100歳までいかなかった三つ子の魂
私はポッドキャスト番組Over the sunのヘビーリスナーである。バリバリの互助会員の私はいつものようにジェーン・スーさんと堀井美香さんの意味のあるようなないような話を楽しんでいた。
その日の話題の中にジェーン・スーさんが「私は小さいころ、踊れ歌えと言われたら、その場で歌って踊れる子だったけど、それがあまり普通でないことに徐々に気づいてやめた。」と言っていた。「堀井さんは100歳までいかなかった三つ子の魂はないの?」「小さい頃は難なくできていたけれど、今はできなくなってしまったことをお焚き上げしましょう」と続いたので、私もそのことについて今日は書こうと思う。
私は小さいころは、目立ちたがりではっきりとものを言うおしゃべりな面があった。まあ、今考えるとうざい感じの子供であったと思う。
大人になるにつれて、目立ちたがりではっきりとモノを言うおしゃべりな子供の部分はなくなっていった。女の子でそういう性格だと、まあいろいろと障害が多かったからだろうと思う。大学を出るまでは周りに恵まれた関係でその性質も残っていたが、社会人になってから、どんどんなくなっていった。
今年40になるが、すっかり受け身で主体性のない、できれば誰にも見つからないように体をすぼめている中年女に仕上がってしまった。自分でも、そんな風になってしまった自分のことが残念だなあ、と思う。
普通に意見を言うだけで、女は強いとか怖いとか言われまくってきて、そのほんとは気にしなくてもよかった揶揄をまともにまじめに受け止め、直す努力をいっぱい重ねてきたのだ。周りと協調し、前に出すぎず、サポートに回り、失敗をせず、意見を言わない。その無駄な努力の上に、この残念な仕上がりになってしまったことがとても悲しいし、悔しい。もう大人だから、誰のせいとか、あいつらが悪いとか、そんなことも言えないので、この呪詛は焚き上げておくしかない。ここに焚き上げさせてください。お目汚しすみません。
ただ唯一の救いは、おばさんという属性を得たことで、少々態度がでかくてもよいし、何なら積極性や主体性を求められるようになってきたということだ。まあ、若いころは出すぎるな、出しゃばるなと頭を押さえておいて、少々歳を食ったら違うものを求めてくる社会の空気に腹は立つが、もうこれからは好きにやらせてもらおうとも思っている。外野の声を気にしなくていい、それこそがおばさんの醍醐味。