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①バカの解剖学:125を越える研究データで調べ上げる!どうしようもないおバカさんの取扱説明書
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まえがき
おバカさん思考——世界は自分を中心に回っている?【無自覚なバカ】
自分はバカだと気付いた生き物のことを人間と呼ぶそうです。
ひるがえって、バカはバカの自覚がありません。
賢い人は自分をバカに見せようとしますが、おバカさんは自分を賢く見せようとします。言ってみれば、これは幼い子どもが大人を真似て背伸びするようなものでしょうか。
Leary, M. R., & Buttermore, N. R. (2003). The Evolution of the Human Self: Tracing the Natural History of Self-Awareness. Journal for the Theory of Social Behaviour, 33(4), 365–404.
バカがバレることには多少なりリスクがあります。
というのも、自分がおバカさんだということを周りに知られてしまうと、ほかの人からナメられてヒエラルキー下位に追いやられる可能性があるからです。
したがって、おバカさんはできるだけ自分を賢く見せようとするでしょう。これは「バカの生存戦略」とも言えるかもしれません。
ほとんどの場合、バカは無自覚です。
言葉を選ばずに言うと、おバカさんには自分のことをバカだと認識できるだけの認知能力がありません。
のちに詳しくお話ししますが、自分のことを客観視するには『メタ認知』と呼ばれる知的能力が不可欠。自分のことを客観的に捉えられないおバカさんには、このメタ認知スキルが欠けているのかもしれません。
幸か不幸か、どうやら私も人間のようです。
私は自分がバカであることをこの上なく自覚しています。えぇ、それはもうこの上なく。
というよりも、もともとは私も右も左も分からないおバカさんのうちの1人でしたが、年齢を重ねるにつれて自分のバカさ加減を自覚できるようになりました。
子ども時代にありがちな根拠のない全能感からやっとのことで卒業し、自分は取るに足らない1人の人間だと理解できるようになったのです。ある意味、私も「大人になった」とも言えるのかもしれません。
言い換えると、子どもの頃は誰もがナルシシストです。
ほとんどの人が「自分は世界の中心にいる!」と思い上がっています。あらあらぁ、世界の中心でバカが叫んでいるようですわねぇ〜?(皮肉)
過去いくつかの研究でも示されているとおり、私たちは子ども時代特有のナルシシズムを徐々に克服し、大人になるにつれて自分を客観視できるようになります。
You’re Still so Vain; Changes in Narcissism from Young Adulthood to Middle Age. 2020. Eunike Wetzel, Emily Grijalva, et al.
Roberts, B. W., Edmonds, G., & Grijalva, E. (2010). It is developmental me, not generation me: Developmental changes are more important than generational changes in narcissism—Commentary on Trzesniewski & Donnellan (2010). Perspectives on Psychological Science, 5(1), 97–102.
だれもが小さい頃に抱きがちな自分中心の全能感は、年齢を重ねることによって矯正されるのが通常です。言ってみれば、時間の経過はナルシシズムを治すお薬のようなものでしょうか。
ただ一方で、世の中には自分がバカだと気付いていない人たちがいるようです。
子ども時代のナルシシズムを引きずったまま大人になった人たちがいます。ひょっとしたら、このような人たちのことを『おバカさん』と呼ぶのかもしれません。
おバカさんはプライドお化けです。
能力がともなっていない割にプライドだけは高く、立場を弁えていない傲慢な物言いが鼻につきます。
おバカさんは自己正当化が大好きです。
謝ることは自分の間違いを認めることになるので、おバカさんは決して他人に頭を下げようとしません。
おバカさんはトラブル・メーカーです。
他人さまに迷惑をかけていることに気付いていないので、よけいな問題を作り出して周りの人の足を引っ張ります。
さきにお断りしておくと、本書で述べることの大半はブーメランです。えぇ、それはもう私の心に突き刺さる特大のブーメランに違いありません。痛たたたたっ。
というのも、私自身の過去を片っぱしから洗い出す過程で、おバカさんの13の特徴が浮かび上がってきたからです。言い換えると、かつての私は間違いなく「おバカさんの一員だった」と言えます。
私たちヒト種は20万年の月日をかけて知性を養ってきました。『ホモ・サピエンス(賢いヒト)』の名にあるとおり、私たち人間の脳は少なからず知の淘汰圧を受けています。
言い換えると、おバカさんのままでは厳しい自然環境のなかで生き残れなかったのです。自然界は残酷ですね。とっても厳しいです。
ひるがえって、頭がいいか悪いかは背比べよろしく相対的なものなので、比較する対象があって初めて自分のバカさ加減を理解できます。
たとえば、自分の身長が高いか低いかは他の人と比べてみないと分かりません。
この世界に身長160cmの人しかいなかったら比較のしようがありませんが、世の中には200cmを超える大人から50cm程度の赤ちゃんまで様々な人がいます。
頭の良し悪しについてもコレと同じことが言えそうです。
他人は自分の心を映し出す鏡——おバカさんの言動は反面教師にしてこそ?
先にお断りさせていただきます。
便宜上、本書では『バカ』という言葉が頻出することをお許しください。この中傷的な表現を不快に感じられた方にお詫び申し上げます。申し訳ありません。
もしも現時点で本書の内容が不快に感じられる場合は、誠に遺憾ながら途中で読みやめることを推奨いたします。
本書は差別を助長する目的で書かれたものではありません。しかし、この差別的とも取れる内容に不快感を覚える方は、本書をお控えいただくのがよろしいかと思います。
また、本書は特定個人の人格や人間性の否定を推奨するものではありません。
あくまで、本書の目的は『おバカさん』の性質や属性を科学的に検証することにあるため、この検証結果をもとに他者の人権やプライバシーを侵害する意図はないことをお断りさせてください。
くわえて、本書では本文中に具体例を紹介することがありますが、これは読者の理解をうながすための配慮に過ぎません。したがって、本文中では具体的な個人名を出すことを控えています。
当然ながら、筆者側に特定の人物や集団を中傷・否定する意図は一切なく、あくまで科学的な知識や情報などの伝達を目的としています。あらかじめ、これらの点について何卒ご了承ください。
あなたのご理解に深く感謝いたします。
おバカさん。
あまり品のいい言葉遣いではありませんが、バカとしか表現しようがないのも確かです。
逆に言うと、本書で述べられている内容を反面教師にすれば、おバカさんになることを避けられるかもしれません。ひとの振り見て我が振り直すことも時には必要でしょう。
言ってみれば、本書の内容を自分を反省するための材料として使うのですね。
私も含めて、誰だって他人さまから「おバカ」と思われることは避けたいはず。
他人さまから「あなたってホントおバカねぇ」と言われるよりも、「あなたってとっても賢いね♪」と言われるほうが嬉しいはずです。『バカ』ほど不名誉な言葉もないでしょう。そう思いませんか?
私自身、かつて何度か「かすみってバカだねぇ」と面と向かって言われた過去があります。まったくぅ、ひどい話でございますわぁ〜?(泣)
本書のコンセプトは、私が過去の自分と向き合う過程で生まれました。
おバカさんの性質や特徴を科学的に明らかにすることができれば、私はかつてと同じ轍を踏まずに済むかもしれないと考えたのです。
ひょっとしたら、科学のメスが私たちに自分を反省するチャンスを与えてくれるかもしれません。他人の振る舞いは自分の心を映し出す鏡として使えます。
良いか悪いかは抜きにして、世の中には「バカ」としか言いようがない人たちが少なからず存在するもの。
こうした人たちには知能が低いとか学力が劣っているとか表面的な話ではなく、もっともっと奥深くにある根深い問題が横たわっているような気がしています。
単一の問題がおバカさんを生み出しているのではなく、他人の気持ちをおもんぱかる想像力が欠けているだとか、自分のことしか考えられない自己中心的な考えを持つとか、こういった種々の問題が積み重なってバカが生まれるのだと。
バカは複雑系です。
人間社会で散見される創発的な現象です。
私が思うに、おバカさんは複数の要因が組み合わさって生まれるため、この発生を事前に予測するのは数学的に極めて困難だと考えます。
となれば、どんな人間が将来おバカになるのかは前もって予見できません。
バカの唯一の仕事は他人さまに迷惑をかけることです。
バカは他人さまに迷惑をかけていることに気付きません。なぜなら、バカだからです。
バカの唯一の仕事は他人さまの足を引っ張ることです。
バカは他人さまの足を引っ張っていることに気付きません。なぜなら、バカだからです。
かつて、おバカさんの1人だった私だからこそ分かる不愉快な真実
かつて私はバカでした。
かつて私はおバカさんの一員でした。ひょっとしたら、今もまだおバカのままなのかもしれません。
他人さまに迷惑をかけていることにも気付かず、他人さまの足を引っ張っていることにも気付かず。ただ自分がいいと思うことを独善的にやってばかりいました。
ある意味、当時の私は「自己中だった」とも言えるかもしれません。今はもう多少なりマシになっていると信じたいところです。
たとえば、私は自分の能力が低いことをよく自覚しています。
言い換えると、自分のバカさ加減をよく理解しているのです。だからこそ、他人さまに迷惑をかけないよう1人でも仕事ができる環境を選びました。
自営業なら自分で起こしたミスは自分でカバーするしかありませんから、たまに自分の代わりに動いてくれる人がいたら助かると思うことはあるものの、以前のように誰かの足を引っ張るような機会がないぶん気楽に日々の仕事を進められます。
ひとりで仕事するようになってからより痛感しますが、私は他人に迷惑をかけることへの抵抗感がひと一倍強いようです。
ひょっとしたら、今でもそうかもしれません。
無自覚なおバカさんよろしく自分が気付いていないだけで、私は今もなお他人さまに迷惑をかけているかもしれません。私は今でも他人さまの足を引っ張っているのかもしれません。
自分のバカさ加減を自覚するのは、案外けっこう難しいことなのでしょうか?
今でこそ多少マシになった……と信じたいところですが、かつておバカさんの一員だった私は他人さまに迷惑をかけてばかり。
自分の能力もわきまえずに無鉄砲に突っ走ることも少なくなかったため、周りの方々に私の尻拭いをさせてしまうことも数多くあったと記憶しています。
過去の自分の失敗を思い返すと顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしくなります。
まぁ、じっさいに火を吹くことはないのですけれども。私、ニンゲン火炎放射器ではございませんのでね〜?
ただ一方で、かつて自分がバカな人間の1人だったとの自覚があるからこそ、おバカさんのことを客観的な視点から分析できるとも思います。
おバカさんの心理を徹底的に解剖するには、科学のメスを使う必要があるかもしれません。
たとえば、おバカさんは自分の考えを他人に押し付けがちです。
自分が世界の中心にいると言わんばかりに自分勝手で視野が狭いので、人や社会が多様な考え・価値観を前提に動いているのだと理解できません。
ご自身の生活を振り返ってみてください。あなたの周りにも1人くらい、こうしたおバカな特徴を持つ人がいませんか?
たとえば、おバカさんはマウンティングが大好きです。
というよりも、誰が上で誰が下かという序列意識がガッチリと根付いているので、あらゆる物事をヒエラルキーを前提に考えることしかできません。
Hawley, P. H. (1999). The ontogenesis of social dominance: A strategy-based evolutionary perspective. Developmental Review, 19(1), 97–132.
Olweus, D. (1993). Bullying at School: What We Know and What We Can Do.
ひるがえって、ゴリラやチンパンジーの社会には強固な序列があります。
ヒエラルキー上位のオスだけがメスと性的な交わりを持てるため、オス同士の間で暴力をともなった争いが繰り広げられることも少なくなく、争いに負けたオスは群れの最下層に追いやられる不遇な扱いを受ける他ありません。
これは人間社会で下位の身分に追いやられた人が、不遇な扱いを受けてしまうことと非常に似ています。
Chang, L., Wang, Y., Shackelford, T. K., & Buss, D. M. (2011). Chinese mate preferences: Cultural evolution and continuity across a quarter of a century. Personality and Individual Differences, 50(5), 678–683.
Wilson, M. L., & Wrangham, R. W. (2003). Intergroup relations in chimpanzees. Annual Review of Anthropology, 32, 363–392.
Employment grade and coronary heart disease in British civil servants. M G Marmot et al. J Epidemiol Community Health (1978). 1978 Dec.
Health inequalities among British civil servants: the Whitehall II study. M G Marmot et al. Lancet. 1991.
人間社会にも似たところはありますが、動物社会ではチカラこそがすべてです。
とりわけ、ゾウアザラシのように上位1割のオスが9割のメスを囲うハーレム社会では、集団内でヒエラルキー下位に追いやられることは遺伝子の断絶を意味します。
自然界は時に人間界よりも残酷です。メスとの性的な交わりが絶たれては自分の子孫を残せないため、オスは何がなんでも他のオスとの競争に勝たなければいけません。「敗者に口なし」を地でいくのがゾウアザラシのハーレム社会です。
おバカさんは序列意識が異常に強い——ゴリラやチンパンジーと同じように
もちろん、私たち人間はゴリラやチンパンジーではありません。
人間社会はゾウアザラシほどの極端なハーレム社会ではありませんから、上位10%のオスだけがメス全体の90%を囲えるわけでもないでしょう。
しかし一方で、私たちヒトも動物です。ホモ・サピエンスはヒト科ヒト属に含まれます。
ヒト種は進化の荒波に揉まれながら20万年以上の月日をかけて、集団内のヒエラルキーに敏感に反応する心理を獲得してきました。
現代を生きる私たちの脳にも生まれながらにして序列意識がインストールされています。
ひるがえって、おバカさんは序列を異常なまでに気にします。
チンパンジーやゾウアザラシなどが集団内での自分の立ち位置を気にするように、おバカさんたちもまた自分が所属している集団内のヒエラルキーに執着するもの。三度の飯よりも序列が大好きです(?)。
もちろん、ひとは誰しも序列が気になるものでしょう。
意識するしないは置いといて、私も少なからずヒエラルキーの波に飲まれることがあります。
ただ一方で、もともと私は集団内の序列にあまり頓着しないタイプのようです。
というより、そもそも誰が上で誰が下かという序列意識にあまり興味がなく、自分が属している組織内で働く力学よりも趣味や仕事に時間を費やしたいと考えるタイプでした。
良いか悪いかは抜きにして、ヒエラルキーは私の興味の蚊帳の外にあったのですね。
しかし、おバカさんは序列意識に興味たっぷりです。
もともとのプライドの高さが災いしてか、自分が上だと示すために無駄なマウント取りに時間を費やすことも少なくありません。
たとえば、ご近所さん同士のママ友会などにも、メス同士のマウンティングが垣間見れます。
ひょっとしたら、おバカさんの自慢話の背後にはプライドや序列意識が隠れているのかもしれません。
うぬぼれは時にマウンティングの材料に使われることがあるようですから、本人も自覚しないまま序列の固定化を目論んでいる可能性がありそうです。
あ、これは私の個人的な感想ですけれどもね?
重ねてお断りさせてください。本書はバカの生態に科学のメスを入れること目的としています。
科学的な根拠をもとにおバカさんの特徴を解剖していきますが、これは特定の個人や集団を意図的に貶めるわけではありません。あくまで「おバカさんって、こんな特徴あるよね〜」という特性・属性にフォーカスして話を進めていきます。
したがって、便宜上「おバカさん」というフレーズが頻出するものの、この言葉には特定の誰かをバカにする意図はないことを予めご了承ください。
もちろん、私自身が上から目線のマウンティングをしたいわけでもありませんのでご留意を。意味のないマウント取りは私の望むところではありません。
なにより、かつて私自身がおバカさんのうちの1人でした。
ひょっとしたら、今もまだおバカさんを卒業できていない可能性はあります。私は今もなおおバカのままなのでしょうか〜?(泣)
しかし、かつて自分がおバカだったとの自覚があるからこそ、なにか見えてくるものもあるような気がしています。「過去の自分は今の自分を映し出す鏡」だそうですから。
さて、前置きが長くなりました。
そろそろ、おバカさんに科学のメスを入れていきましょう。おバカさんを解剖する心の準備はできましたか?
まずは、バカとプライドとの関連から見ていきましょう。
【第1章】おバカさんはプライドが高い
無知は傲慢さの温床——どうしておバカさんは高圧的で威圧的なのか?
バカは身の丈に合わないプライドの持ち主です。
おバカさんはプライドが高い割に小心者で、口達者な割には行動がともなっていません。言ってみれば、傲慢さだけが1人歩きしているような状態です。
ここで1つ振り返ってみてください。
あなたの周りにも、やたらと高圧的な人が1人はいないでしょうか。学校や職場などで、たいした意味もなく威圧的に接してくる人が少なからずいませんか?
おバカさんはプライドお化け。
行動量の少なさはプライドの高さと反比例する傾向にあるようで、これまであまり挑戦したことのない人ほど高慢ちきになりやすい。無知は傲慢さの温床です。
恥をかくことを恐れてチャレンジする機会を減らしてしまうと、自分の能力が他の人と比べて実際どのくらいなのかが客観視できず、結果としてプライドだけはやたらと高い無能が出来上がってしまいます。
むむっ、いま私のことを呼びましたかっ?(泣)
さておき、むだなプライドを失くすには行動量を増やすのが一番の処方箋です。
ひるがえって、鼻につくほどの傲慢さはチャレンジというお薬で治療できる可能性がありますので、お近くの学校や会社などで行動量を増やすことによって多少なり改善できるかもしれません。
バカにつける薬はない——視野が狭い人ほどプライドが高い?
たとえば、かつて私はプライドの塊でした。
もう今は多少なりムダなプライドが削ぎ落とされていると願いたいところですが、とくに学生のころは自分が世界の中心にいるかのような全能感を持っていたのを覚えています。
視野の狭さは根拠のない自信が生まれる土壌です。
全能感それ自体は決して悪いものではないとは思うものの、身の丈に合わないプライドはいつか自分の身を滅ぼします。多分ね、たぶん(適当)。
たとえば、かつて私は自分のジュエリー制作の腕前が他人よりも優れていると思っていました。
しかし、じっさいにジュエリーの公募展に自分の作品を出して評価の目にさらしたところ、落選とまではいかなかったものの入選レベルの結果に留まることを知ってガッカリしたものです。
当時は「ひょっとして、じつは私の実力って大したことない……?」と率直に思いました。
コンテストは自分の力量を知るための良い機会だと思います。
私の同級生もまた同じように学生当時はプライドお化けだったようですが、大人になるにつれて私と歩調を合わせるかのように身の丈を知っていきました。そういう時期って誰にでもありますよね。
当の彼、以前は自分が世界の主人公と言わんばかりのビッグマウスっぷりだったのですが、校内コンテストで私の友だちに負けてからはだんだんと大人しくなっていきました。
きっと自分のチカラが大したことないのを知って、身の丈に合わないプライドが治療されたのでしょうね。少なからず、私にもこうした経験があります。
とりわけ、今日ではSNS上で他人さまと簡単にコミュニケーションが取れますから、おごりたかぶった自分のプライドをへし折るには以前よりも簡単かもしれません。
アプリをひらけばSNSのタイムラインにキラキラした人たちのフィードが流れています。
圧倒的な画力で多くの人たちの心を魅了する絵描きさんもいれば、圧倒的な説明力で難しいことを分かりやすく伝える動画配信者もいるでしょう。
ネットの世界には成功したクリエイターがわんさかいますから、自分の立ち位置を客観的に知るには打ってつけかもしませんね。
しかし一方で、おバカさんのプライドは何故か健在です。
これだけ世の中に才能ある人が溢れているというのに、いつまで経ってもプライドお化け♡が治療されません。ことわざにある通り、バカに付ける薬はないのでしょうか?
メタ認知——おバカさんに欠けている「自分を客観視するチカラ」とは?
この点については、2021年に発表されたデータが参考になるかもしれません。知能と自分を客観視する能力との関連を調べた研究です。
こちらのレビューによると、自分を客観的に見るための『メタ認知』の能力は知能と一定のレベルで関連し、IQが高い人のほうがメタ認知スキルもまた比例するように高くなる可能性が指摘されました。
Metacognitive Awareness Scale, Domain Specific (MCAS-DS): Assessing Metacognitive Awareness During Raven's Progressive Matrices. 2021. John H H Song, Sasha Loyal, et al.
かんたんに言うと、頭のいい人ほど自分を客観視するのがお上手なのです。
じっさい、自分を客観的に見る能力と頭の良し悪しは少なからず関係しています。
Veenman, M. V. J., & Spaans, M. A. (2005). Relation between intellectual and metacognitive skills: Age and task differences. Learning and Individual Differences, 15(2), 159–176.
Pishghadam, R., & Khajavy, G. H. (2013). Intelligence and metacognition as predictors of foreign language achievement: A structural equation modeling approach. Learning and Individual Differences, 24, 176–181.
Effects of Working Memory Capacity on Metacognitive Monitoring: A Study of Group Differences Using a Listening Span Test. 2016. Mie Komori.
もちろん、自分を客観視できるからといって必ずしも頭がいいとは限りません。
しかし、おバカさんの行き過ぎたプライドについては少なからず科学的な説明ができそうです。
恥ずかしながら、かつて私は自分を客観視するのがヘタなおバカさんでした。
ひょっとしたら、私は今でもまだメタ認知スキルを充分に身に付けられていないかもしれません。
科学的な観点から見ると、私たち人間のメタ認知スキルは3〜5才ごろから発達し始めるのだそうです。
Schraw, G., & Moshman, D. (1995). Metacognitive theories. Educational Psychology Review, 7(4), 351–371.
Metacognition and learning: conceptual and methodological considerations. 2006. Marcel V. J. Veenman, Bernadette H. A. M. Van Hout-Wolters, et al.
Metacognition: A Literature Review. 2011. Emily R. Lai.
子どもから大人になる過程でだんだんと自分で自分をモニタリングできるようになり、ほかの人と比べて自分がどのポジションにいるのかを客観的に測れるようになります。
ひるがえって、ほかの子と比べてやたらと大人びた子どもさんがたまにいますが、もしかしたら彼ら/彼女らはメタ認知スキルの発達が他人より早いのかもしれませんね。
将来とっても有望です(?)。
さておき、自分をモニタリングする能力が充分に発達していないと、いまの自分がどの位置にいるのかが正確に測れなくなります。
先ほどご紹介した研究データよろしく、ものごとを相対化して自分を客観的に見ることができなければ、ゆくゆくは傲慢さだけが独り歩きしたプライドお化けが生まれることになるでしょう。
となれば、メタ認知スキルは行き過ぎたプライドを治療するお薬になるかもしれませんね。
プライドはコンプレックスの裏返し——「バカにされたくない!」が保身を生む
自分を理解するためには一定の知性が必要です。謙虚さは知性の落とし子に他なりません。
ひるがえって、プライドお化けのおバカさんはチャレンジの量が少ないため、謙虚さを養うチャンスにあまり恵まれない傾向にあるようです。
実際に「他人からバカにされたくない」との思いが強い人ほどプライドが高くなる傾向にありますが、恥をかくことを恐れてばかりいると口だけ達者な頭でっかちに育ってしまう可能性が大いにあります。
おや、いま私のことを呼びましたかっ?(泣)
ともかく、よけいなプライドを捨てられないでいるとチャンスをみすみす逃すことになります。成長の機会が奪われた子どもが大人になったら悲惨この上ないでしょう。
プライドの高さはコンプレックスの裏返しの可能性があります。
おバカさんほど周りからバカにされてきたという過去があるだけに、これ以上バカにされることに心理的な抵抗があるのかもしれません。「バカにされた」という体験が多いほど、プライドも比例して高くなるのでしょうか?
じっさいに、自尊心の低さ/高さは少なからず自己防衛の強さと関連しています。かんたんに言うと、自尊心が低すぎる人も高すぎる人も、どちらも自分の心を守るような行動を取る傾向にあるのです。
The moderating impact of self-esteem on self-affirmation effects. Camilla Düring et al. Br J Health Psychol. 2015 May.
Emily B Falk et al. Proc Natl Acad Sci U S A. (2015) Self-affirmation alters the brain's response to health messages and subsequent behavior change.
プライドが災いして保身に走るのは、自分に自信がないからかもしれません。
もしくは、あまりにも「恥をかきたくないっ」という気持ちが強すぎるために、しぜんと自分の脆い心を守るような行動を取ってしまう可能性があります。
心が脆ければ砦を守ろうとする気持ちが強くなるのも道理です。
ひるがえって、プライドが高い人ほど他人さまに謝れない傾向にあります。
もともとのプライドの高さが災いして、ひとこと謝れば済む問題を深刻化させてしまうことが少なくありません。
The road to forgiveness: a meta-analytic synthesis of its situational and dispositional correlates. Ryan Fehr et al. Psychol Bull. 2010 Sep.
悪いことをしたなら「ごめんなさい」と謝ればいいでしょう。知らないことがあるなら「すみません、わかりません」でいいじゃないですか。
他人さまに謝罪することは別に負けを意味するわけではないのですから、さっさと頭を下げて事態の悪化を未然に防ぐほうがよほど賢い選択です。
ちなみに、私は知り合いから『謝罪製造マシーン』と呼ばれています。あ、嘘です。
しかし、プライドお化けのおバカさんは決してそうは考えません。
謝ることで集団内における自分のヒエラルキーの順位が下がるとでも思っているのか、かたくなに謝罪をしないせいで事態を悪化させてしまうケースが多く見受けられます。
すでにお話ししたとおり、おバカさんは集団内ヒエラルキーを異常に気にします。自分が序列の下の順位にならないかどうかに異常に執着します。
となれば、謝罪は彼ら/彼女らにとって非常に重要なものなのかもしれません。他人さまに謝れないことは自己防衛の最たるものだとは思いますが、序列意識が強いおバカさんにとって謝罪は自分の地位に関わる問題。
ヒエラルキー上位で居続けるためには、けっして自分から非を認めてはいけない——おバカさんはそう思い込んでいるのかもしれません。
おバカさんにとっては、謝罪も賞賛も『負け』を意味する行為?
これと同じように、おバカさんは他人を褒めることに少なからず抵抗があるようです。
きっと、他人さまを褒めることもまた「自分の序列を下げる行為」と考えているのでしょう。まったくぅ、おバカさんは面倒くさいですね〜(直球)。
これはあくまで私の推測に過ぎませんが、おバカさんにとって第三者を褒めることは「負け」を意味するのかもしれません。
こうした「他人を褒める=自分の負け」という思い込みがあるからこそ、ほかの人の成果や功績を褒めることに少なからず抵抗があるのでしょう。
しかし一方で、すなおに他人を認められない人は側から見て少し可哀想です。
ひょっとしたら、自己肯定感が低いがゆえに他人を褒めることに抵抗があるのかもしれませんね。
もしくは、これまでの経験上あまり他人から褒められることがなかったから、自分から相手をどう褒めたらいいのか分からない可能性もあります。
褒め言葉は心の写し鏡です。
私たちは他人との関わりのなかでコミュニケーションを学びますが、家庭や学校などで褒められた経験をもと社会性と自己肯定感を養います。
過去に褒め言葉によるポジティブなフィードバックが少なかったのなら、他人さまを褒めることが苦手/下手になっても仕方ないかもしれません。これは少し可哀想です。
また私事で恐縮ですが、私は日頃よく他人を褒めるよう心がけています。これは意識的なものです。
というのも、褒め言葉には相手に無料であげられるプレゼントという側面があるため、コミュニケーションを円滑にするうえではローコストかつハイリターン。
少なくとも、他人から褒められて悪い気はしないかと思われます。
よほどの天邪鬼でもないかぎり、他人さまを褒めて損をすることは少ないはずでしょう。たいていの場合、褒め言葉は人間関係を円滑にする潤滑油として使えます。
せっかくの褒め言葉を素直に正面から受け取らないのは、相手からのプレゼントを目の前で捨てているようなもの。
もちろん、あえて無理強いするつもりはありませんが、誰かから褒められたときはシンプルに「ありがとう」でいいと思います。
なまじ日本には謙遜と遠慮の文化があるだけに、褒め言葉を正面から受け取ることを遠慮する人が少なくないようです。
下手な謙遜は相手を困らせるだけのことが少なくありませんから、私は他人さまからお褒め頂いたときは素直にお礼を返しています。
ただシンプルに「ありがとう」と口にするだけで、その場の雰囲気が和むこともあるかもしれません。
いざ他人から褒められたら「わぁ、ありがとう♪」で充分。そう思いませんか?
本題とは全く関係ありませんが、褒め言葉とお礼の返事が行き交うコミュニケーションってステキですよね。
私は個人的に「ありがとう」って言葉が大好きです。相手方に気軽にお返しできる贈り物だと思っています。
だいぶ話が本題から逸れてしまいましたね。ググれかすみ線サイエンス急行は話の脱線事故が頻発する路線で有名です。
ご乗車のさいは足元にご注意くださいませね〜?
プライドこじらせオジサンは自分のメンツを守るのに必死?
茶番は置いといて、おバカさんは元々のプライドの高さと序列意識が災いして、他人さまのことを素直に褒められない傾向にあるようです。
たとえば、私の2つ上の兄は子どもの頃、私の目から見ても明らかなほど他人を褒めない人でした。
さらに言うと、褒め下手なだけでなく謝ることも苦手だったようで、私たちがケンカしたとき向こうから先に謝ってきた記憶はありません。
いつも私が兄のもとに行って先に謝るのが常だったため、ケンカしたときに謝罪会見をひらくのは私の仕事でした。今でもそうです。
おかげさまで、私は今では「謝罪会見のプロ」と呼ばれるほどに謝罪の腕を上げています。あ、嘘です。
こうした兄の姿を小さい頃から間近で見ていたせいか、私は謝罪と褒め言葉を口にすることにあまり抵抗がありません。
これまでの経験上「プライドが高い人=褒めない&謝らない」と知っているからこそ、周りの人を反面教師にして自分の言動を改めているところはあるかもしれませんね。
ひるがえって、ひとは大人になるにつれて余計なプライドを持つようになり、そう少なくない人が他人に頭を下げることに抵抗を覚えます。
これは私の偏見も少なからずあることと思いますが、会社内で出世してそこそこのポジションを得ている中年の方々ほど、プライドが邪魔して他人とのコミュニケーションに苦労する場合が少なくないようです。
社会的な立場も手伝って、プライドだけは一人前なシニアの多いこと多いこと。
あえて乱暴に言うと、大人はプライドの塊です。傲慢さが独り歩きしています。
いくらにもならないプライドを守りたいがために、他人に頭を下げられないことが多々あるようです。「自分の非を認めたがらない」とも言えるでしょうか。
プライドが独り歩きしているバカは、自分のメンツを守るために必死です。
集団内における現在の自分の地位を守りたいがために、円滑な人間関係を犠牲にする場合も少なくありません。
行き過ぎたプライドは生きづらさにつながる面が少なからずありますから、きっとおバカさんの中にもツラさを感じている方がいらっしゃることでしょう。
恥ずかしながら、私の親戚の叔父はプライドこじらせおじさんです。
いまだに昭和日本における男尊女卑の考えを引きずっているようで、私や姉に対して上から目線でモノを言う場面が多く見受けられます。
御多分に洩れず、私の叔父も会社内でそこそこのポジションにいるため、上下関係をベースにしたコミュニケーションが身体に染み込んでいるのでしょう。
私は彼とは1年に一度お会いするくらいの頻度なので問題ありませんが、叔父のような人と一緒に暮らすとなるとストレスで胃が焼けちゃいそう。少なくとも、あまり長い時間いっしょに居たいタイプではありません(ごめんなさいっ)。
ひるがえって、私の叔父は自身が恥をかくことにも強い抵抗があるようで、いっつも正解のルートから外れないよう苦心しているように見えます。
失敗が少ない安全な道を辿れば、恥をかかずに済むでしょうから。
身内の恥をさらすようで恐縮ですが、私は叔父のことをひそかに反面教師にしています。
他人さまのよくない行いは自分の糧にしてこそ。プライドだけは一人前の頑固おじさんを他山の石として、自分の言動を見つめ直す機会を意識的にもうけています。
ところで、先ほどから私の心に矢が突き刺さっています。
おバカさんの高過ぎるプライドについて話すたび、私の心に大量の矢が刺さるのは何故なのでしょう?(謎)
自分の顔を気にしているのは自分だけ——すっ転んで恥をかいても誰も気にしない
さておき、私は定期的に恥をかきます。
もともと内股で歩くクセがあるせいか、よく道端でつまづいて派手にすっ転びます。わぁ、いい大人がすっ転ぶの恥ずかしい〜。
しかし、じっさいに転んでみると分かりますが、周りは誰も私のことなんて見ていません。
みなさん自分の手元にあるスマホと睨めっこ大会を開催中ですから、幸いなことに私の1人すっ転びコンテストには興味がないようです。
ちなみに、たまにご高齢の婦人さまが「あらぁ、派手に転んじゃったねぇ〜」と声をかけてくださいます。えぇ、派手に転んじゃいましたとも〜。
転んで恥ずかしいのは自分だけです。
じつは、周りの人たちは誰も転んだ人のことなんて見ていません。プライドお化けのおバカさんにもコレと同じことが言えそうです。
ひるがえって、プライドを減らそうと頑張っていらっしゃる方はおバカじゃありません。自分のバカさ加減に気付こうともしないからこそおバカさんなのです。
見栄を張ることが必ずしも悪いとは思いませんが、行き過ぎた虚勢は自分の身を滅ぼす刃になります。
自分の身を守るものだと思っていたプライドという心の鎧は、ただ重くて歩きにくくなるだけのものだったのかもしません。
これまでの経験を踏まえたうえで、私は余計なプライドと鼻紙はゴミ箱にポイしたほうがいいと思っています。
世のため人のために役立つプライドを数えるほうが難しいかもしれません。
傲慢さは燃えるゴミよろしくさっさと捨てたほうが良さそうです。
少なくとも、ヘタな驕りが人生のジャマになった話は山ほど聞きますが、逆にプライドを持ってて良かった話は聞いたことがないでしょう。
となれば、プライドとはどれだけ掃除しても部屋の隅っこに溜まるホコリのごとく、意識的に心の掃除をしなければ捨てられないものなのかもしれませんね。
私は以前に変なプライドを捨ててからというものの、人生がぐっと生きやすくなったのを痛感しています。
心の鎧はとうに外してしまいました。心のホコリはとうに掃除してしまいました。
ひょっとしたら、プライドの高さは誰もが通る道なのかもしれません。
子どもの頃、多くの人が自分が世界の中心にいるかのような全能感を抱いたのと同じように、プライドお化けのおバカさんたちは今でも、大人へと脱皮する最中にあるのでしょうか?
おバカさんが心の内側にある殻を破って、きれいな蝶々に成長することを願います。あ、いま私すっごい良いこと言ったよねっ?(自分で言う)
【第2章】テレビを観るほどバカになる
おバカさんは受動的なメディアが大好き?
バカはテレビが大好きです。
というよりも、おバカさんは受動的なメディアに触れることが好きなようです。
参考までに、2019年に発表されたデータをご紹介させてください。テレビの視聴時間とIQとの関連を調べた研究です。
こちらのレビューによると、妊娠中の母親1247人を対象に調査したところ、母親の学歴が低いほどお子さんのテレビの視聴時間が長くなるうえ、視聴時間の長さは児童の言語性IQの発達にネガティブなことが分かりました。
Television viewing and child cognition in a longitudinal birth cohort in Singapore: the role of maternal factors. 2019. Ramkumar Aishworiya, Shirong Cai, et al.
かんたんに言うと、学歴が高くないお母さんほど子どもにテレビを長い時間にわたって観せ、この長時間視聴による悪影響は言語能力の低下につながっていたのです。
言葉を選ばずに言うと、テレビを観るとバカになります。
これと似たような結果を示すデータは、過去いくつも発表されているようです。その一部を是非ご紹介させてください。
たとえば、2002年におこなわれた研究によると、テレビの長時間視聴が子どもの攻撃性を悪化させる可能性が指摘されています。
Johnson, J. G., Cohen, P., Smailes, E. M., Kasen, S., & Brook, J. S. (2002). Television viewing and aggressive behavior during adolescence and adulthood. Science, 295(5564),
ほかにも、2015年に発表されたレビューでは、テレビ視聴が子どもの脳に器質的な変化を加えることで、言葉を操るスキルである言語性IQの低下に影響すると報告されました。
The Impact of Television Viewing on Brain Structures: Cross-Sectional and Longitudinal Analyses. 2015. Hikaru Takeuchi, Yasuyuki Taki, et al.
とりわけ、たった今ご紹介した2015年のデータによれば、長時間のテレビ視聴は①前頭極や②腹内側前頭前野といった脳領域に器質的な変化を及ぼし、攻撃的な行動に「待った!」をかけるような抑制機能の低下をもたらす可能性が指摘されました。
かんたんに言うと、テレビを長時間視聴することで物事をガマンするのが下手なり、ついカッとなって他人に暴力を振るうようになってしまうのです。
現実問題として、テレビ視聴は子どもたちの脳にも悪影響を及ぼすのだから怖いですね。
ひるがえって、SNSの受動的な視聴にもコレと同じことが言えるかもしれません。
昨今、ネットのデマに踊らされる人が少なからず問題視されていますよね。炎上騒ぎの最中、心無い罵詈雑言がネット空間を飛び交うことも少なくありません。
言葉を選ばずに言うと、テレビには洗脳装置の側面があります。受動的なメディアはバカな大衆を洗脳するのに打ってつけです。
たしかに、各種のユニークなテレビ番組はスクリーンを通じて得られる無料の娯楽ですが、また同時に大衆にお金を落としてもらいたいと考えるスポンサーさんの意向が見え隠れしているもの。
言葉を選ばずに言うと、テレビは自分から情報を取りにいけない情報弱者からお金を巻き上げるには格好のツールでしょう。
単純接触効果——テレビCMに勧められるまま商品を買ってしまう科学的な理由とは?
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