ウミネコの飛ぶ京都。
「社会人にもなって正月に遠出なんて、随分と呑気なもんだね。」
「いいじゃない。あなたと違って平日は働いてるの。贅沢に後ろめたさなんてないのよ。」
「俺が金に頓着してるように見えるか。」
「見えないようにしてるんでしょ。」
「付き合い長いだと分かるか。貧乏には思われたくないもんだけど。」
貧乏にはみえないわよ、と言おうとしたけれど水の掛け合いになりそうで止めた。
彼は昔からの“知り合い”で、いまも京都で大学生をやっている。今年で5年目で、彼にも色々あったみたい。その話はもう何度も聞いたから今日はその話はなし。
今日は1月3日。私は大晦日に信州の実家に帰省して、今朝京都まで一人で旅行に来た。かなり無茶なスケジュールだけれど、明日には東京のアパートに着いていないといけない。東京で親戚同士の集まりをやって、週明けから仕事だ。
「君はいつも急に逢いに来る。年越しの京都なんて来るもんじゃない。店なんてどっこも入れないぞ。」
四条大橋付近でどうにか合流した私たちは、新年の挨拶もそこそこに喫茶店を探した。道はどこも混んでいて立ち話もできそうにない。彼は流石にここらの地理に詳しかったけれど、喫茶店はどこもいっぱいだった。暫く歩いて彼が見つけた店は、四条通りから一本入った、ビルの隙間にある地下の店だった。通りに飛び出している看板に、化粧をした狸と大きな煙管が描いてある。彼の勧めでなかったら絶対に入らなかっただろう。急な階段を下ると大きな木製のドア。彼が開けたまま待ってくれていた。
店の中は意外なほど広く、古いながらも清潔な店だった。L字のカウンターに十数席と、2人がけのテーブルが5つほど。私はソファーに座らせてもらって、紅茶を戴いた。彼は珈琲を頼んだ。
しばらく会わない間に髭まで生やして、知らない大人になったような、でも昔の彼らしいような、寂しいような嬉しいような不思議な気持ちになった。
仕事はどう?まあまあ。そっちは?来年は働くよ。だとか、誰とでもできる話題ばかりしていた。なんだか少しだけ懐かしい気分になって、それだけなのに、来た甲斐があったかななどと思っていた。
「年越し、京都で過ごしたんでしょ?なにか面白いことあった?」
ちょっと意地悪してやりたくて、昔みたいな質問をした。
彼は渋い顔をしてすぐに言い返した。
「そんな、京都で年越しするもんじゃないよ。」
少し目を泳がせて、「余所モンにとっては、だよ。地元ならそりゃ京都は一番だろうけどさ。」と付け足した。鏡張りの壁越しにカウンターの客を見たのが分かった。彼らしくって可笑しい。彼は生まれも育ちも東京で、それなりの矜持がある。一方で気が回る方でもあるから、ときたまこんなことになる。こういうのが見たかったんだ。
「年越しを吉田神社で過ごしたんだけど、若いのは殆ど留学生だった。境内で缶ビールなんて飲んでさ、祝う気持ちは分かるけど神社だぞ。それに地元の人も全然いなかった。参拝の列には合わせて30人もいなかったんじゃないか?ああでも昼間に行った北野天満宮は賑わってたよ。イカ焼きが旨かった。」
「いいお友達がいていいわね。」
「まあ、そうだね。」
この反応も相変わらず。
「そっちの年越しは地元?」
「うん。諏訪に帰って、家族でおばあちゃんの家で年越し。」
彼は本当に興味があるみたいに話を聞いてくれた。彼の親類も信州だから、満更無関心でもないのだろう。
「こっちの年越しも、そんなにだったよ。」
「とんでもない!やっぱり正月は家族で過ごすのが良いよ。」
また雑談に戻った。そろそろ珈琲も冷めてそうだなと思ってると、「思い出した」と彼が話し始めた。曰く、京都らしい良い景色を見たと。
「昨日は三条のブックオフで古本を漁ってから街中に向かおうとしたんだ。今日よりも混んでてさ、一人でその人混みを掻き分けて歩いてたんだ。風が強い日だった。丁度橋の真ん中を通りかかった時、大阪の方から、長い風が巻き上がってきた。川下に目を向けると、あれはウミネコかな、白い鳥が群で飛んできてさ、トンビも混ざっていたよ。それが橋をまたいで御所の方へ風をなぞるように抜けていったんだ。見上げると空の方でぐるぐると鳥が舞ってたんだ。綺麗だったよ。確かに俺は、京都で正月を過ごしているんだなって。」
「あら、確かにそれは綺麗ね」
私も見てみたかった。
彼は芥川龍之介の『蜜柑』が好きだった。高校の頃よく話してくれた。もう忘れてしまってるかな。
明日からまた日常に戻る。今日もまた日常だったけれど、思い出になる日常。帰りの新幹線の中で、橋の上でウミネコを見上げる彼を想像していた。