少女とクマとの哲学的対話「春を待つ心に既に春は到来している」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

アイチ「うー……寒いよぉ……」
クマ「冬だからね」
アイチ「どうして冬って寒いんだろう」
クマ「それは、どうしてあの人はロミオなんだろうというのと、同種の問いだね」
アイチ「あの人はどうしてロミオだったの?」
クマ「どうしてもこうしてもなく、ただロミオだったんだよ」
アイチ「じゃあ、冬も、どうしてもこうしてもなく、ただ寒いってこと?」
クマ「まあ、そうなるね」
アイチ「絶望的な気分になってきたよ」
クマ「ジュリエットも絶望したのさ」
アイチ「なんとか気持ちだけでもあったかくすることできないかな」
クマ「できるよ」
アイチ「本当!?」
クマ「ホント、ホント」
アイチ「どうするの?」
クマ「今を冬じゃなくて、春だと思えばいい」
アイチ「キャベツをバラだと思えってこと?」
クマ「いや、それよりはずっと簡単なことさ。だって、事実、今は春なんだからね。キミが認識していないだけで」
アイチ「どういうこと?」
クマ「イメージしやすくするために、春の情景を具体的に思い浮かべてごらん。春と言えば?」
アイチ「梅かな」
クマ「おや、桜じゃないのかい?」
アイチ「桜も好きだけど、梅がほころび始めると春が来たなあって思えるからね」
クマ「なるほど。その梅の花が咲くのが3月の半ばだとしてね、でも、梅の花っていうのは、3月半ばにいきなり咲き始めるわけじゃないよね。その前に、つぼみの段階があるだろ? そうして、今すでに梅の枝にはつぼみができているね」
アイチ「そうだね」
クマ「だとするとね、梅の花は現に咲いてはいないけれど、つぼみという形で、すでに梅の花は存在しているということだね」
アイチ「うん、そうなるね」
クマ「だったら、梅の花が存在しているわけだから、梅の花が存在するのが春だとしたら、今だって春なんだって言うことができないかな」
アイチ「……つまり、今は『冬』じゃなくて、『二ヶ月前の春』っていうこと?」
クマ「その通りだ」
アイチ「でもさ、クマ、その考え方を押し進めていくと、年中春ってことにならない? 来月になったら『一ヶ月前の春』だし、梅が咲いてから三ヶ月経ったら『三ヶ月後の春』って具合にさ」
クマ「そうだよ。春を思えば、その人の心にいつだって春は到来するんだ。何も難しいことはない。事実、年中春なんだからね」
アイチ「なるほど……」
クマ「ちょっとは寒さがまぎれたかい?」
アイチ「全然」
クマ「それは、残念」
アイチ「でも、今の話から別のことを考えちゃった」
クマ「どんなこと?」
アイチ「生きることと死ぬことに関して」
クマ「聞かせて」
アイチ「もしわたしが平均寿命くらい生きるとして、そうすると、平均寿命が87歳で、今わたしは16歳だから、あと70年後くらいに死ぬってことになるけど、これって、死の方から考えると、今は死の70年前なんだって考えることができるよね」
クマ「そうだね」
アイチ「それだけじゃなくて、たとえば、事故か何かで30歳くらいで死んじゃったとしたら、今は死の14年前ってことになるし、もしも、明日死んだとしたら、今は死の1日前ってことになるよね」
クマ「うん」
アイチ「だとしたら、死っていうのは、今のここにすでに存在するんじゃないかって思ったの。冬の中に春が存在するように、今生きている中に死は存在しているんじゃないかって」
クマ「全くその通りだ。ボクらは、死を携えて生きている。生きていると言えば生きているし、死んでいると言えば死んでいるわけだ」
アイチ「それってさ、死ぬことに関してだけじゃないんじゃない?」
クマ「どういうこと?」
アイチ「これからわたしの人生に起こる全てのことが、その全てのことの何年か前、あるいは、何日か前っていう状態で、もう今のわたしの中に存在しているわけでしょう? 花が咲く前のつぼみのような状態で。そうだとしたら、今を生きるということが、全人生を生きるということにならないかな?」
クマ「それもまたその通りだね。これからキミの人生には色々なことが起こるだろう。喜びも悲しみも、いいことも悪いことも。でも、起こるべき全てのことが、すでに、その萌芽の状態で、今キミの中に存在しているわけだ。これは、大したことだと思うよ。でもね、間違えちゃいけないのは、だからと言って、『今を精一杯生きよう』なんてことにはならないということだ」
アイチ「『今を精一杯生きよう』っていうのは、明日が来ないかもしれないっていう考え方だからでしょう?」
クマ「そうなんだ。明日はね、ちゃんと来るんだよ。そんなものはいくらだって来ていいんだ。もしも来なかったとしても、明日は、その明日の一日前という状態で、ちゃんとここにあるということが大切なことだ。『今を精一杯生きよう』と考えるとね、今しか見えなくなってしまう。それは、とてももったいないことだね」
アイチ「でもさ、現に今しか生きられないのも確かなんじゃない?」
クマ「そうだ。現に今しか生きることはできない。でもね、現に今しか生きることはできないということをしっかりと認識すれば、それはそうでしかないわけだから、『だから、今を精一杯生きよう』なんていうことには、ならないんだよ」
アイチ「でも、なっても構わないでしょ?」
クマ「なっても構わないさ。でも、やっぱりそれはちょっともったいない気がするね。今だけを見て、次々とあらわれる『今』に対処しているばかりの生き方っていうのは、窮屈じゃないか。その人が生きているその瞬間に、その人の人生の全てがある。次の瞬間に何が起ころうともね、それは、起こるべきことだったんだ。こう言うと、それは決定論じゃないかなんて、拒絶反応を示す人もいるかもしれないけど、そういうことじゃないんだな」
アイチ「あらかじめ起こることが決まっていても、自分の意志で引き起こしたとしても、あることが起こるしかなかったっていうことでしょ?」
クマ「そうさ。何がどのようにして起こるのか、決定論か自由意志かなんて、そんなものはね、その日の気分で適当に決めればいいことさ、どっちでもいい。大事なことは、今アイチが言った通り、あることが起こったとしたら、それはそうでしかなかったっていうそのことだ。なぜそうなのかって言えば、それはそうなるべき状態で、今ここにあるからだよ」
アイチ「でもさ、クマ。たとえば、これから、悲しいことが起こったとして、その起こるべき悲しいことが、今わたしの中に存在していたとしても、現にそれが起こったとき、その分だけ悲しくなくなるわけじゃないよね」
クマ「その通りだ。その分だけ悲しくなくなるわけじゃ決してない。今が、二ヶ月前の春だとしても、その分だけ寒さがやわらぐわけじゃないのと同じようにね。寒いときは寒がるしかないように、悲しいときは悲しがるしかないのさ」
アイチ「それじゃあ、今は、精一杯寒がることにするよ」

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