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①夜伽の国のアリア
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わたしはアリア。
わたしは歌う。
たとえ友だちがいなくっても。ひとりぼっちになったとしても、わたしは自分の好きなように歌う。歌は人と人をつなげてくれるって信じてるから。
この声が枯れるまで、わたしは歌い続けるの。
いつの日か、みんなと一緒に笑い合えるように。
【第1章】独唱曲
お昼。
川のほとり。
水面に反射する陽の光。
風に吹かれてそよぐ草花。そよ風が枝葉を揺らして、かすかな音を立てている。
川辺に響く歌声。朝日が辺りを照らす中で、わたしはひとり歌を歌う。風そよぐ木々のささやきに紛れるように、とうに聞き慣れた自分の声が響いている。わたしの歌声が溶けるように響いている。
川の近くを歩きながら歌っていると、だんだんと滝の流れる音が強まってきた。わたしの歌声に合わせるかのように、しだいに大きくなるクリアなノイズ。
耳に心地よい自然音。
わたしの歌う声に誘われてか、小鳥が近くまで寄ってきていた。
こちらの歌声に合わせるように鳴く数匹の鳥たち。音の空白を埋めるかのように、小鳥のさえずりが辺りに響く。天然のアンサンブル。
ふと気づけば、もう滝の近くまで来ていた。
自分の声がかき消されないよう、程よく距離を取って歌を続ける。わたしの周りでは草花が風にそよいでいる。
今日はノドの調子がいいみたい。
じぶんで言うのもなんだけど、よく歌えてるような気がする。声の乗りがいいと気分もいい。
わたしのノドの奥にある楽器。声帯を震わせて声を出すと、言葉とともに音が流れ出た。こちらの歌う声に合わせて、鳥たちも鳴いてくれている。あは、みんなも一緒に歌ってくれるのー?
この滝の畔は、わたしの場所。
たった1人だけのコンサート会場。わたしの歌を聞いてくれるのは、この川辺に住まう小鳥や小動物。ときには今みたいに一緒に歌うことも。
もちろん、チケット代はかかりません。わたしが1人で気ままに歌ってるだけだから、コンサート費用を払ってもらうわけにもいかず。鳥さん達からお金もらうのって、ちょっぴり気が引けちゃうしさ。もし払ってもらえるんなら、いちおう貰っておくけどね?
わたしは手をそっと掲げた。
木の枝に止まる鳥たちに向かって手を伸ばすと、数匹のうち1匹がコチラのほうに近寄ってきた。
小鳥はパタパタと翼を羽ばたかせたのちに、わたしの人差し指にちょこんっと止まった。まるで、枝木に止まって羽を休めるかのように。
小鳥が鳴いている。
滝の流れる音に紛れるように鳴く小鳥たち。
わたしの指に止まった鳥だけじゃなく、向こうの木の枝に止まる鳥も鳴いている。いくつもの音が川のほとりに溶け出す。
この子だけじゃなくって、みんな歌いたかったのかな。お腹から声だして歌うのって気持ちいいもんね。なんていうか……こう、お腹らへんに溜まったものが外に出ていく感じ?
わたしは自分の人差し指に止まる小鳥に目を向けた。
この小鳥さんも「歌うの楽しい」と思ってるのかな。わたしにはチュンチュン鳴いてるようにしか聞こえないけど、きっと多分お友だちとは鳴き声を介して通じ合ってるんだよね。こみゅにけーしょん。
歌うのって楽しい。
歌うのって気持ちいい。すっごく気持ち良い。
いつか、みんなと一緒に歌ってみたいなぁ。こうして1人で歌うのもいいんだけど、街の合唱団とかに入って歌ってみたい。
みんなで一緒に歌えたら、多分もっと気持ちがいい。
いつか、そんな日が来るのかなぁ?
しばらく鳴き声をあげた後で、わたしの指から小鳥が離れた。
ぱたぱたと翼を羽ばたかせて飛び去っていく鳥たち。わたしの指に止まっていた小鳥は、指先に寂しさの余韻を残していった。
わたしは次第に声を小さくしていく。
鳥たちが群をなして離れていくのを見送りながら、わたしもまた徐々に声のトーンを落としていった。さながら、ライトの光量を絞るかのように。
歌うのをやめたあと、わたしは小さく呟いた。
「そろそろ、お買いもの行かなきゃっ」
あんまり帰りが遅くなると、ママが心配しちゃうもんね。
心配性のママのためにも、ここらで歌うのはおしまい。街までお買い物しに行きましょおー。
わたしは天然のコンサート会場を後にして、お買い物をすべく街に向かって歩き出した。てくてく、てくてく(※わたしの足音)。
ぴゅうっと吹く風が、わたしの頬を撫ぜた。
首筋を吹き抜ける風が気持ちいい。歌を終えたあとで熱を帯びた肌が、そよそよと吹く風で冷やされていく。独唱後のクールダウン。
川のほとりでは相変わらず、滝の流れる音が響いている。ばしゃばしゃと音を立てながら、上から下に向かって流れ落ちる水。天然のクリアノイズを聞きながら、わたしは街へと向かう足を進めた。
そういえば、前にパパが言ってた。
川の流れる音とか風そよぐ草木の音とか、自然の音ってリラックス効果があるんだって。
心を落ち着けるのに一番いいのは『水の音』らしい。なんでなのか理由は分かんないんだけど、水の音が一番リラックス効果あるんだって。おもしろいよね?
難しいことは分かんないけど、なんとなく分かる気がするなぁ。
川の音とか滝の音って、なんだか心地良いもんね。ぴちゃぴちゃ跳ねる水の音とか、ずっと聞いてられる気がするもん。不思議と心が安らぐような気がするよね。
なんでもパパが言うにはね、1日5分でもいいんだって。
今日から始めるグリーン・エクササイズ。お財布に優しいのも嬉しいポイントだよね。森林浴にお金はかかりませぇ〜ん。
たった数分だけ緑が多いところに行くだけでも、心がリラックスして元気が湧いてくるんだってさ。しかもメンタルに良いだけじゃなくって、色んな病気にもかかりにくくなるらしいよ。大自然さまさまだねっ。
もちろん長くいるだけ森林浴の効果は上がるんだけど、ど〜しても時間が取れないときは5分ぽっちでもOK。ぱしゃぱしゃ跳ねる水の音を聞くだけでも効果アリらしいから、わたしもパパに教えてもらった通り川の近くで歌うようにしてるの。すなおで大変いい娘でしょおー?(※自画自賛)
「〜♪」
川の音に重なる、ご機嫌なハミング。
わたしは歌の余韻に浸るかのように、鼻歌を歌いながら川のほとりを歩いた。
ふと気づけば、わたしの周りには小動物が集まっていた。こちらの歩調に合わせるかのように、何匹かのリスが隣り合って歩いている。
「あっ」
群をなして歩くリスの集団のなかに1匹、足を引きずるようにして歩く子を見つけた。わたしは思わず街へと向かう足を止めた。
足、ケガしちゃったのかな。
先頭のリスに頑張ってついていこうとする姿が健気。しぜんと「なんとかしてあげたい」って思っちゃう。そういうのってあるよね?
「ちょっと待っててね〜……」
その場にしゃがみ込んだあと、わたしはそっと手をかざした。
こちらの意図を汲んでくれたのか、リスたちも立ち止まってくれている。だいぶ察しのいいリスさんなのです。
ケガをしたようすのリスに手をかざすと、わたしの指にある指輪が淡く輝き出した。
リングの台座にある宝石が光ると同時に、みるみるうちにリスの足のケガが治っていく。念のため、治癒リング持ってきてて良かったぁ。『備えは万事の要』だねっ。
「はい、おしまいっ。もう大丈夫だよぉ」
かざしていた手を引っ込めた後、わたしはその場で立ち上がった。
ぴょんぴょんと飛び跳ねるリス。まるでケガが治ったのを喜ぶかのように、くり返し何度も小刻みに飛び跳ねている。あは、かわいっ。
仲間のケガが治ったのが嬉しいのか、ほかのリスたちが周りを囲んでいる。ほかの仲間たちも一緒になって飛び跳ねる姿を見ていると、わたしも自分のことかのように嬉しい気持ちになってくる。
「今日、たまたま治癒リング持って来てて良かったねぇ」
わたしは言葉の通じない友人に労いの言葉をかけた。ケガが治ったリスは相変わらず、さも嬉しそうに飛び跳ねている。
「もうケガしないようにね。ちゃんと気を付けなきゃだよぉ〜?」
言葉が通じないのは分かっていても、なにか声をかけられずにはいられない。わたしの中にある御節介ゴコロがひょっこりと顔を出した。
しばらくのあいだ飛び跳ねたあとで、リスたちは茂みの中に消えていった。列の最後尾にいたリスが一瞬だけ、名残惜しそうにコチラをチラッと見た。まるで、さよならを告げるかのように。
リスたちの元気な姿を見て、わたしの元気も湧いてきた。さ、お買いもの行こ。暗くならないうちに帰らなきゃだもんね。
今日の晩ごはん、なんだろなぁ〜。
じゃがいもと玉ねぎ買ってくるよう頼まれたから、ひょっとしたら今日のディナーはカレーかもだね。わたしの好物っ。
あ、でも卵も買ってくるよう言われたんだっけ。カレーに卵は入れないよね。となれば、残念ながらカレーの線はなさそう。とっても残念なのです。しょぼん。
ま、いっか。
ママの作ってくれる料理、みぃんな美味しいからOK。
晩ご飯カレーじゃなくっても全然おっけーです。おうち帰ったらママの手伝いしてあげなきゃ。だって、ひとりで毎日お料理するの大変だもんね?
わたしはリスたちの後ろ姿を見送ったあと、きびすを返して再び街に向かって歩き出した。
しばらく道なりに歩いていると、やがて街へと至る通り道に出た。ヘビのように曲がりくねった道を進み、わたしは目的地の商店を目指して歩いた。
街へと向かう道すがら、途中で「この先は母なる滝」と書いてある案内板が立っていた。さっきまで、わたしがいた滝を指し示す看板の矢印。こちらの行く先とは反対方向を指した大きな矢印を横目に、わたしは軽くスキップしながら舗装されていない道を歩いた。
街に近づいていくにつれて、だんだんと増していく喧騒。
しだいに人影も多くなっていく。先ほどまでの静寂とは打って変わって、通りを行く人の話し声が目立ってきた。
道ゆく人の表情は明るい。たんまりと荷物を乗せた馬車とすれ違うと、荷車を引いている馬が「ひひーん」と吠えた。もうすぐ街の入り口が見えてくるはず。ひひーんっ。
やがて街に着いた。
静かな川の畔とは違って、街はとても活気づいている。
わたしは入り口の大きな門をくぐったあと、頼まれた買い物を済ませようと商店に向かった。
やっぱり、ひと多いなぁ〜。
朝も結構ごみごみしてるけど、お昼すぎてもまだ賑わってる。
まるで、なにかイベントでもやってるのかと思っちゃうくらいの人ごみ。あんまり長い時間いると、人に酔っちゃいそうだね。
わたしは心のなかで街の喧騒を描写した。
人の合間を縫うように大通りを歩くと、じきに馴染みのお店の看板が見えてきた。わたしは吸い込まれるように店の入り口に向かって歩いた。
「えぇ〜っとぉ、まずはジャガイモ……」
買い物カゴを手に取りながら、わたしは独り言のように呟いた。
所狭しと並べられた商品の一群。家を出る前にママから頼まれた内容を思い出しつつ、わたしは人で賑わう店の中をねりねりと練り歩いた。
店内の野菜コーナーに入ると、眼前には色とりどりの野菜が。
わたしは一つひとつ手に取りながら、どのジャガイモがいいかを見比べた。ほくほくしそうなものを探すワテクシの図。
どれも同じように見えるけど、じっさい触ってみると違うよね。あんまり硬すぎるジャガイモは若い証拠だし、かといってフニャフニャしてるのもよくない。ちょうどいい硬さのを選ばなきゃダメ。
——って、前にママが教えてくれたの。
さっすが、現役主婦は目が肥えてるよね。いいものを見分ける審美眼が備わってます。尊敬しちゃいますぅ〜。
「あらぁ、アリアちゃん?」
わたしが野菜を前に格闘していると、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
母性的な声に誘われて後ろを振り返ると、わたしの視線の先にはシゼルおばさんがいた。腕には買い物カゴをぶら下げていた。
「あ、シゼルおばさん。こんにちはーっ」
わたしはペコーっと頭を下げて挨拶をした。
「はぁい、こんにちは」とシゼルおばさんが返した。「アリアちゃん、今日も元気ねぇ。お夕飯のお買い物?」
目の前にいるシゼルおばさんの視線は、わたしの買い物カゴのほうを向いていた。
「うん、そーなのっ」と、わたしは言った。「ヘタな食材買って帰ったらね、ママの怒りが大噴火しちゃうの。ちゃあんと良いモノ選ばなきゃなんだよー?」
「まぁ、たいへん。食材選びは大切だものね。おばさんが手伝ってあげよっか?」
「わ、ほんとぉ?」
おばさんから心強い提案をされ、わたしの頬は思わずほころんだ。心の内に安心感がジワッと広がっていくのを感じた。
「もちろんよ。まずは何から選びましょうか?」
ほほえむシゼルおばさんに合わせて、わたしは目いっぱいの笑顔を浮かべた。おばさんが手伝ってくれたら百人力だねっ。
「んっとねぇ、まず向こうの——」
わたしはシゼルおばさんと一緒に、ママから頼まれたものを物色した。
ひとで賑わう店内の喧騒に紛れて、2つぶんの明るい声が溶け出した。
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