真雪アナザー[4]
胸の痛みは気の所為じゃない。
春休みの最終日、真雪は自分に課していた春休み中の説得を守れなかった事実に酷くうろたえた。
どれだけの期間があったことだろう。そしてすべき事を成した後に増しただろう集中力を、先延ばしにすることでどれだけ失ってきただろう。
全てを分かっていながらもただ一つ、その全てを齎せられる唯一つのことができない自分に底知れぬ過信と浅ましさを感じ悶えた。
私の身体を動かせるのは私だけなのに私の夢を追うことができるのは私だけなのに、動かぬ頭と口を呪えばすぐ後に呪うだけの自分をまた愚かしく思い、頭の中の後ろの方で張り裂けてきた理想の昨日の明日たちと今まさに張り裂けんとする今日の明日が無残に果てたり果てようとする姿を認めては涙した。
キッチンのチェアーの上で体育座りでうずくまりほとばしる感情に身をまかせる一方で、真雪の心の中のまた別部分が静かに強く言い放った、この涙を最後にする、と。
それから数日の間、自分に覚悟が無いことを認め後悔に割く時間を無くすことを始めとして自然と意識が変わっていった。
誰かに強制されているわけではないしまた誰かに強制されることもない、その上で自分が望む行動なんだと強く強く思った。
遂に昨日、出張中の母に進路の相談がしたい旨を電話で告げた。進路の「ろ」で真雪の声は上ずり、胸に手を当てずとも感じ聞こえる鼓動を頭から振り払い言葉を続けた。
母の返答はある意味では想定内であり予想外だった。
真雪が告げた後、何かを逡巡するような僅かな間があり、真剣な声でただ「分かった考えておく」とだけ告げられた。考えておく、という言葉が少しの混乱を生み文字通り頭が真っ白になり、機械的にありがとうと伝え、何時に帰るか夕ご飯はどうするかと台本通りに会話を進めた。月曜日、つまり明後日の夕方には帰宅する予定だそうだ。今何よりも大事なその予定は手帳に書くまでもなく、そして別れの一言二言のあとゆっくりとスマートフォンを耳から離し通話を切った。
それから少し真雪は放心状態でチェアーに身を任せるままキッチンライトを仰いだ。
ぼうっとした頭の中まで差し込むような感覚と共に照明の光が視界を覆う。
真雪の母はインテリアに関しては多少値が張っても惜しまず購入する人だ。必要数の二倍の数は椅子が、しかも趣も機能性も凝った一品と言うに相応しい椅子たちがあり、各部屋ではそれぞれの部屋で寒暖色異なる間接照明が配置され見た目は木彫りやガラス、和紙など各タイプが部屋の雰囲気に合わせて置かれていた。
そのためマンションのただの一室とはかけ離れた豪華かつ統一感のある落ち着きもある一室となっていた。沙衣が遊びにくるたびに飽きずに自撮りをする様子には呆れたポーズはとるものの我が家が物珍しいことは流石に分かっていることなので特に気を留めることもなかった。
今真雪の見つめる先には鉄の風合いのあるアンティークブラックの照明がある。細いコードで天井から1mほど垂れ下がりペンダント部分は帽子状で下の方が外はねになっており潜水艦の先のような形の鉄網がソケットと電球を覆っている。
灯るペンダントライトを見ながら、2年前母と外出した際に偶然真雪が見つけて一目惚れでねだって買ってもらったことを思い出した。今回は物をねだるような説得とは違うのだ。ライトの光を睨み強く心に刻んだ。