笑顔が素敵な母
私の母の笑顔は最高の笑顔だ。
この笑顔に今までどれだけ救われて来ただろう。
中学生の時に、人間関係に苦しんでいるときも家に帰ればいつも母の「笑顔」がある。
母はとても素直な人間だと思っている。「いってらっしゃい」「いってきます」「ごくろうさまです」はもちろん、家族みんなに欠かさず。
私はというと...父にだけは出来なくなってしまった。以前は挨拶してたのに一時的にシカトされてから、怖くて挨拶が出来なくなってしまったのだ。
息子にも小さい頃、父に挨拶している頃の自分を見せ「こうして挨拶するんだよ。」と教えてあげたかったが、何故か出来ない。
短気な父が一人でぶつぶつ怒りだし、その日は険悪なムードになってしまうのだが、どうしても話するのも嫌な時もあるけど、仕事から帰宅すると「ごくろうさまです」という挨拶だけは欠かさずしている。
機嫌が悪かった父もねぎらいの言葉を一言かけられるだけで、機嫌が全く違うように感じる。
母自身も前の日の嫌な気分が抜けないだろうに、その言葉だけは絶対に忘れない。
「毎日笑顔でいれるようにしよう!」と母は言う。その後ガハハとたまに汚い笑いをすることもあるが、なんだか許せる。
私が初めてうつ病になった時に「私は長生きしなくていいや。60歳くらいで死ねればそれでいいや。」という話をした。
当時40歳だったいつも笑顔だった私の母が私のその一言に、肩を震わせ泣いた。
あの頃は死にたい衝動にかられて、それしか考えられず、しかもその時は未来の60歳がこんなに若いとも想定していなかったのも、ある。
「本当は今すぐにでも死ねるものなら死にたい」
そう思ってた。
40歳だったその時の、母の年齢を私はもう越えている。
そんな私は今、その頃の母の状況と似ている。
母は60歳を越えたが、年々たくましくなったように思える。
逆に私は弱くなっている。息子の発達障害とうつ病、不登校になってからは精神的な浮き沈みが多く、最近も辛い状況に陥ってしまった。
全く眠れず、次の日はさすがに運転すると危ないかもしれないと思ったので、母に運転をお願いする。
私も初めてうつ病発症した時は、まったく話せなかったけど、母には何度も”死んでいる状態”を見せているので、苦しくても何故か全て話せてしまうのだ。
そんな時でも、40歳の母は涙をながしていたが、60歳の母は落ち着いて聞いている。
もしかしたら、心の中では母も苦しいし、辛いのかもしれない。
そんな母では決して弱音を吐くことはしない。
20代に薬を大量に飲んでしまったのを知らずに、私を温泉に連れて行った母は、私が湯船で寝てろれつが回らない状態になってる時に、引きづって服着せてくれたらしい。
私はその時のことは全く覚えていない。
よっぽど慌てたろうし、辛かったに違いない。
その頃の母と今の私と息子の親子の状況が似ているように思える。
長年息子を見ている母は、私の次に息子の良き理解者でもある。
私も母のようにたくましく、笑顔が似合う人間でありたいと思う。
うつ病は、うつ病になったことのない人には、到底理解できるものではない。
長年うつ病につきあっている家族だったり友人になら、いくら重症になろうと話せるようになるのだ。
ただし、「理解しようとする心」が一番重要になるはずだ。
私が初めて重度うつになった時は、母とすら話すことが困難だった。
うつを発症するまでの私は、ずっと自分に嘘をつき続けていたからだ。
「いつも元気な自分」「元気でいなければいけない」「弱い部分を見せるのは恥ずかしい」と思ってたからだと思う。
長女でしっかりしなければいけないという気持ちも大きかったのも覚えている。
今ではあまりにしんどい時は言えないが、笑いに変える事もある。
私も母から伝染したのか、たまに息子の発達障害について、笑いに変えている自分に気がついた。
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