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ゆらゆらとゆらめくココロの中で

なんとなく、こんなタイトルで書き始めてみたくなった。「文章を書く」という行為を久しくしていなかったので、文字をただ思いのままに書き連ねることの喜びに純粋に身を委ねてみようと思う。普段文字は書くけれど、あくまでコミュニケーションの手段であって、それは受け手を強く意識するものだ。自由にのびのびと、字数制限やわかりにくさ・読みにくさも度外視して、ただ書くことだけを自分に許してあげる、そんな時間。

気づけば、SNSに書く文章も、随分と受け手の存在を意識するようになった。これ言ったら誤解を生むかな、変に捉えられたく無いな、無知と思われたく無いな、文章下手だと思われたく無いな。気づけば、「〜したい」よりも、「〜になったらヤダな」をよく考えてしまうことがある。やっぱりそれっておもんない。社会活動を円滑に進めていく上では、必要なスキルかもしれないが、自分で自分の書いた文章を、凡庸で面白く無いなーーと感じてしまう時こそ、悲しいことはない。よくわからんこと言ってるけど、なんか気になるな、おもろいなと、少なくとも自分で思える自分ではありたい。(人に思ってもらえたらもっと嬉しい)

以前noteを書いたのは、SOZOWに入る前、入社を決めたあたり。あっという間に月日は流れ、ありがたいことに、最高に楽しくチャレンジングな環境で、毎日のびのびと仕事をさせてもらえている。人生で一番仕事が楽しくて仕方ない時期かもしれない。マジで心からシェイシェイ。

先週末は、こんな素敵なイベントに半運営みたいな立ち位置で参加して来た。(結果として誰よりも自由にのびのびエンジョイしてた気がする)

心理的安全性が非常に高い場で、何を言ってもよくて、受け止め合いながら場の時間が心地よく流れて行くような感覚があり、二日間かけて、じっくり心と頭のヨガをしている気分だった。ぐーっと伸ばしたり、心地良い位置で身体を止めたり、ちょっと刺激してみたり。心と頭がほぐれて行くのを感じて、とっても気持ちがよかった。行ってよかったなあ。

こういう対話の場に出逢い、触れ続けて来た20代だった。(まだ2年はあるが)人生の意味を問うたり、自分が何者か深く内省したり、自分とストイックに向き合うことを、何度も何度もやり続けたここ数年間だった。

現時点での結論めいたものは、「今にフォーカスして、生をめいっぱい感じて生きることが、人生の充実につながる」というものであり、とやかく未来の不確かなことをゴチャゴチャ考えて嘆くよりも、今できる最善の選択を真摯にひたむきに重ね続け、一つ一つの出来事を深く味わっていくことに、人生の意味みたいなものを見つけている。

とやかく言うことはそんなに無いが、そこに辿りつけたここまでの過程に感謝を感じると共に、出会って来たすべての人たちが今の自分を形づくってくれていると思うと、有り難い気持ちでいっぱいになる。自分の彫刻刀になってくれたり、やすりになってくれたり、時にはトンカチとかになってくれたりしてどうもありがとうございました。

久しぶりに文章を書いてみて、結構満足した。とりとめもなく、構成や文体を気にかけず、心地よく自分のテンポやペースで文章を書いて行くことは、とっても豊かで幸せなひとときなんだと気づけたことが、幸せだと感じる。随分筆が遠のいてしまっていたが、気負わず自由に書き連ねることを続けていきたい気持ちがむくむくと。

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