【ちんちくりんの手】
昨日またひとつ歳を重ねたわたし。たった今一冊の小説を読了。そして、とっても大切なことに気がついてしまって忘れないように書き留めることにした。
何から書けば今のこのココロを表現できるのかとてももどかしい。
幸運にもわたしは今までたくさんの素晴らしい表現者たちに巡り合うことができた。
音楽、文学、芸術家、役者etc…。
わたしもそんな表現者になりたいと思った。
ヒトは考えることをやめてはいけない。考え続けなければならない。その想いは変わらない。
でも気づいてしまった。
考えても考えてもなりたいと思うだけではいけないということに。
それはほんの小さなきっかけが瞳に飛び込んできて釘付けになってしまった。
絵の具だらけの手。昔、霜焼けだらけでふしくれだったお肉屋さんのお兄さんの手にきゅんとしたことを思い出した。ヒトの手はそのヒトの人生そのものを物語っている。祖母、母にそっくりな決して美しくないちんちくりんのわたしの手はまだ何も物語ってはいない。なりたいなりたいと思うだけで、この手はまだ何も生み出してはいないのだ。
彼のその絵の具だらけの手は彼そのものを何と素晴らしく表現しているのだろうか。
もちろん作品が素晴らしいことは言うまでもないが、
表現すると言うことは音を奏でることであったり、言葉を紡ぐことであったり、色彩で彩られることであったり、肌で感じることであったり、カタチにならなくとも他者に伝えることではないのだろうか。
そこには必ず賛否両論が存在するが目に見えない電磁波のようなものに乗せて、他者に届けることで初めて真新しい宇宙が広がっていくのではないかと思う。
今度また彼にお会いすることがあればぜひ聴いてみたい。その絵の具だらけの手は彼の中にどんな宇宙が広がっていて何を想い描き続けるのだろうか。
代々受け継いだわたしのこのちんちくりんの手で何ができるだろう。考える前にこの手を慈しみまだ未知なるなりたいものを生み出さなければならない。
大昔、何も分からずにこの手を乱暴に使って旅していたように…。まだ錆びてはいないだろうか。
明日の朝、また早く目覚めたら真新しい空気の中を散歩しながらもしかしたら思い出すかもしれない…。
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