子供を思い通りに操る母親の素顔に驚いた
こんばんは。はじめまして。
初めてnoteに挑戦しています。
Twitterにて発信しているのですが、こちらの方が静かに語れると思ったので、こちらから発信しています。
私は43歳で息子が一人(現在高校1年生)がいます。
私はうつ病、息子は知的を伴わない発達障害と二次障害のうつ病です。
親子二人でうつ病ってどうなんだよ?ってシャレにもなりませんが(・∀・)
離婚してひとり親で実家暮らしなので、唯一心から悩みを相談出来るのは母しかいません。
今が一番孤独な時期かもしれないです。
家族以外と会話しなくなったのは、二年くらい絶ったかもしれません。
原因は息子の発達障害が解ったあたりだったと思います。
保育園の頃までは「やんちゃで落ち着きなくよく喋る子だな」とは感じましたが、そのくらいの歳の子供にはよくあることだと、気にも止めていませんでした。
小学校に入学して、数ヶ月経った頃トラブルがありました。
保育園の頃からとても仲良かった友達だったのですが、その内容はいじめに近いと感じました。
私は憤りを感じました。私が過保護なのでしょうか-_-#
当時息子は学童保育に通っていたのですが、学校から仲の良い男の子と同級生の女の子3人で学童に向かったそうです。
道中、家の横が草と家の生活用水路が流れているので、大きな池が出来ています。
仲良しだった男の子は、汚い用水路池に入るように命令されたそうです(`Д´)
命令された息子はとても嫌がったのですが、突き落とされて長靴を履いていても足が埋まってしまい抜けなくなったそうです。
何度も助けを求めたそうです。女の子は見ていることしかできず、その男の子(A君)は「しょうがねーなぁ」の一言で、息子の手を取り引っ張って引き上げたそうです。
その後もう一度突き落とされて、同じ繰り返しされて学童には行かず、真っ直ぐ家に帰って来ました。
どうしたのか息子に聞くと「Aに池に落とされた~」と大泣きして帰って来た。
足元見ると、長靴は両足とも元の色が見えなくなるくらい、中は真っ黒。
白くてキレイだった靴下は、ただの遊んだ汚れではなく、真っ黒の靴下に変わり果てていました(>_<)
このときの出来事は、息子のトラウマとなっており、高校生になった今でもたまに思い出したように話します。
このくらいからです。息子も苦しみだして、私も学校が恐怖に変わってしまったのは...。
この事件があった時、加害者の男の子Aは自身でも自分がやったことだと、認め母親に話したのかと思いきや、素直に話さなかったらしいのです。
その母親ともそれまでは、保育園の頃からずっと仲良くさせてもらっていましたが、このことで疎遠となりました(`ε´)
母親が謝ることがなかったのです。
私の息子が勝手に池に落ちたんだと、そう信じて疑わなかったのです。
母親が息子の事を最後まで信じていました。
息子は確かに、運動神経は良い方ではありません。
運動神経の事をバカにしたり、いつも息子を上から目線で見ているような子でした。
原因はバカにされることで、ケンカになることもしばしばありました。
ただし、自分から池に入れるような度胸があるかといえば、そうではありません。
その後からです。噂が広まったのか、私は行事に行く度同級生の母親たちには、冷たくあしらわれるようになったのです。
楽しみだった行事すらも、苦痛でたまらなくなりました。行事があるたびに、学校の玄関まで行くと足がすくむのです。
親同士は話をすることはなくなりましたが、息子とAはそれもお構いなしに無邪気に遊んでいたので、子供同士遊ぶ分には私は反対はしませんでした。
事件があった一年後、Aは息子と二人で学校終わってから、私が仕事から帰ると家で遊んでいました。
Aの母親は「息子の家には遊びに行かないこと,口も効かないこと,構わないこと」と言い聞かせていた話は息子から聞いていました。
それなのに、Aが遊びに来ているじゃありませんか!
おそらく、ずっとAもそれまでよく遊びに来ていた、息子の家に遊びに行きたかったんだと思います。
私は「A、ゆっくり遊んで行ってね」とだけ話し、Aは私に対してとても気まずそうな様子で「・・・うん。」と返事をし、遊んでいました。
なんだかんだ言っても子供なのです。急に引き裂かれたのですから、二年生なら家も近ければ遊びたかったはずです。
私はAもかわいそうな子だなと感じました。何でも親の言いなりに育てられ、悪い事をしても悪いとも叱って貰えないというのはどうでしょう?
こういう子供は、親の言いなりにならなければ褒めてもらえず、否があったとしても”どうせ親がなかったことにしてくれる”という自分を見失わないかと、思いました。
世の中には自分の息子を、信じすぎる親が多過ぎるのではないかと周辺の親を見てきて、そう感じました。
うちの住んでるところだけにウジャウジャ居るのでしょうか?
子供の事を信じてあげるのは、もちろん大切な事です。誰しもが自分の子供を信じない親は居ないでしょう。
私もそれは同じです。
「信じる」という意味を勘違いしているといいたいのです。
子供に否があろうとなかろうと、決して怒らずに落ち着いて聞き、否があれば否を認めた子供に「正直に言ってくれて、ありがとう」と言い、否がなければ「解った。信じるよ。」と話してあげるのです。
真っ直ぐ向き合えば、子供は絶対に話してくれるんです。嘘か本当かも見分けはつきます。
そしてこころから抱きしめてあげることだと思います。
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