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恋におちると心臓が痛い

狙ったような言葉とか素振りじゃなくて、ほんとうに何の気負いもなく言った一言に急所を一突きされることが稀にある。それがいわゆる好みの典型から外れていればいるだけ、沼に落ちるように恋心を自覚する。

そもそも万国共通の急所なんてなくて、急所は当人でさえも知らないような、へんな所にあったりする。だから余計に不意打ちで、恋は唐突なんだと思う。

私も誰かの急所をえぐってみたいわ、と思うけれど、そういうことを、企んでいれば企んでいるだけ、下心みたいになって、誰の琴線もかき乱すことができない。その証拠に、「あー、いま狙ったな」みたいなのは、よほど顔が好みとか声が好みとか、別の観点がないと刺さらなかったりする。

よく聞く、魔法は他人にしか使えないって、おとぎ話だけじゃないのかもしれない。

生まれたからには誰かの記憶にトラウマ級に残ってみたいし、忘れられない人になってみたいし、そういう人に出会って身悶えしてみたいし、なんなら破滅してみたいと思う日もある。後悔ばかりの人生なんて嫌だと思う、同じくらいの熱量で、ひとつの後悔も感慨もない人生なんて、なんてさみしいものだろうと思う。

成長ってつまりは今がいちばんってことだと思う、だから振り返れば全部恥ずかしい黒歴史みたいなものだ。そんなのは嫌だし、そうじゃないと嫌だ。

そして私たちが愛してやまない、取り憑かれたように探す個性は、きっとなんでもない気の抜けたときのその人自身でしかないんじゃないかと思う。全然輝いていないけれど、別に他人と甲乙などないような、単純でシンプルな石ころみたいなヤツ。

恋に落としたければ、そして恋に落ちたければ、どうしょうもない自分と向き合うこと。それって愛憎渦巻く、魅力的な地獄そのものなのかもしれない。決してインターネットの海からは得られない、もっとずっと毒々しい鮮烈なもの。

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