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大人は子供を恐れている

こんばんは!katsuです!

今日はいつもと違う感じで行きます。
さっさと本題いきましょう。



子供には学校って変えられないですよね。

例えば、
「学校の宿題をなくす」
「運動会の行進をなくす」
「化粧をしても良い」

とかです。

おかしいなって思ったことないですか?
いや、そんなの当たり前だって思った人もいると思います。

それって当たり前なんですかね?

今日はそんな話です。


なんで生徒は学校を変えられないんだ?

なぜ生徒には学校を変えられる力がないのでしょうか?
疑問に思った生徒の話を押さえつける先生がいるのはなぜなのでしょう?

もちろん、全ての学校や先生がそうと言っている訳ではありません。

僕は、生徒が学校に宿題をなくせと言って、宿題がなくなった事例を聞いたことがありません。

もしあるなら、教えてください。詳しく調べたいです。

もし、宿題なくせって内容が学校の生徒総会であがったらどうなるでしょう?

間違いなく、こんな話無かったことにされます。
先生からそんなの当たり前だろって言われます。

何で宿題ってあるのでしょうか?

これは僕が小学生の時からの疑問です。

これを先生に聞いてまともな回答が返ってきた事はありませんでした。

大体、
「当たり前だろ」
「勉強しない人がいる」
「勉強できるようになるため」

こんなことを言っていました。

僕は
「当たり前って何?」
「宿題出されても勉強しない人いるよ?」
「宿題しなくてもテストでほぼ満点だよ?」

っていってました。

そしたら大体、話を打ち切られます。
「やらないといけないものはやらないといけないんだ。」
「社会に出たらこんなのばっかりだ。」
とかです。

小学校4年生の時に試しました。宿題しなかったんです。
その時の全教科の評定がクラスで一番良いって先生に言われました。
今まで一番とった事なかったんです。テストの点数が絶好調でした
初めてクラスで一番取りました。

その時思いました。

宿題いらねえじゃん

先生に宿題しないとダメって言われたけどやる訳ないです。やる意味感じないですもん。

これを聞いて屁理屈だって言う人もいると思うんです。
それは、ある程度認めます。


でも

重要なのはそこじゃない!!!


そこじゃないんです。
重要なのは生徒たちの疑問に対して、「議論ができる先生がいない」という事なんです。

宿題があるとかないとかそんなの関係ない。
選択権や議論する余地が生徒にはないというのが問題なんです。

先生が宿題は必要だと思っているか、必要ではないと思っているか、そしてそう思っている理由を生徒に説明していないのが問題なんです。

先生と生徒が話し合った上で考えるべき事なのではないのかなと思うんです。
それで、校則が変わってしまったなら、そうなるべきなんです。




そんなことしたら、学校がめちゃくちゃになるって言う方絶対出てくる!
そんな気がする!

そう思ったあなたは、

「生徒は馬鹿」だと、「子供の考える事はしょうもない事」だと決め付けてはいませんか?


子供に自分自身のことを決めさせるのは心配だ。
子供に自由にさせたら学校が不良だらけになる。

とか思ってたら、それは子供を馬鹿にしていると思った方が良いです。

子供は何が自分に必要かを自分で見分けることができます。
これは本能的なことです。

もちろん、子供が学びたいと思ったことを大人が手助けする必要はあります。

だから、子供を自由にさせて学校が不良だらけになったら、そこにいる学校の先生の頭が馬鹿です。
そもそも、そうなる前に屁理屈でも議論できるだけの頭と口がある先生がいない時点で終わってます。

現時点で生徒と議論できる先生は学校にはほぼいないでしょう。
おそらく、地方の公立学校のほとんどが終わってしまう。

だから、先生は生徒に学校を変えられるような力は与えない。

いや、与えられない。
なぜなら、




先生は子供を恐れているから

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