夏の連続投稿チャレンジはじめました7

こんばんは、かすみんです。

ネタは出し切ったと思っていたけど、二回目の麦茶みたいに絞ってみる。ライターさんって話題も豊富でお話も上手なイメージだけど取材とかのために幅広い知識とか身に付けているんだろうなーって思うと感心する。夏の連続投稿チャレンジ。お題は「#勉強記録」

思いっきり遡って小学生くらいの頃から思い出してみる。学校では勉強したことをノートに書きますよね。家に帰ってもノートに書いた分が勉強の証拠みたいな感じで、宿題みたいのもあって何度も練習するのが正しいみたいな。

でも書くのと読むのに速さ的な差があって、目で理解して次に行きたいのに、書いて残さなければならないから急いで鉛筆を走らせた。(ペン的な意味でね)

問題は字が汚かったこと。医者は字が汚いなんて言われますが、忙しかったりして急いでいると綺麗に書いてる余裕はなくなりますよね。物理的に指を動かす速度は頭の中で考えるよりずっと遅い訳です。パソコンのキャッシュとHDDへの書き込みみたいな。

汚いのは何度も指摘された覚えがある。でも勉強はつまらないって思っていたからさっさと終わらせたい気持ちもあって、読んで覚えて問題を解くみたいなショートカットをしてた。正直今でも悪いとは思っていない。

社会に出ても学校で勉強したことは使わない役に立たないなんて言う大人が周りにはいっぱいいて、勉強しろという矛盾を感じたりもした。ゲーム感覚で攻略することが唯一のモチベーションだった気がする。どうやって効率よくいい点を取るか、正直そういう面で勉強していたところはある。

だから特にどの教科が好きとかはなかった。理系はそこそこ、文系は場合によっては詰め込むだけの作業に耐えられなかった。テスト前に範囲に目を通して一瞬覚えてから、テスト後にすべて忘れる。それで義務教育を乗り切った。成績は上位の方にいたこともある。

相変わらず字は汚かった。話も文章も丁寧に終わらせる前に次の要素を詰め込む癖は抜けてない。何が何々で、何々と抜けている言葉や連続した単独では未完成な文がつながることはよくある。

文章の途中で自己解決して結論を書いてしまう。文章を組み立てる方法の本を読んで理屈は理解しているが、意識しないと映画の予告みたいな文章が続く。雰囲気は伝わることはあるかもしれないが、自分で読み返しても伝わらないか、勘違いをさせそうな文章をよく書いてしまう。

起承転結は意識している。でも基本的な文法すらあやしい。帰納法や演繹法、ロジカルシンキングはとても文章の整理には役に立った。言葉の意味は自信がないので、できるだけ調べている。読めない漢字も多い。

間違った使い方、間違った意味、間違った用法はしないように心掛けている。大人になって勉強をしておけば良かったと思う派である。ただ本当に教えていたのかとの疑問だけは残っている。

勉強させる動機や面白い事っていうのはいっぱいあるのにワクワクやドキドキを伝えられない学校教育は残念に思うことがある。勉強嫌いだと思っていた自分が、社会に出て勉強したいことがまだまだいっぱいあり、嫌いではなかったのだと気付いた。

どちらかと言えば基本という言葉が嫌いだった。型にはまって同じことを続けているだけで退屈だと感じていた。レベル1で経験値を稼いで何が面白いのって感覚だった。だから早く上級の魔法を教えろって感じで穴だらけの知識しか身につかなかった。

知らないってことは分からないってこと。悪口じゃないが流行りの言葉を使って、頭が良くなった気がしている意識の高い人たちを見て使い方を間違えていないかいと思うことがある。過去の自分の延長線上にはその可能性がある。

義務教育の敗北を感じることはある。本来の意味で知識を身に付けることはどれくらいの割合で出来ているのだろうか。社会システムの選別の為に学歴が利用され、単位の為だけに授業を受ける。学びたい意欲は軽視されているような気がする。

逆にしっかり基礎を勉強せずに新しいことを学ぼうとしても知識が足りない、言葉の意味が理解できないなどハードルが高かったり間違った理解につながる。知っていると思っているのは危険なのだ。

ある意味でツケを払うようなもので、知識や経験を前提に語られる場合ついていけないか何倍も努力が必要になる。しかも努力してスタート地点なので頑張った割に後ろの方とか結果は不条理なものになる。

そのことさえ理解できない人は、結果を認められない、頑張ったアピールをするなど理由を他に求めたり周りがおかしいと言い始める。まあそんなこともあるだろう。

字を綺麗に書くよう意識するようになってからは、書く機会が減りパソコンで作業が増えた。書くよりは速いがメモの方が便利なこともある。簡単な絵をつけ足したり、矢印などを使ってまとめたりは専用のアプリを使うしかない。

やはり目で見て理解する、脳内で音声を再生する、実際に声に出して読む、メモとして文章を書きだすにはかなりの差が生まれている。いわゆる斜め読みのようなことをしていたので、教育を受けながら徐々にスピード感のある方法を忘れていった気はする。

悪いということではない。老化もあるだろうし、記憶力も低下しているだろう。ピークはもう過ぎていると思う。でも何かに挑戦するなら足掻くしかない。

ネットではジャンルにもよるが独学で学ぶこともできるし、教えてくれる優しい人がたまにいる。本などは定番で評価が高いのは間違いないが、閉鎖された業界とかだとずっと同じことを伝言ゲームしていることもある。専門の学校に通うのも手だが、ビジネスでやっていることを考えてどこまでリターンがあるかは検討してほしい。

そこから自分で切り拓いていくみたいな地道な作業や練習が一番効果的だったりもするので、先駆者の意識を持って行動してみるのもいい結果が出ると思う。まあ思い通りの結果が出ることは少ないし、一度振り返って先人の知恵を借りるのも大切だと思う。積み上げた過去の遺産があって出来上がっていることも多いから、敬意は大切だと思えてくるよ。

正直誰かに言われてとか、やらないといけないから仕方なく見たいな消極的な理由だと何事も続かないと思う。少し前向きでも気分によっては乗り気にならないことなら無限にあるので、強い興味ややる気がある内に形からでも入った方がいい。

いつかやるって思っていることは何年経ってもやらないし、三日どころか三時間くらいで飽きる可能性もあるから、選択肢を早めに切る意味でも諦めるのは早い方がいい。

今すぐにやるっていうのは偉大な言葉だと思う。走りながら考えるっていう見切り発車も時には必要だ。特に何事も悩んで結局やらない人間は強制的にきっかけがあった方が助かる。

そして学ぶ機会は意外と少ない。義務教育を今更復習する気にはなれないし、意味もなく覚えていた単語は知っているだけで役に立たない。知識はオタクが語るような深いものの方が面白いし、そういう考え方で見ると興味を持つだろう。

楽しさワクワクを餌に学びたい意欲を刺激して、自ら求めるような欲求が学習の根底には必要なんじゃないだろうか。何歳になってもそういう気持ちを忘れずに続けられることも素晴らしいことだと思います。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

#勉強記録

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