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少女とクマとの哲学的対話「昼食前の戦争論」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

アイチ「もうすぐ終戦記念日だね」
クマ「この時季になると、メディアは決まって戦争の特集を組むけど、本当に、不真面目なことだと思うよ」
アイチ「不真面目って、テレビや新聞が?」
クマ「いや、それを見たり読んだりして、戦争のことを想う人たちのことだよ。だって、終戦記念日付近だけ、ひととき戦争のことを想ってだよ、『まあ、昔そういうこともあったんだね……ところで、お昼なに食べる?』なんて、現に今だって戦争をしている国があるっていうのに、不真面目の極みじゃないか」
アイチ「でもさ、いっつも戦争のことを考えて生きるなんてことはできないんじゃないの?」
クマ「うん、確かにそうだ。それは、いっつも天災のことを考えて生きていたり、いっつも死のことを考えて生きていたりすることができないのと同じことだ。でもね、『いっつも戦争のことを考えて生きることはできない』っていうことを知りつつ生きることと、それを知らないで生きることっていうのは、全然別のことだな」
アイチ「わたしね、戦争のことを想うと、胸が苦しくなるの。だってさ、本当は行きたくないのに戦地に行かされたり、それを見送らなければいけなかったり……そういう人のことを想うとさ……こういうのは、戦争を考えるって言わないのかもしれないけど」
クマ「いや、それこそが、戦争を考えるっていうそのことだよ。国の命令なり、自分の信念なりで、殺したり殺されたりしなければならなかった人、そうして、愛する人がそういう状況に置かれなければならなかった人、そういう人たちのことを想うっていうことの他に、戦争を考えることなんてできやしないよ」
アイチ「戦争は無くならないよねぇ……」
クマ「無くならないだろうね」
アイチ「じゃあさ、あの時、戦争に行った人、それを見送らなければいけなかった人……ううん、それだけじゃなくて、戦争のきっかけを作った人、全然違う場所でその戦争を見ていた人っていうのは、いつかのわたしかもしれないんだね」
クマ「そういう風に想いを広げてみることが、戦争に関する考えを深めるっていうことなんだ。戦争の原因とか結果とか、そんなことの分析をいくらしてみたって、戦争のことを知ることはできない。自分と戦争は別物じゃないんだよ。いや、もちろん、ある意味では別物なんだ。自分が戦争に行ったわけじゃないんだから。でもね、その戦争が今ここにでも起こり得ることなんだって想像してみるんだよ。そうしたらね、あの時はあの時で、今は今なんていう、他人事にはならないはずなんだ。それが戦争を考えるってことだよ」

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