私は妄想した。

私は妄想した。
上野の国立西洋美術館の入り口に、法悦した修道女の大理石像がある。
濁った空は彫刻をまろやかな風合いにする。
そのヴェールに手を添え、ぬるくなった頬に口づけをする。
私はいま東京にいない。
いたとしても、上野で待っているのは黒光りするロダンの彫刻だけである。


これは純然たる私の妄想である。
何かが私に空想を抱かせる。
現実よりも甘美な、絶対的な充足を約束してくれる一連の刺激を思わせる。
夢がこんなにも満ち足りているなら、どうして現実に執着しようか。
散らかった部屋の美しさに気付けたなら、どうしてわざわざ整頓しようか。
朝起きて、朝食をとり、いそいそと仕事をするのは、なにも人生がそのためにあるからではない。
夢が私を出迎えてくれるからだ。
純然たる充足を楽しむために、我々は死へと肉体を疲労させているのだ。

私は石像に寄り添う。乳白色の肌は柔らかに温かく、私はその手を離せない。