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「留学」と「移住」の心持ち
今日は、2018年に韓国留学したときと2024年に移住をしたときで、自分の心持ちがどう違ったかについて、最近考えてみたことを少し書いてみようと思います。
2018年に留学したとき、私の韓国語レベルはTOPIK(韓国語能力試験)4級でした。4級は中級レベルですが、私はスピーキングが弱く、留学先のクラス分けテストの面接で「リーディングとライティングは4級でいいけど、スピーキングをもっと練習したかったら3級スタートを勧める」と言われて3級からスタートしました。
留学時は韓国語をどうにかして身につけたい気持ちでいっぱいだったので、いろんなところから「韓国」を吸収しようとしていました。
言葉は文化と切っても切れないものだという考えから、振り返ってみると、韓国人らしいものの考え方や韓国人らしい振る舞いを真似してみることを無意識のうちにしていたように思います。
このとき韓国人だったらどうするのか、どう答えるのか、そんなことを考えながら毎日生活していました。
語学堂に留学した経験のあるかたはわかると思うのですが、語学堂で韓国語ネイティブの人は基本的に先生しかいません。大学によっては「トウミ制度」という韓国人大学生を何か困ったときに留学生が頼れる存在として付けてくれるところもありますが、私の通った語学堂にはありませんでした。韓国人の友人を作ろうとすると、学校以外のところで積極的に動く必要があったのです。
なので私が基本的にお手本にできたのは、クラスの先生と滞在先コシウォンの管理人さん、そしてたまたま大学の言語交換プログラムでペアになった今の夫くらい。あとはひたすら入ったカフェや食堂でのお客さんたちの会話に耳を傾けたり、電車の中での人々の様子を見たり、行った先のさまざまなところで目にする韓国人のみなさんをひたすら追いかけた半年間でした。
コシウォンの部屋でテレビもよく見ていました。寝るときも消さずにボリュームを下げて韓国語を聞きながら寝ていました。
あのときは本当に必死でした。
それから6年が経ち、2014年の12月中旬から韓国に移住しました。
留学が終わってから何度か韓国を訪れる機会もあり、あまり韓国が外国だという感覚もなくなっていました。距離も近く、時差もない、結婚相手も韓国人だし、なにより言葉がわかるようになったのは大きかったです。
ただ、韓日翻訳の仕事をするようになってから、韓国語がわかるのはもちろん、けれどそれ以上に求められるのが日本語力だということを痛感しました。それが作用してなのか、「日本(語)的感覚を失いたくない」という気持ちが今回はあります。
留学のときはあんなにみずから韓国に染まろうとしていたのに、今回は「日本人として、外国人として、韓国で暮らすんだ」という意識が強いみたいです。
意固地になって「日本」に固執する必要もないし、郷に入っては郷に従えというほどにすべてを韓国化してしまう必要もない。ただただ日本人としての自分を外国の地でだいじにしてあげたいというのが今の気持ちです。
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