学校に行かないという選択(五)~その後のこと~
色々あって、高校生にまでなった娘ちゃん。
元いた学校の「あの子たち」がどうなったのか。ちょっとしたアクションもありました。
退学した学校の子たち
今考えれば、ものすごく入学したいと思って受験した小学校でしたが、その系列の中学校と高校にはあまり魅力を感じていませんでした。
なぜなら、中学校から受験して入ってくる子が多くて、学校自体のカラーがだいぶ小学校とは変わってしまうのが見えていたので。
正直私は、娘ちゃんに合う学校があったら、高校からは別の学校に出てもいいかもと密かに思っていたのでした。だから、現実になって、ある意味良かったなと思いました。
娘ちゃんへの意地悪を続けていた子たちは、その後楽しく学校に通ったのでしょうか。興味もないのですが、向こうから探りを入れてくるのですよ。
中学3年生で、娘ちゃんが公立中学校に馴染んできたころに
「修学旅行のお土産買ってきたから渡したい」とかなんとか言って、グループのうちの一人が、娘ちゃんを呼び出しました。
いじめぬいておきながら、まだ追い打ち
意地悪グループの中でも、中心ではない子からの誘いだったので、まあいいかと娘ちゃんも会いに行きました。自分も修学旅行に行ったので、お土産持って。
おそらく、今の娘ちゃんがつらい思いをしていることを期待していたのでしょう。そして、グループの中でだれかが様子を見に行くという計画だったのだと思います。
散々、今の娘ちゃんの様子を聞いておいて、お土産は持ってこなかったと。
なんと、わかりやすい。
そのころの娘ちゃんは、旧友たちとの再会で、情緒も安定して楽しそうにしていました。きっと、呼び出してきた子は期待外れだったことでしょう。
お母さんたちからも調査受ける
娘ちゃんが学校をやめたという話は、すぐに広まっていたようです。
すると、小学校時代から知っているママたちから、ランチの誘いが。
行くわけありません。その人たちの娘が、うちの娘ちゃんになにをしてきたか、知らなかったとはいえ、不登校からの転校したという事実を知ったとたんに「ランチしましょう」って、なんだ!?
近所に住む、幼稚園と小学校が両方一緒だった子のママは信頼できると思って、だいぶたってからお話ししました。それは調査ではなかったと信じたい。
担任の先生の涙
元いた学校の担任の先生は、とても親身になって相談に乗ってくださいました。多分、色々気が付いていたのだと思います。
ただ、私が何度も学校に行って、「犯人に会わせろ」的なことを毎回言うので、別のクラスの担任が同席するようになりました。若い女性の先生が、余計なことを口走ってしまわないように監視されているみたいに。
だって、その別のクラスの担任は何の関係もないのです。
最後に転校手続きに学校に行って、娘ちゃんも一緒にご挨拶しました。
私たち親子は、さっぱりした気持ちでさっさと荷物を引き取ったりしていましたが、先生が泣いていました。
きっと、言ってはいけないと学校から言われていたこととか、なにか気づいていたけど飲み込んでしまったこととか、あったんだろうなと。
その後、転校してからもメールでしばらく相談には乗っていただきました。大学合格したときも、メールでですがご報告させていただき、大変喜んでくださいました。
多分、学校もいろいろあるのでしょう。
あの学校では味わえなかったこと
娘ちゃんが進学した高校では、海外交流がさかんでした。
娘ちゃん自身も、学内の選考をパスして海外に短期留学をしたり、海外の生徒さんを自宅で預かって生活してみたり。
前の学校では絶対味わえなかった世界を体験しました。
勉強もたくさんさせる学校でしたが、日本の枠でははみ出てしまうほどの個性豊かな娘ちゃんなので、本当にありがたいことでした。
今ではもう、笑ってネタにするほどのことです。
過去を振り返るのが好きではない私と娘ちゃん。
でも、なぜかちょっと文章で記録しておきたかったのです。
日々幸せに暮らすことができるのも、色々なつらいことを乗り越えてきたから。またつらいことがあっても、前を向いて一歩ずつ進んだらきっと光が見えてくるって、信じています。