ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第47話

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 ウィルトンが言っていた通りの半刻が経った。アントニーがそっと彼を起こす。

「さあ、もう時間ですよ。起きてください」

 何も目印がなくても、例えば日時計や歯車の仕掛けの時を報(しら)せる機械がなくても、アントニーは体感だけで時間をほぼ正確に測ることが出来た。彼が半刻だと感じたなら、実際に半刻なのだ。

「ああ、よく寝た。おかげで疲れが治ったよ。パンの味の木の実も美味しかった。さあ行こうか」

 こうして一行は、焼きたてのパンの味がする木の実のなる木から離れて、元の岩の場所に戻った。

  それからまたブルーリアが先に立って案内する。ウィルトンとアントニー、そしてアントニーの上質な黒い革の背負い袋の中に入ったロランは、その後ろからついて行った。この旅は順調に続くように思えた。しかし──

 また一刻ばかりを歩いた頃、遠くから逆巻く水のうなるような音が聞こえてきた。ウィルトンにも、この音は覚えがあった。大雨が降って、川が氾濫(はんらん)する時の濁流の音である。

「なんだこれは。ここじゃ川はないって言ってたじゃないか」

 ブルーリアは、

「川はないわ。でもこういうことは、たまに起こるの。ここは 呪われた地下世界なの。地上での常識は通用しないのよ」

「困りましたね。私は流れる水には弱いのです」

「この水に呑まれたら俺たちだって流されてしまうぞ」

「早く高台に上がらなければいけないわね。高い場所に登れるように岩を探しましょう。大きな岩を探しましょう。この近くにあるはずよ」

 アントニーのヴァンパイアとしてのよく利く目は、すぐにその大きな岩を見つけた。

「さあ、あちらに急ぎましょう」

 今度はアントニーが先に立って走り始めた。ウィルトンとブルーリアはその後に続く。幸い、濁流の音はまだ遠く、すぐ近くにまでは迫ってきていなかった。

 一行は走った。一番先頭をアントニーが走る。ついでブルーリアが、最後に ウィルトンが続いた。

 轟々(ごうごう)と水の音が背後に迫りつつあった。ウィルトンはそっと振り返った。思ったよりも近くまで水が来ていた。

「おい、まずいぞ。何か水に浮く魔法はないのか」

「水に浮く魔法はあるわよ。でもこの速さでは流されてしまうでしょうね」

「仕方がありません。ごく短い間だけなら空中を飛べるように出来ます。ただ、三人が一度には難しい。でも、きっとあの岩までなら行けるでしょう」

 アントニーはそう言って、魔術の呪文を唱えた。

「宙に浮かび、空(くう)を行け」

 三人の体が、その通りに宙に浮かび、そして空中を真っ直ぐに大岩の方へと向かって行く。

「すごい、飛んでいるぞ!」

 ウィルトンは思わず嬉しくなって、はしゃぐような声を上げた。我ながら子どもっぽいなと思ってしまう。もし本当に、子どもの頃にこのような魔術をかけてもらったのなら、もっと派手に騒いでいたはずだった。

「ウィルトン、気持ちは分かりますが、今は遊んでいるんじゃないんですよ。大岩にたどり着くまでは油断しないでくださいね」

 アントニーにそう言われて、ウィルトンが素直にうなずく。

「そうだな、その通りだ」
 
 背中の背負い袋をしっかりと背負い直すと、両手足を前に突き出した。大岩に着いたら、すぐに着地できるようにするためだった。

 宙を行く速さはさほどでもない。小走り程度の速さであるから、大岩に衝突する恐れはなかった。 だから、念のためである。気を緩めない方がいい。そう思っていた。何しろ、ここでは何が起こるか分からないのだから。

 ブルーリアは言った。

「もうすぐあの大岩に着くわね。そうしたら、もう大丈夫よ。あの岩につけば大丈夫」

「本当にあそこには危険はないのか」

 ウィルトンは尋ねた。

「ええ、大丈夫。あの岩のことは私はよく知っているもの。あの大岩の中にね、下に行く通路があるわ。その中へ下りて行って、そしたらしばらくは安心して暮らせる安住の地があるの。この呪われた地にふさわしくないような、素晴らしい場所がそこにあるのよ」

「へえ、それはすごいな。だけどそれだったらみんな何でそこでずっと過ごさないんだ?」

「そこはね、古来から特別な魔法がかかった土地なのよ。危険な生き物の魔法を無効にしてしまうのだけれど、私たちが魔法を使うこともできないの。考えてみて、私たち妖精はね、魔法を使わないと自分たちを維持できないのよ」

「維持、出来ない?」

 ブルーリアの言い方を奇妙なものに感じて、ウィルトンはそのまま繰り返してしまう。

「そうよ、単に魔法で花の蜜を生み出せなくなるだけじゃないの。水も生み出せないし、体の健やかさも心の健やかさも保つことができないのだから。魔法を使えない状態でずっと過ごすことはね、とても危険なことなのよ」

「ブルーリア、そんな場所にいて本当に大丈夫なのですか?」

と、アントニー。

「しばらくなら大丈夫よ。しばらくだけ休みましょう。あなたたちにとっては何も問題なく過ごせる場所よ。あそこはとても過ごしやすい場所のはず。でもね、あなたたちは私に約束してくれたわよね。この呪われた地下世界を呪いから解放するんだって。だからお願いよ。その言葉は忘れないでね」

「大丈夫だ、もちろん忘れないさ」

 ウィルトンが受けあった。アントニーもうなずく。

 そうしているうちに、大岩に着いた。三人はその大岩の一番上に上り、濁流があたり一帯を満たす壮大な光景を見つめていた。

「さあ行きましょう、この大岩の少し下に、さらに地下へと行く通路があるの。私が案内してあげる。ちょっと見には分かりにくいから、他の妖精はあまりよくこの場所を知らないのよ。知っているのは、そうね、このあたりで私くらいかしら」

「よし、頼んだぞ。案内してくれ」

 こうして三人は、通路の中へと下りて行ったのである。

続く

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片桐 秋
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