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④夜伽の国のアリア
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【第4章】夜伽の国のしきたり
朝。
翌日、わたしの部屋。
部屋の壁際に立てかけられた大きな姿見。
魔法鏡の前に立つわたしは、今日の服装を決めかねていた。朝のお着替えタイム。
窓の外では小鳥が鳴いている。朝の日差しに溶け込む鳥たちの鳴き声は、まるで自然がもたらすオーケストラのよう。耳心地のいい天然の合唱を聴きながら、わたしは鏡の前で着替えを繰り返した。
朝一番のファッションショー。
服を選ぶのって意外と難しい。えーっとぉ、今日どんな服で出かけよっかなぁ?
昨日は薄桃色のお洋服で出かけたから、今日は気分を変えて水色しよっかなぁ。山吹色も捨てがたいし、若葉色でもいい気がする。
うーん、迷うなぁ。
お出かけ用の服って、どうしても悩むよね。
いっそパッと決められたらいいんだけど、じつは服を選んでる時間も楽しかったり。朝イチの服装チェックは、乙女のたしなみなのです。
わたしは鏡の前で1回くるっとターンした。
くるりんとひと回りすると、自分の着ている服が変わった。アクアマリンからミントグリーンに衣装ちぇ〜んじっ。
「んー、ちょっと色が薄いかなぁ?」
わたしは鏡の前で1人ぽつりと呟いた。姿見の傍にあるベッドの上には、カノンがちょこんと座っている。
やっぱり、今日は赤系の服がいいかも。
わたしは小さな友だちに見守られながら、鏡の前で再度くるっと身をひるがえした。
今度はミントグリーンから鮮やかな赤へと色が変わった。朝の日差しに照らされた赤い服は、まるで熟れたリンゴのように鮮やか。チューリップを思わせる色合いだった。
「ん、いいかもっ」
姿見の前で腰をくるっと回して、前だけじゃなくて後ろも確認する。ちょうど腰の位置にあるリボンがチャーミング。
今日の服は赤で決まりっ。
ようやく今朝の服を決めたわたしは、ベッドの上に座るカノンに目を向けた。小さな友人がコチラを向いて微かに笑っている。
「カノンは今日お留守番ね」と、わたしは言った。「あとで帰ってきたら、色々お話し聞かせてあげるからね。いい子で待ってるんだぞ〜?」
わたしはアンティーク・ドールを手に取り、ベッドから窓辺の木棚の上へと移動させた。カノンの首からぶら下がっているペンダントが、窓から差し込む陽の光を受けてキラッときらめいた。
よぉし、準備完了っ。
お出かけする前に、パパとママに挨拶してこなきゃ。
「カノンっ、また後でね!」
わたしは小さな友人に別れを告げたあと、部屋を出てから1階のリビングに向かった。ばいばーい。
部屋のドアを開けて廊下に出る。
階段へと続くフローリングが陽の光を反射している。まるで、光を受けてきらめくメノウのよう。
わたしは階段を下って1階に降りた。リビングのほうから微かに香ばしい匂いがただよっている。きっとパパがコーヒー飲んでるんだと思う。
1階の廊下を抜けてリビングに入ると、ちょうどパパがマグカップを傾けていた。カップの中に真っ黒な液体が入っているのが見えた。まるで、とっぷりと陽が暮れた真夜中のように暗い色合いだった。
どおりでコーヒーっぽい香りだと思ったぁ。
コーヒーって苦いよね。わたしはミルク混ぜてカフェオレにしないと飲めないタイプ。どばっと砂糖も入れてあげると尚よしでぇす。
「あら、アリア。お出かけ?」
わたしの存在に気付いたママが声をかけてきた。母性的な声に誘われてママのほうに顔を向けた。
「うん、これから」と、わたしは言った。「ちょっと街まで出かけてくる。ちゃあんと門限までには帰るからね?」
「はい、よろしい。気を付けてね?」
「はぁーい」
わたしとママがリビングで話していると、ソファに座るパパがコチラに顔を向けた。
「アリア。今日は転ばないようにな」とパパが言った。「昨日、寝る前にママから聞いたぞ。帰り道に転んでタマゴ割ったんだって?」
マグカップ片手にパパが話しかけてきた。口もとには僅かに笑みを浮かべている。ちょっぴり憎らしい微笑みだった。
むぅ、ママめぇ。
昨日あったこと、おやすみ前にパパに密告したなぁ〜?
「もぉ、そう何回も転ばないよぉ」と、わたしは言った。「ちょっと昨日はヨソ見しちゃってただけだもん。今日は気を付けるから大丈夫っ」
「はは、そうか。ケガしないようにな」
「わかってるってばぁ〜」
からからと楽しそうに笑うパパとは裏腹に、わたしは子ども扱いされて若干ご機嫌ななめ。その言い方だと、わたしが好きで転んでるみたいじゃんっ。
まったくもう、まったくもうっ。
パパってば、ひとこと余計なんだからぁ。いじわるはノーセンキューなんだぞ〜?
もし転んでケガしたとしても、治癒リングで治しちゃうもん。昨日マザー・フォールでリスさん治したときみたいに、ケガしたとこに手かざしてパパッと解決♡なんだからぁ。
わたしの問題対処スキル(?)を甘く見ないでよねっ。ぷんすこっ!(※怒りの表明)
罪深きパパのことは放っておいて、わたしはママのほうに向き直った。いじわるなこと言う人は「愛娘から愛想尽かされるの刑」に処す。罪状まっクロ黒りんな有罪判決〜っ!
「じゃあ、行ってくるねっ」
わたしは2人に別れを告げたあと、街に買い物に向かうべく家を出た。外に出たとたん、わたしの身体を朝の空気が包み込んだ。
しんと澄んだ朝の空気。
日中よりも冷えた空気に、わたしは身をふるわせた。ぶるるっと。
ちょっぴり肌寒いけど、歩けばあったかくなる。あんまり厚着して出かけると汗かいちゃうし、お昼になれば気温も今より上がるはずだもんね。
なので、問題なし。このまま街まで出かけましょおー。
わたしは心のなかで独り言をつぶやきながら、街へと向かう小道をスタスタと道なりに歩いた。道の両端には朝露に濡れた草花が生い茂っている。
道端に咲いた何本もの花。
青々と生い茂る雑草に紛れて、色とりどりの花が咲いている。朝の景色を彩るカラフルな花々。
陽の光を反射する朝露。花びらに溜まった水滴が朝の日差しを受けて、まるで宝石のようにキラキラと光り輝いている。わたしは道の両サイドに咲いた花を眺めながら、1本の竹のように先へ先へと伸びる小道を歩いた。
しばらく道なりに歩いていると、やがて分かれ道にたどり着いた。
二又の道の真ん中にもうけられた案内板には、左右それぞれの行き先が大きな字で書いてある。右は母なる滝。昨日の昼間、わたしが歌を歌っていたところ。
わたしは道を左に曲がって街へと向かう。
左手に折れた直後、前から人が歩いてくるのが見えた。わたしと同じくらいの背丈の女の子3人組だった。
「あら、アリアちゃん。おはよう?」
見知った顔の1人が先に挨拶してきた。わたしの同級生のリラちゃんだった。
うやうやしくカーテシーするリラちゃん。
お行儀よく挨拶するリラちゃんの動きに合わせるように、わたしもまた服の裾を指でつまんでカーテシーをし返した。あいさつのお返し合戦が始まった。始まりません。
「おはよう、リラちゃん」と、わたしは言った。「エマちゃんとアミルちゃんも」
わたしはリラちゃんの後ろにいる2人にも挨拶した。奥に控えている2人もまた、カーテシーを返してくれた。
「お、おはよう」
「おはよう……」
どことなく、エマちゃんとアミルちゃんはぎこちない動きだった。ひょっとしたら、まだ膝折礼に慣れてないのかも。
「アリアちゃん、これからお出かけ?」
ひざを折って挨拶したあとで、リラちゃんが問いかけてきた。
「うん、そうなの。お買い物しに行こうかなーって」
「あら、すてきっ」とリラちゃんが言った。「今日お天気いいから、絶好の "しょっぴんぐ日和" でしょうね?」
ちょっぴり大人びた話し方をするリラちゃん。じっさいの年齢よりも背伸びして話すところが "おませさん" って感じ。
「リラちゃんたちは、どっか行くところ?」
わたしが問い返すと、リラちゃんは頷いた。肯定を示すジェスチャー。
「んふふ〜。あたしたちねぇ、これから幻想プラネタリウム観に行くのっ」
リラちゃんは嬉しそうに言った。隠しきれていない喜びが笑顔としてこぼれ出している。
「わぁ、最近できたところだよねっ?」
「そうそう、そうなの。街から少し離れるんだけどね」とリラちゃんが言った。「あなたも知ってると思うけど、もうすっごい人気みたいでね。朝はやくから夕方まで、お客さんで一杯なんですってよ?」
「いいなぁ。わたし、まだ行ったことないから羨ましい〜」
まだ噂でしか聞いたことのないプラネタリウム。
まるで、おとぎ話の世界から飛び出してきたみたいな景色なんだって。とくにファミリーからの人気ひっぱりダコらしいよ。すごいよね?
「もし急ぎの用じゃなかったらなんだけど、よかったらアリアちゃんも一緒にどう?」
「わ、ほんとぉっ?」
リラちゃんから思いがけない提案をされて、わたしは思わずボールのように声が弾んだ。
「もっちろん。みんなで一緒に行ったほうが楽しいものね?」
「じゃあ、わたしも——」
ふと、わたしは奥に控えている2人の表情に気付いた。
リラちゃんは遊びに誘ってくれたけれど、後ろにいる2人は複雑そうな顔をしている。もう今にも何か言い出しそうな雰囲気だった。
「……やっぱり遠慮しとく。わたし、今日この後ピアノのレッスンもあるから」
「そっかぁ、ざんねーん。じゃあ、また今度ね?」
「うん、ごめんね」と、わたしは返した。「誘ってくれてありがとぉ。楽しんできてね?」
「えぇ、どうもありがとう」
リラちゃんは再びカーテシーをした。うやうやしくお辞儀する姿は、まるでお姫さまのようだった。
「アリアちゃんも、いいお買い物ができると良——」
リラちゃんの言葉を遮るように、道の向こうから声が聞こえてきた。もうすっかり聞き慣れたイジワルな声だった。
「おっ、へんてこアリアだ」とライが言った。「今日は珍しくオトモダチと一緒かよー?」
ライの不躾な言葉が気に障ったのか、リラちゃんがムッとした顔で言った。
「こらっ。失礼でしょ、そんな言い方」
「本当のことじゃんかよー」とライが返した。「いっつも1人で遊んでんじゃん。ぼっちアリアっ」
また懲りもせずイヤなことを言ってくるライに対して、わたしはお腹から怒りが湧き上がってくるのを感じた。
むかっ。
ひとが言い返さないのをいいことにぃ……!
「ライっ。あんた、またっ……!」
わたしがライに言い返そうとした直後、リラちゃんが「ライってさぁ〜……」と言った。
「ほんとうは、アリアちゃんのこと好きでしょ?」
リラちゃんの言葉に驚いたのか、ライは急に顔を真っ赤っかにした。まんまるになった目が驚きを物語っている。
「は、はぁっ⁉︎」
うろたえたようすのライにも構わず、リラちゃんは大人びた表情を浮かべた。すんっとした澄まし顔が似合う女の子なのです。
「アリアちゃん、かわいいもんね」とリラちゃんが言った。「男の子って、好きな子にちょっかい出したがるよねー。ほんっと意味わかんないっ」
「ちげぇしっ。だれが、こんな女……!」
ライはお顔を真っ赤にして抗議した。機関車だったら頭から黒い煙モクモク噴き出してそう。まぁ、知らないけど(適当)。
「照れ隠しも程々にしなきゃなんだから」とリラちゃんが言った。「あんまりイジワルなことばっか言ってると、そのうちアリアちゃんから嫌われちゃうよ?」
「もう嫌いだけど」
リラちゃんの後に続くように、しれっと本音を口にするわたし。
もう充分なほどキライだし。
わたしの心のキライ水、すでにコップから溢れちゃってるもん。
それはもう、氾濫した川の水のごとき勢いでキライ成分が溢れちゃってるね。水あふれ出しすぎて氾濫注意報発令してるくらいだよ。もぃーん、もぃーんっ(注:アラート音)。
わたしと会うたびにイジワルしてくるし、いっつもイヤなことばっか言ってくるし。ヤなことしてくる男の子、ライに限らず皆んなキライ。好きになる要素ひとっつもないもん。
ほんと嫌いっ。
ライの後ろにいる取り巻き2人も含めて大っきらい!
「ほぉら、見なさい」とリラちゃんが言った。「将来のお嫁さん候補、ひとり減っちゃったね?」
「お、おれに関係ねーだろっ。おかしなこと言ってんじゃねーよ」
お顔リンゴ状態のライに続いて、後ろにいるジョンが口をひらいた。
「そーだぞっ。女なんて男の "付属品" のクセにっ」
「大人になったらの話でしょ」とリラちゃんが返した。「子どものうちは男も女も "対等" なの知らないのぉ?」
「う、うるせーっ」
リラちゃんの言い方が気に入らなかったのか、ライは堪えきれずに怒り出したようすだった。
「おれの父さんが言ってたぞ」とライが言った。「『女は男がいないと何もできない』って。ナマイキなこと言ってんじゃねーよっ」
だいぶ一方的に言い立てるライに呆れたのか、リラちゃんは「はぁ……」と溜め息をついた。
「ライって会うたびにヤなこと言うよね。ほんっと "お子ちゃま" なんだから。ばっかみたいっ」
「うるせー、うるせーっ」
ライは顔を真っ赤にしたままキィキィわめいた。後ろにいる取り巻き2人も、不服そうな顔を浮かべている。
「おまえ、おまえらなんて——」
わたしはライの言葉を遮るように、彼の真っ正面にズイっとおどり出た。
「わたし、ライのことキライ」と、わたしは言った。「ほんと大っきらい。いじわるするだけなら、もうあっちに行ってっ」
わたしがひと息に言い切ると、ライは足を引いて後ずさりした。じゃり、と靴の裏と砂利が擦れる音が辺りにひびいた。
「ぅ……う、うるせーよっ」とライは言った。「おまえに言われなくても、もう向こう行くっつーのっ。ばーかっ」
ライは置き土産に憎まれ口を吐き捨てると、きびすを返して道の向こうに走って行った。取り巻き2人もまたライの後を追いかけて道の向こうに走っていった。
がきんちょの悪あがき。
わたしはライたちの背中を生温かい目で見送った。言いたいことを言えて、ちょっとだけスッキリ。
「男の子ってホントばか」
さも呆れたかのような声に誘われて、わたしはリラのちゃんのほうを向いた。
そそくさと道の先に消えていく男子たちの姿を、わたしの隣にいるリラちゃんも目で追っていた。心なしか、リラちゃんの目が憐れみ帯びているように見えた。多分ね、たぶん。
「あんなことばっか言ってたら、きらわれるに決まってるのにね。ほんっとバカ」
わたしは同意を示すように何度も頷いた。こくこくっ(※わたしの首振り運動の音)。
あんまり頷きすぎて首もげちゃいそう。ぶどう収穫するときみたいに、もぎゅっともげちゃいそうだね。もげちゃいません。
「ごめんね、リラちゃん」
わたしはリラちゃんの後ろにいる2人にも向けて言った。
「2人も巻き込んじゃってゴメンなさい」
わたしはペコーっと頭を下げて3人に謝った。エマちゃんは胸の前でブンブンと両手を振って遠慮を示した。
「う、うぅん。大丈夫だよ」
「男子みんなレオくんみたいだったらいいのにねー」とエミルちゃんが言った。「いじわるしないし、ヤなこと言わないし。どうせ将来お嫁さんになるんなら、彼みたいな人と一緒になりたいなぁ」
エミルちゃんの言葉を受けて、リラちゃんがコクリと頷いた。肯定・同意を示す仕草だった。
「レオくん、女の子みんなに人気だよね。わかる気はするけどぉ」「まぁ、しょーがないよー」とエミルちゃんが返した。「やさしいし、かっこいいし。将来レオくんのこと巡って、みんなで奪い合いになりそー」
「あはっ、そうかも。女どうしのバトル勃発しちゃうかも〜?」
「ねー」
からからと楽しそうに笑うリラちゃんとエミルちゃん。エマちゃんはリラちゃんの後ろで、所在なさげな笑みを浮かべていた。
「アリアちゃんも、どうせ嫁ぐならレオくんみたいな男の子のとこがいいよねー?」
エミルちゃんがコチラに訊ねてきた。同意を求めるかのような物言いだった。
わ、弾丸こっちに飛んできた。
「んー、どうかなぁ……」
ちょっとのあいだ考えてから、わたしは思ったことを口にした。
「わたし、そういうのイマイチよく分かんないかも」と、わたしは言った。「夜伽があるのだって、全然まだ先の話だし……」
「えぇー、そんなことないよぉ」と、すかさずリラちゃんが返した。うちのママが『大人になるなんて、あっという間だから』って言ってたもん」
リラちゃんの後に続くように、エミルちゃんも口をひらいた。
「そうだよぉ。あたしたちだって、すぐ大人になるよー」
2人から立て続けに諭されて、わたしは勢いを失くしてしまう。反論する気持ちが心の奥底に沈んでいくのを感じた。
「そう、なのかなぁ……」
わたしは2人の意見に押されて、思わず自信なさげな声を漏らした。藍色の吐息が辺りに溶け出していく。
わたし、まだ実感あんまり持てないなぁ。
自分が将来お嫁さんになる姿なんて、全然まだ具体的にイメージできない。みんなは違うのかなぁ……?
わたしが悶々としていると、リラちゃんが問いかけてきた。
「こういう話あんまりしたことなかったけど、アリアちゃんって好きな男の子とかいないのー?」
「うぅ〜ん、いないかなぁ」と、わたしは返した。「そもそも、あんまり考えたこともないかも」
「ふぅん、そっかぁ〜」
ひとまず納得したように、リラちゃんはうなずいた。
「やっぱりアリアちゃんって、ちょっぴり変わってるよね」とエミルちゃんが言った。「女の子なら皆んな、好きな男子の話とかすると思うけどー?」
「んん〜……」
わたしは曖昧に首をかしげた。肯定とも否定とも言えない、どっちつかずの返事だった。
こちらの返答も待たずに、リラちゃんが口をひらいた。
「私、レオくんが将来のパートナーだったらいいなぁ」
「ねー、わかるぅ」とエミルちゃんが返した。「レオくんが結婚相手だったら、すっごい良い家庭になりそー」
「逆に、ライみたいな人は願い下げ。自分じゃパートナー決められないから、将来どんな人が相手か分かんないもんね」
「相手ランダムなの、ちょっぴり怖いよね。ヘンな人だったらどーしよぉ?」
こちらの意見そっちのけで盛り上がる2人。
リラちゃんの後ろにいるエマちゃんは終始こくこくと頷いていた。言葉は交わさずとも、賛同はしているようす。
わたしの目の前で交わされる言葉たち。ひとりだけ置いてきぼりを食ったかのように感じるのと同時に、お腹から胸の辺りにかけて得体の知れない感情が込み上げてくる。言葉にならないモヤモヤが喉元にまで迫り上がってきた。
また、この話——。
息が詰まりそう。まるで、わたしだけが息継ぎできてないみたい。
さびしさの海に溺れてしまいそう。ほかの皆んなは上手に息継ぎできるのに、わたし1人だけが水面から顔を出せてない。
とたんに孤独の波が押し寄せてくる。水深が浅いかも深いかも分からない真っ暗な水の中に、ひとりだけ取り残されて周りから置いてかれるような感覚。酸欠ぎみの海って、こんな感じなのかな。
わたしは3人のやり取りに割り込むように言った。
「ね、ねぇ、みんな。おかしいって思わない?」
こちらの言葉の意図が掴めなかったのか、リラちゃんたち3人は揃ってキョトンとした。
「え、なにが?」
リラちゃんが聞き返してきた。
6つのガラス玉がコチラを向いている。わたしは3人ぶんの視線を浴びながら、頭の中に浮かんだことを素直に口にした。
「その……将来の相手がランダムに決まることも、女の人が男の人の "付属品" になることも。どっちも変だって思わない?」
わたしが口をひらいた直後、辺りがシンと静かになった。風そよぐ木擦れの音がやけに耳に残った。
ほんの少し沈黙が流れたあとで、リラちゃんは顔をほころばせた。
「あはっ、何それぇ」とリラちゃんが言った。「やっぱりアリアちゃん、ちょっぴり変わってるねっ」
「だってぇ、お国が決めたことだもん。すなおに従うしかないでしょお?」
リラちゃんの後にエミルちゃんも続いた。
「そう、だけど……」
「アリアちゃんも早く慣れなきゃだよ」とリラちゃんが言った。「あたしたち女の子みんな、将来お嫁さんになるんだし。今のうちから男の子に慣れといたほーが、大人になったとき困らないで済むと思うよー?」
「うん……」
とても現実的な意見だった。リラちゃんの非の打ち所のない意見に押されて、わたしは曖昧にうなずくことしかできなかった。
目の前にいる3人との距離が遠く感じる。
リラちゃんは相変わらず、大人びた表情をしている。わたしと3人との間に透明な壁が立ちはだかっているように感じた。ひどく、ひどく大きな壁が。
「まずは、お洋服からだね」とエミルちゃんが言った。「今度あたしたちが "こーでぃねぇと" したげるっ。お洋服いっしょに選びに行こ?」
「いまの服装でも可愛いけど、ちょおっとだけ目立つもんね」とリラちゃんが言った。「こぉんなに大っきなリボン付けてる子、アリアちゃん以外に見たことないよー?」
わたしの目の前にいる2人がキャッキャとはしゃいでいる。
2人が楽しそうに話している最中、わたしは自分の服の裾をつまんだ。どこにも行き場をなくしたわたしの両手は、服の裾をギュッとつまむしかできなかった。
「ね、ねぇ、もう時間っ」
とつぜん、エマちゃんが慌ただしく言った。
「午後のプラネタリウム、もう始まっちゃいそうっ」
エマちゃんは自分の腕に巻かれた時計を見て、開演時間が迫っていることに気付いたようだった。もう時間が差し迫っていることを人差し指で指し示している。
「わ、ほんとだ。急がなきゃダメかもっ」
エマちゃんの後に続くように、リラちゃんも自分の時計を見た。
「ごめんね、アリアちゃん」とエミルちゃんが言った。「もう時間ないみたい。あたしたち、もう行くね?」
「あ、うん……ごめんね、話し込んで」
とつぜん辺りが慌ただしくなった。
3人を引き留めるわけにもいかず、わたしは手を振って別れを告げた。
「プラネタリウム、楽しんできてね?」
わたしがバイバイと手を振ると、3人も別れの挨拶を返してくれた。お互いに手を振り合うわたしたち。
「ありがとっ。またねっ」
「まったねー、アリアちゃん」
「ば、ばいばい……」
お互いに手を振り合って別れを告げたのちに、リラちゃんたちは揃って道の先を歩いていった。だんだんと小さくなっていく3人の背中。
とたん、辺りが静かになる。
騒がしさの後には静けさだけが残った。こんなにも木々のざわめきが耳に残る理由が分からない。こんなにも景色が褪せて見える理由が分からない。何ひとつ分からない。
どうして、なのかなぁ……?
「お買いもの、行こっかな」
3人の楽しそうな後ろ姿を見送ったあと、わたしは再び街へと向かう道を歩き出した。
「……」
靴の裏と砂利が擦れる音がやけに耳につく。
しょげたように下を向きながら、わたしは街へと至る道を歩いた。とぼとぼと歩く自分の足取りは、どこかおぼつかない感じがした。
わたし、おかしいのかな。
みんなのほうが正しくって、わたしの考えは間違ってる?
女の人は人形じゃないのに。男性の言うこと何でも聞いてくれる、都合のいいお人形さんじゃないのに……どうしてなの?
なんで、みんな平気な顔してられるの?
わたしが走れば走るほど、みんなとの距離が広がる。どんどん距離が開いていく。
みんなとの距離は少しも縮まらないのに、わたしの後ろから孤独が追いかけてくる。こちらとの距離を縮めようと、あいかわらず追いついてくる。
孤独の足音が聞こえる。
わたしが後ろを振りかえると、走者は嬉しそうに笑っていた。まるでピエロのような笑い顔だった。
こちらが求めていなくとも、あちらは構わず迫ってくる。後ろにいるランナーの不気味な笑みを見て、わたしは更に前へと走るスピードを早めた。まるで、いち早く怖いものから逃げるかのように。
延々と続くイタチごっこ。
わたしが頑張って走れば走るほど、反比例するみたいに孤独が深まる。
だんだん独りで走ることばっかりに慣れて、自分が何処を走ってるのか分かんなくなる。まるで、出口の見えない迷路に迷い込んだみたい。
わたしの足元を照らす光がボヤけてく。
まるで夜の海を照らす灯台の灯りみたいに、わたしの足もとだけが暗くボヤけたまんま。光と影の隠れんぼ。
みんなのものと違って、わたしの光は頼りない。
みんなと同じ方向を向いてないから、わたしのライトだけが弱々しく見える。ひとりの道は暗くて怖い。
ひとりは、こわいよ。
「カノン……」
おもわず、ぽつりと呟いた。たった1人の友だちの名前を呼んだものの、わたしの呟きは誰もいない道に溶けていった。
孤独は苦い。
ブラックコーヒーよりもうんとニガい。
真夜中を溶かした味がして、正直あんまり好きじゃない。あとどっちかっていうと、わたしカフェオレ派だし。ね?
友だち、欲しいな。
いつか読んだ絵本の世界みたいに、こころ許せる友だちがいたらいい。
もし友だちが出来たら、わたしすっごく嬉しい。すっごくすっごく嬉しい。すごい舞い上がっちゃうと思う。まるで、風が強い日のホコリみたいに。
わたしは心のなかで誰に向けたのかも分からない言い訳を呟いた。もちろん反応してくれる人がいるわけもなく、目のまえにはひと気のない一本道があるだけ。心にわだかまった呟きは虚しさへと姿を変えた。
街へと続く小道は息を潜めたように静か。
先ほどまで軽かった足取りは、いつの間にか重くなっていた。
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