
犬のものらしき唸(うな)り声は聞こえなくなっていた。
「聞こえますか?」
念のため、アーシェルに尋ねる。彼は否(いな)の印に首を横に振った。
去っていったのかも知れない。今のうちに、探し出して退治出来るならそうしよう。
ウィルトンたちはそう思い、地面を詳細に調べた。言うまでもなく、野犬の足跡を探しているのだ。アーシェルはこうした細かい作業には慣れていないらしく、ただ黙って二人を見守っていた。
「よし、見つけたぞ!」
アーシェルの方を見て、
「五匹くらいいるようです」
と。
「分かった。では一緒に来てくれるだろうか」
「もちろんです」
野犬ごとき、楽勝だ。そう思うが油断は禁物だ。
「ご領主様、どうかお気をつけて」
倒れていた三人のうち、白髪頭の女が必死の様子で背後から声を掛けてきた。
「大丈夫だ」
アーシェルは前方に注意を向けて、振り返らずに片手を上げて返事をした。
アーシェルは領民から慕われているらしいな。ウィルトンはそう思いながら、そっと後ろを見た。三人とも、心から案じる気持ちを見せていた。
もっとも、領民から慕われているからといって、家族にも優しいとは限らない。外向きの用事で疲れれば、家族には気遣いを見せられないかも知れない。
「出来れば妹を嫁にやりたいが、アーシェルをもっとよく知り、オリリエの気持ちも確かめなくちゃならんな。だが俺の勘では、アーシェルは実にいい男だ。ぜひオリリエを任せたい。二人とも、その気になってくれればいいんだが」
果樹園はまだ続く。
馬を進めて半刻が過ぎた。
犬の唸り声が聞こえてきた。前方ではない。側面から、いきなり来た。薄紅色の小さな花の咲く草むらに隠れていたのだ。やはり五匹いた。
犬どもは、地の底から響くような唸(うな)りを響かせる。身をかがめてウィルトンたちを見上げ、今にも飛び掛かって来そうだ。
ウィルトンは背中に背負った槍の柄を握る。かまえる。次に光の刃を放つ。犬はかわした。実に素早い。
「何かおかしい。普通の野犬じゃない」
「デネブルの呪いがまだ解けていないのだとすれば──」
アントニーは、そこまで言って黙った。次に、呪文の詠唱が始まる。
「我は、神々が使いし力を今ここに放つ。雷光よ、撃て」
詠唱は短いが効果的だった。これまでもウィルトンが見てきた通りだ。
「待ってくれ!」
ウィルトンは突如として思い出した。自分を慕っていた村娘ジュエーヌを助け出そうとして、魔犬に変えられた村の若者たちを。
「アントニー、まさかこいつらも?!」
野犬はアントニーの魔術をかわした。
「そうだとしても、元に戻す術(すべ)はありません」
アントニーの声は静かで、取り付く島もないようにさえ感じられた。
「しかし」
問答している暇はなかった。ウィルトンは槍をかまえる。放たれた光の刃をかわして、野犬は、いや、ただの野犬ではないのかも知れないそれは、ウィルトンに迫る。
犬は灰色だ。アバラが浮くほどに痩せている。長い舌をだらりと下げて、鋭い牙のある口から、よだれを垂らしている。
飢え。
野犬から感じられるのは、それだ。
敵として、ではなく、むしろ捕獲すべき食料として見られているのだ。アントニーの方を、野犬は見なかった。ウィルトンと、アーシェルだけを見ている。
背筋にゾッと寒気が走る。それを振り払って、槍から光の刃をさらに放つ。
野犬は二匹来た。ウィルトンは、二匹とも跳躍してかわした。
アントニーも跳躍した。この朝の陽光の中、いつものようには高く跳べないようだ。アントニーは、野犬が自分を獲物とは見ていないのを利用している。獲物ではないゆえに彼の方を見ないのだ。
ウィルトンの盟友は跳躍して、野犬の背後に着地する。いつもよりは遅い動きだが、先祖の骨で作られた白い杖をかざして、背後からまた『雷光』を叩き込んだ。
「天の雷光よ、敵を撃て」
その声に続いて、轟く雷の音。
雷そのものを再現した電撃による痺(しび)れは一匹を直撃した。その音に残りの犬たちも怯(ひる)んだ。
その隙を逃すウィルトンではない。それはアーシェルも同じだった。
アーシェルは剣を抜いて素早く切り掛かる。腰から下げていた剣は長剣で、彼の足よりやや短い。
長剣を上から振り下ろすのではなく、下からすくい上げるようにして、切る。切った。犬の毛だけを。
犬どもは、五匹とも後方に跳んで離れた。
人間二人とヴァンパイアとの間で、にらみ合いが続く。
犬は逃げていこうとした。背を向けて、駆け出す。
距離が離れた。
アントニーは、『氷結の嵐』を呼んだ。逆巻く風は、凍てつく冷気を犬どもに叩きつけた。
苦しげな声をあげる。ウィルトンは、微かに哀れみの情を感じた。それは、犬どもが、元は人間だったかも知れないと思うから、だけではない。
敵がどうであれ、戦い、殺すことでしか、身を守れない。そのものに対する、哀切の念であった。
犬どもは死んだ。皆、凍えて死んだ。何もかもが冷たく、今は風の音だけが聞こえていた。
続く
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