身障と発達障害を抱える男は世の中クソだなーと酒をのむ。障害者と努力 その1
ようやく11月になって肌寒さを感じ始めた。
私が住んでいるところは本来だったら10月には寒い季節に入ってもおかしくないのに、11月に感じるということは地球は日本の10月を消し去ったわけだから、
10月をどこやったんだよ、かえせよ!俺の10月を返してくれよ!!
って文句をつけてもおかしくない。だって10月の気候じゃなかったんだもん。
そんなことはどうでもいい。重要なのは、寒い季節がくると身障の体は関節の節々がいたくなり、動かしづらくなる。さらに発達障害の派生によって感覚過敏症があるので、寒さは人一倍で痛みになるので、油断をしていると朝目が覚めたとき、いつの間にか体が冷えて、アルティメット地獄、体が動かない。クソである。
そんなからだをひきずり、仕事に行くと時間はぎりぎりだ。
間に合ってはいるのだが、出勤時は上司との朝の会がある。こうなった理由は当然聞かれる。
根掘り葉掘りと家での過ごし方を聞いてくる。
どうやら家での過ごし方が出社に影響が出てるのではないかと思っているようだ。
あながち間違ってはいない。
脳性麻痺に発達障害だと生活をその二つに振り回され、一日の生活をするだけでも体力はすぐバテるわ、発達障害は常に頭はフル回転なので精神的にも休まらないわでふりまわされてはいる。
とはいえ、仕事で遅刻は全くないので、一応問題はないというのだが、こと自然的な疲れが出ることに関しては
「もっと努力をしましょう」
ウンっ!???
「それはもう、根性でなんとかしましょう」
根性でどうにかなるのか?そういうの?
「まぁ、ララさんのいう痛みの感覚はわかりませんが」
わからないなら言わないでくれよ、
一番逃げ場がなくなりおまけに傷つくんだぜ
フックが顔面に入ったあとに鈍いボディーブローを二発入れられたようなものさ。わかるかい?ねぇ?わかるかい?その発言?
みたいなことは日常茶飯事でよくあること。
大体が健常者と障害者のすれ違いであり、
原因は感覚の違い。それも努力をすれば健常者
と障害者の溝を埋められるという安直な思考だ。しかし、これは溝を深めるばかりだ。
何故なら障害によって妨げられている所を直せば、彼らは問題なく健常者と同じように働けれるというものではない。改善点をだすと、また課題がでる。障害者によってはやり方を逐一変えるために混乱をきたしてしまう、ということまで気がつかないし、話してもわからない。そして、自分がだした改善点で解決しないと、急に投げ出す人がおおい。
俺に言われたこの発言もそうしたものからでたことでもあり、これを言われるといくら障害者雇用で入ってようと、逃げ場がない。
自分の障害のここが辛く、作業にミスが出やすいから工夫したいといっても
「自分で考えましょう!!」
といわれ、終わりであり、自己で考えて作業をすれば、
「やり方が違うのでもとの感じで!!」
ということで結局元の木阿弥で、結局ミスが多くなる。すると
「一体ララさんはどうすればいいと思いますか?自分で工夫を考えていますか?」
これ、おれ悪い?なんかループ化をわざと考えているようにしかおもえない。