絵を整理して気づいたこと
お久しぶりの記事となります。
漫画家先生のアシスタントをしております、
かたばみです。
私が小学生の時、親に「やりたい事なんでもやっていい」との言葉に油断して
「漫画家目指します!」と答えたところ、その後30年くらい引きずるほどの勢いで怒鳴られました。
私が高校生の時、美術部で3年連続、高校の美術展で入賞した時、親いわく「こんなの上手くいくわけがない」と辛辣なお言葉。
さらに、「大学卒業するまでやりたいことやってはだめだ」と怒鳴られるしまつ。
大学生の時、私は絵を禁止されたと思い込み
演劇部にはいる。大学卒業したら絵を描く事を赦されると思い、演劇に全力を注ぐ。演劇は楽しかったが本当にやりたかったのは絵。
大学卒業のとき思いもよらない展開に。
私の一つ上の学年の先輩が、大学のあるI市に劇団を旗揚げする。当然のように芝居続けるだろうなと圧力。「いや私は東京に行って漫画家を志す..」
劇団との人間関係を切るのに時間がかかった。妥協案はないのかと考えたが、結局、漫画家を目指すか演劇をやるかの二択しかないのだ。仲間を裏切るしか道はなかった。10年以上悩みつづけた。卒業してしばらく、公演があるときは東京からI市まで(電車で2時間ほどかかる)行った。大道具を作り、フライヤーを描いた。ある時心が事切れた。もういい、大学の仲間は切ろう。
なんて上手くいかない人生だろう、私は思っていた。
ある時新宿のライブハウスで、あるアーティストさんの演奏を初めてみる。すぐファンになった。次のライブが池袋だというので池袋のライブハウスに行った。2018年の4月1日のことだ。
その池袋のライブハウスのマスターがバー営業の時、ドリフターズの話をした。
「音楽バンドだったドリフターズがなぜお笑いをやる事になったか?」
私の記憶がたしかなら、「それは、音楽を志す者、エンターテイナーであれという、事務所の社長の意向だったんだよ」とマスターがおっしゃった。
私はその話にとても感動した。なぜ感動したかがその後わかる事になる。
去年の年末、バー営業の時マスターは私にいいました、「かたばみさんは、かたばみさんらしく生きてください」と。
その時私は、生まれて初めて絵を描く事をゆるされたような気がした。自分より立場が上の人の言葉は、時には自分の生きる指針となる。
ドリフターズのエピソードと合致したような気がした。
上手くいってない人生と思っていたが、上手くいかなかった事がすべて次へのステップだったと思えるように。
今年になって、ある人間関係が終わったり、昔の人間関係が復活したり。有難うマスター。
アーティストさん達とのお話はまた今度するかも。