柏井 卓
ちょっと連載形式で小説など。
毎日一心不乱に筆をとる。画材は何だっていい。 その時手に取れるもので描く。 毎日とにかく描く。気が乗るとか乗らないではない。毎日描かずにいれないのだ。空気を吸うように描く。 夢を求めて描いていないと言えば嘘になる。 描いた作品が地肉になっていると言えばその通りだ。 作品自体は手元に残る。物理的に。 ここに描かれたものは自分自身から生み出された何かなことは確かなようだ。 きっと明日もこの部屋のどこか、またはこの部屋以外に自分の作品が生まれる。 自分は絵を描くことで満足はし
私たちは今の生活の中で何を求めて生きているのであろうか? そんなことを思わせたのは、とある街にあったどでかいショッピングモールだった。 ただひたすらでかい。道路沿いに何メートルあろうか?ゆうに駅一つ分くらいあるのではなかろうかと思わせるそのモールは、夜の街にうっすらとそびえ立ち、ちょっとした威圧感があった。 バスから望むその全景はまるで要塞の如く私を見下ろしていた。 商売というのは、簡単にいうと需要と供給のバランスがうまく成り立つところに成立する。 供給側は地代や原価
午前中の仕事を終えて、昼休みに入った。 昼休みに入ると言っても、フリーランスなので特別に時間が決まっているわけではない。 でも私は毎日12時には休憩を取る。きっちり55分。 12時55分には午後の準備をする。 こういった生活を続けて4年が経つ。 お昼ごはんは毎日弁当を食べる。 毎朝、前日の夕ご飯の残りを弁当箱に詰める。 自分で作った弁当をデスクで食べる。 朝からコーヒーもポットに入れておく。 仕事中の飲み物はコーヒー飲みだ。 ほんのちょっとのチョコレートはデスクに常備して
クリリンとした前髪のあの子は、いつも大事そうにNikonの一眼レフを握りしめていた。 あの当時、デジタルカメラは普及してきてはいたものの、やはりまだまだフイルム全盛だったような気がする。 だからと言って今のように何でもかんでも撮影するわけにもいかない。シャッターあたりの単価はそんなに安くはない。 いつもファインダー越しの被写体を見ながらぶつぶつ言っていた。何回もシャッターに指を乗せては話すの繰り返し。顔からカメラを離してはこちらを見て首を傾げて苦笑いしていた。 ある夏
「少し遊ばない?」 彼女がそう言い出したのは去年の春頃だった。 最初は何を言っているのかがわからなかった。 三年前くらいからの知り合いで、仲は良いほうだった。 珍しく話も合うし笑いのセンスも似ていた。 それからというもの、会えば軽口を叩く程度の仲だった。 特に意識はしていなかった。 それ以外は何事もなく、彼女の素性も知らないまま時が過ぎた。 「ご飯でも行きましょうか?」 彼女は関東近郊の街で育ち、衣服の勉強をしながら飲食のバイトで暮らしているうちに、ふと田舎暮らしを
引っ越しを決めた。 遠い街に移り住むわけではない。 今の家からそう遠く離れるつもりはない。 だから新しい環境に対しての不安があるわけではない。 今までの想い出への寂しさは今のところない。 もしかしたら出てくるのかもしれないけど、今はまだない。 自分の夢があるかと言われたら明確に言えないが、今の状況が夢だったか?と問われると「今夢のような生活を送っています!」といえる人間なんて一人もいないだろうと思っている。そう思っている人はいい意味でポジティブ思考なだけだろう。全否定はしな
僕が就職しようと思ったのは、一度くらいサラリーマンを味わってみようかな?って言う興味だけだった。 だから、面白くなかったらやめようと思っていたし、案の定面白くなかったからやめることにした。 仕事をやめることは簡単だった。 上司から特に引き止められることもなく、淡々と書類をいついつまでに提出してねみたいな感じだった。 世の中人手不足と言う割には、やめさせ方も簡単なんだなと思った。 仕事をやめることが決まると、僕は今まで以上に仕事に行きたくなくなり、今まで以上にサボるようになっ
デモ
と言う当たり前のことができないから困っている。 毎日同じことを続けることがとても大変だってことは、半世紀近く生きてきてわかっている。いや、大変だってわかっているというか、やったことがないって言うべきなのか。毎日何かをするって言うと「食べる」くらいしかしたことがないかもしれない。(食べられるってことは色んな意味で幸せが詰まっているが。) 新しいことを始めると、それができるまでの間とても楽しい。新しいことを覚えることはとても魅力的だ。ただ、覚えてしまうととてもつまらないものに見
デモ音源
2000年代初頭に作った曲
Apple Loops
コロナコロナ。 英語の勉強をしたいので、ちょうどいい時間が取れるなと思っている。 今できることを、できるだけ前向きにやりながら、迷惑かけないで過ごすことが大事。