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②夜伽の国のアリア
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【第2章】割れたのは本当に卵だけ?
街路。
街の雑踏。
時刻はお昼過ぎ。
頭の上にある太陽は、もう傾き始めている。
わたしは街の一角にあるお店の前で、シゼルおばさんと世間話の真っ最中。
お店の前を行き交う沢山の人たち。シゼルおばさんに食材選びを手伝ってもらったあと、わたしはお買い物バッグ片手にお店の前に立っていた。お店でのショッピングを終えて、雑談に興じる主婦とチビっ子の図。
あ、ちびっ子はわたしのことね?
「それじゃあ、お母さんによろしくねぇ」とシゼルおばさんが言った。「この頃は日が落ちるのが遅くなったけど、あんまり遅くならないうちに帰るのよー?」
「うんっ、わかった。お買いもの手伝ってくれてありがとっ」
「いーえー。どういたしましてぇ」
にっこりと微笑むシゼルおばさん。おばさんの目元にできた深いシワが、優しさを物語っているような気がした。
「おばさんも帰り気を付けてね」と、わたしは言った。「また今度おばさん家にクッキー焼いて持ってくからっ。楽しみにしててね?」
「えぇ、いつもありがとう。それじゃあね?」
「うんっ、またね!」
わたしはシゼルおばさんに向かってブンブンと手を振った。
こちらがバイバイと手を振って別れを告げると、おばさんも同じように手を振りかえしてくれた。
唐突に始まるバイバイ合戦。ゆっくりと手を振るシゼルおばさんとは打って変わって、わたしはおばさんに負けないように目いっぱい手を振った。5対4の僅差で、こちら側の勝利。わたしの勝ち越しです。わぁい、やったぁ。
勝利の美酒に酔いしれつつ、わたしはおばさんと別れた。
だんだんと小さくなっていくおばさんの背中。シゼルおばさんの後ろ姿を見送ったあと、わたしは自宅に戻るべくきびすを返した。
シゼルおばさん、いつも優しいなぁ。
おばさんが食材選び手伝ってくれて、わたしもうすっかり助かっちゃった。また今度なにか改めてお礼しなきゃだね。
あ、お菓子とかいいかも。
手作りのお菓子。また今度おばさんの家に行くとき、マフィン作って持っていこうかな。
甘いもの好きなおばさんのために、うんと甘いマフィン作ったげよっと。それはもう、口に入れた瞬間に歯ぁぜ〜んぶ虫歯になっちゃうくらいに甘くしてあげよーっと。ミツバチすらも遠慮しちゃうくらいに甘々な手作りのお菓子っ。
え、なんですって?
「そこまで甘くしたら逆に迷惑」ですって?
やだなぁ、冗談に決まってるじゃあん。わたし、食べた瞬間に歯ぁ溶けちゃうマフィンなんて作れないよぉ。もはやテロリズムだもんね。
そぉんな甘いもの作って持っていったら、さすがにシゼルおばさんが可哀想だもんね。「丹精こめて作ったから、ちゃあんと味わってねっ♡」なぁーんてゼッタイ言えないヤツだよぉ。わたしの無けなしの良心がグサグサ痛んじゃうこと間違いなし。ミツバチのお尻に付いてる針でグサッと刺されたときみたいに「痛い痛ぁ〜い」なんですからね〜っ?
まぁ、冗談は置いといて。
わたしは内心ひとりごとを呟きながら、人でごった返す街路をスタスタと歩いた。今日もワテクシの心の1人コントが冴え渡ります。
家に帰ろうと街路を歩いている途中、ふと道の端にあるお店が目に留まった。まるで吸い寄せられるかのように、わたしは商店のほうに目を向けた。
アクセサリー屋さん。
店先には似たようなデザインのアクセが並んでいる。
ぶらんとぶら下がった何個ものアクセサリー。お店の前に掲げられた銀のポールには、いくつかの装飾品がぶら下がっている。かなりカラフルな色合いを見るに、たぶん子ども向けのものだと思う。
わたしがお店のほうに目を向けていると、やがて女の子2人組が店の前にやってきた。
店先に並べられた装飾品を手に取りながら、女の子2人は買い物を楽しんでいるようす。アクセサリーを試着する女の子たちの声こそ聞こえないけれど、2人の表情からお買い物を楽しんでいることが充分うかがえる。
いいなぁ、楽しそう。
あの女の子2人組、お友だち同士かなぁ。
気の置けない友だちと一緒にショッピング。字面だけ見ても楽しそうな雰囲気ぷんぷんだね。ちょっぴり羨ましい。
「……」
わたしは店先の女の子たちを見つめたあと、暗い感情が出てこないうちに顔を逸らした。
再び、わたしは街路を歩き出した。お買い物バッグを手に持ちながら、人が行き交う道をスタスタと歩く。頭の中では先ほどの場面が繰り返し再生されている。
きっと楽しい。
友だちと一緒なら、きっと楽しいはず。
だって、笑ってたもん。さっきの女の子たち、すっごく楽しそうな顔してたから。2人とも楽しそうに笑ってたから。
わたしもしてみたいなぁ。お友だちとショッピングしながら、あーでもないこーでもない言い合って。気に入ったアクセ試着してみたり、友だちとお揃いのもの買ってみたり。買い物ついでに別のお店に寄り道なんてしてみたりして。そういうことしてみたい。
わたしは手に持った買いもの袋に目を向けた。
袋の中には先ほど買ったものが入っている。ジャガイモに玉ねぎ、ニンジンにピーマン。割れやすいタマゴは、別の小袋に入っている。
しぜんと、足取りは重くなっていた。
街から家までの距離が、いつもより遠く感じる。自分の家が遥か遠くにあるように感じた。
おのずと目線が下を向いてしまう。目線を自分の足下に向けながらトボトボと歩いていると、わたしの背中に「おっ、アリアじゃん」と声がかかった。
太い声に誘われて後ろを振りかえると、わたしの視線の先には男の子3人がいた。いずれも見知った顔だった。
ロンとジョン。
真ん中にはライが立っていた。
「アリアだっ。へんてこアリアだっ」
まるでオモチャを見つけたかのように、ライは開口一番わたしをからかってきた。
うわぁ、めんどくさぁ〜。
めんどくさいのに絡まれちゃった。アクセ屋さんの前で立ち止まってないで、さっさとおうち帰ってたらよかったかも。ちょっと後悔。
「……」
わたしは言葉を返さずに、くるっときびすを返した。遅くなっていた足取りを早めて、面倒事になる前にその場を離れた。
「おいっ、無視すんなよー」
なおも絡んでくるライ。ちょっぴりうっとーしい。
「おまえ、今日も1人かー?」
ジョンが口にした「1人」という言葉が耳についた。
なにも反応せずに無視しようと思っていたのに、わたしは足を止めて後ろを振り返ってしまった。
「うるっさいなぁ……」と、わたしは言った。「わたし、今お買い物の帰りなの。ジャマしないで。あっち行ってよっ」
わたしは男子たちに向かって一息に言葉をぶつけた。
「わはっ。アリアが怒ったー」とライが言った。「へんてこアリアのクセに生意気だぞっ」
「なに買ったんだよー。ちょっと見せてみろっ」
こちらに近寄って来たロンが、お買い物バッグに手を伸ばした。
「ちょっ、やめて!」
無理やり買い物バッグを覗き込もうとするレオを、わたしは反射的に空いた手のほうで突き飛ばした。
「なんだよ、ふつーの買い物じゃんか。つまんねーのぉ」
わたしに手で突き飛ばされたレオは、距離を取ったあと不服そうに言った。つまんなくって結構ですぅーっ。
「当たり前でしょ、晩ご飯の材料買っただけなんだから。料理できない人には関係ないですよーだっ」
わたしは不満げなロンに向かって舌をベーッと出した。お気に召さない買い物で悪かったですねーっ。
わたしがロンにイーっとしていると、ライは意地悪そうな笑みを浮かべた。まるで、あざ笑うかのような表情だった。
「おまえ、いっつも1人だよな」とライが言った。「うちの父さんが言ってたぞ。『あの子は周りと違うから』って。ヘンテコだから友だちもできねーんだろっ」
ライの後に続くように、ジョンもまた口を開いた。
「なぁ、知ってっか。おまえみたいなヤツのこと『変わり者』って言うんだぜ。変人アリアっ」
男子たちの口から立て続けに放たれる悪口。言葉の銃弾が遠慮なしに繰り出される。
スルーして離れようと思っていたのに、いつの間にか相手のペースに飲まれている。だんだんと、お腹の底からイライラが込み上げてきた。
「頭のリボンもヘンなのっ」とロンが言った。「そんなデカいリボン付けてる女、おまえ以外に見たことねーぞぉっ」
けらけらと笑うロンに釣られるように、ライとジョンもまたニヤニヤと笑った。3人ぶんのニヤけ顔に腹が立つ。
あぁ、もうっ。
ホンットうっとうしい。なんでイチイチわたしに突っかかってくるのっ?
顔を合わせるたびイヤなこと言ってくるんだから。ヤなこと言いたいだけなら壁に向かって喋っててよ。直接わたしに言わないと気が済まないのかな。ほんっと嫌いっ。だいっきらい!
「あんたたちに関係ないでしょっ。もういいから、あっち行ってっ!」
わたしはプイッとソッポを向いて、3人とは反対側のほうを歩き出した。
ばかばかっ。
おバカ3人組っ。ほんと男の子ってバカばっか!
わたしのことが気に入らないなら、そのまま放っておけばいいじゃん。わざわざイジワルなこと言いに来るとか意味わかんない。
あんまり意地悪なことばっか言ってると、神さまからお叱り受けちゃうんだからね。おバカ3人ともお空のうえにいる神さまから、あっつぅ〜いお灸を据えられちゃうんだからっ。いっそ3人まとめてガミガミ叱られちゃえっ。あんぽんたんっ!
わたしの態度が気に入らなかったのか、背後にいるライが「なんだとっ」と言った。
「このっ、へんてこアリアのクセに!」
がっしと買い物バッグを掴むライ。わたしは慌ててバッグを握る持ち手のチカラを強めた。
「やめてっ、はなしてっ!」
こちらの懇願めいた言葉も意に介さず、ライはぐいぐいとバッグを引っ張った。同年代とはいえ男の子のチカラは強く、わたしが両手で引っ張っても歯が立たない。
あ、袋が——
わたしが気づいたときには、卵が袋からこぼれ落ちていた。
地面の上にボトっと落ちた卵の殻は割れて、落ちた場所には粘性のある液体が広がった。割れた黄身がジワっと広がっていくのを見ながら、わたしの両手は重力に負けてダランと垂れ下がった。ライが手を離したおかげで、バッグは手元に戻ってきた。
「卵が……」
わたしは袋からずり落ちた卵を見ながら、ひとりごとのようにポツリとつぶやいた。透明な白身が陽の光を受けてきらめいている。
「お、おれのせいじゃないぞ……」とライが言った。「おまえが、お前が暴れるからいけねーんだからなっ」
「……」
わたしは言葉なく立ち尽くす。
しぜんと涙が込み上げてきた。情けなくて、やるせなくて。
まぶたに溜まった水滴のせいで視界が歪む。ささいなやり取りで卵を無駄にしてしまったことが、わたしの涙腺を使い古したネジのようにゆるませた。
つうっと涙が頬を伝う。
わたしの目から溢れた雫が、ほっぺたに一条の線を引いた。アゴにまで伝った涙は、やがて地面へと落ちた。
ママから頼まれたのに。ママに「卵は割れやすいから気を付けてね」って言われたのに。ちゃんと分かってたのに、ママとの約束守れなかった。ごめんなさい。
わたしは頬を濡らした涙を指でぬぐった。
こちらがゴシゴシと涙をぬぐっていると、ライたちはその場で後ずさりしたようだった。じゃりり、と靴の裏と砂利が擦れる音がひびいた。
「お、おいっ。もう行こーぜ……」
ジョンの焦ったような声。
責任を追及されるのがイヤなのか、この場から早く立ち去りたいようす。ロンが「お、おう……」とジョンの言葉に同調した。
「お、おれら悪くねーからっ。おれのせいじゃねーぞっ!」
ライたちがスラコラ逃げ出す頃には、割れたタマゴは地面に染み込んでいた。中心にある黄身が不器用にぐにゃんと広がっている。
わたしはその場にしゃがみ込んで、卵が飛び出した小袋を手に取った。ほんのちょっとだけ白身が滲んだようで、小袋のヒモが深い赤へと色を変えている。
「たまご、買いなおさなきゃ……」
わたしは地面に落ちた卵の殻をかき集めて、お買いもの袋に入っていた小袋の中に入れた。ごみはお家に持ち帰らなきゃだもんね。
ママに謝らなきゃ。
「ごめんなさい、家に帰る途中でタマゴ割っちゃった」って。
やっぱり、怒られちゃうかなぁ。食べもの粗末にしたらダメだもんね。わたしが割ったわけじゃないのに、なんで怒られなきゃいけないんだろ。
わたしだけ、今夜は晩ごはん抜き……ってことはないか。怒ると怖いけど、ママ優しいもんね。ごはん抜きなんて今まで一度もなかったし。ママ、ごめんなさい。ニワトリさんにもゴメンなさい。
こんがり焼くつもりだったのに、せっかくの卵ムダにしちゃった。ひよこのもとになる部分まで根こそぎフライパンで焼き尽くすつもりだったのに、鉄板のうえどころかアスファルトという名の似非フライパンのうえに落ちちゃったぁ。ねずみ色のアスファルトのうえに落っこちた卵たち、お日様に熱せられて目玉焼きになっちゃいそうだね。できちゃいません。
まぁ、それは置いといて。
「もっかい街に戻らなきゃ……」
わたしはスッと立ち上がって、もういちど来た道を歩き出した。もうすでに辺りは茜に染まり始めている。
夕焼けが行く先を照らす。
辺り一帯を橙色に染める夕陽は、わたしの心情とは裏腹に鮮やか。
夕暮れが世界を真っ赤に染める中、わたしは再び街に買い物に向かった。ほかの食材までダメになっちゃわなくて良かった。
今度ライたちに会ったら、たまご爆弾ぶつけてやろ。
泣いて謝っても許してやんないんだから。アナタたち、割れた卵の気持ち考えたことあってー?
たぶん卵も泣いてると思う。泣き声こそ上げてないけど、きっと心は泣いてるはずだよ。わたしたちに美味しく食べられるためにお店に並んでたはずなのに、あろうことか悪ガキ3人衆の手によって地面に落とされちゃうなんてね。悲劇に他ならないよ。まったくもうっ。
あぁ、なんて悲劇の連鎖。
きっと多分こういうのを『泣きっ面にビンタ』って言うんだろーね。
めんどくさい男子たちに絡まれたこともだけど、ヒヨコさんのもとを無駄にしたことが何よりの不幸。買い直すのもタダじゃないんだからねーっ?
ひよこさん、ごめんなさい。
さっきの悪ガキ3人組には、わたしから言っておきます。
ひよこさんたちが抱えた恨みを、代わりに晴らしておきますから。どうか安らかに眠ってくださいね。祟りはナシの方向でお願いします。食べ物の恨みは怖い怖ぁ〜いですのでね?
つい先ほどの悲劇を喜劇に変えようと、わたしは心のなかでユーモアを呟いた。
地平線の夕焼けが、やけに目に沁みた。
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