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午後の曳航/三島由紀夫 を読んで
私がこっそりと心の中で、死に対する恋とか、身を灼きつくす恋とか、そういう観念ばかり大切にするようになったのは、明らかに海のおかげなんです。鉄の船にとじこめられたわれわれにとって、まわりの海は女に似すぎている。
その凪、その嵐、その気まぐれ、夕日を映した海の胸の美しさは勿論のこと。しかし船はそれに乗って進みながら、不断にそれに拒まれており、無量の水でありながら、渇きを癒すには役立たない。こういう女を思わせる自然の諸要素にとりかこまれながら、しかも女の実態からはいつも遠ざけられている。・・・・それが原因なんです。私にはわかっている。「P45より」
13歳という多感な時期に周囲の価値観や思想に感化されながら生きていく登。彼にとって理想の父親とは何か?いや、理想なんて現実が生み出した虚像でしかないのかもしれない。そんな葛藤と闘う中で彼にとって正しい結論が導かれる。
殺人は悪だ。これは人類が長い歴史の中で生み出した一つの秩序か?はたまた理想なのか?
「罪と罰」や、湊かなえの「告白」を彷彿とさせる三島文学の問題作。