AかBか

デザインA案かB案か問題というのが古くからある。そしてそれはいまだに若い子にも聞かれたりするし、長らく解決をしていない問題なんだと感じると同時に、そんなことに頭を悩ましていた時期も確かに自分にもあったなと思うので少し書いてみたい。

デザインA案かB案か問題というのは簡単にいうと、提案やプレゼンなどの場面でもっていく提案は、1つに絞った最終のA案だけをもっていくべきなのか、提案として最低でも2案はもっていくべきなのか、いやいやAでもBでもないC案もいれた3案が妥当なのか、はたまた複数を提示することがいいのかという、どういう提案が最終的に正しいの問題と言い換えてもいい気がする。

ここでおこるのが

1つにすると、確かに絞り込んだ感じはでるけれど、お客さんが決めきれない可能性もあるし、逆に手を抜いていると思われるのも嫌だ。とか、2つだと二者択一で迫ってるようで傲慢な気がするとか、3案だと、どれも違う場合にリスクが大きいとか、複数だと決めきれていないと思われたらどうしようとか、様々なリスクをみんな提案の前に考えてしまうのだと思う。

全部やってみる

これに関する正解があるとしたら、身も蓋もないようだけれど「全部やってみる」が唯一の正解な気がする。もう少し突っ込んでいうと「なんでもいい」(笑)いろいろやったあげくに失敗も成功も重ねながら、自分のスタイルを作り出していくというのが一番いい気がするし、お客さんの空気感や性格なども大いに反映されるものだとすれば、星の数ほどいる人のすべての正解などあるはずがないという結論になる。

ただ、それでは本当に身も蓋もないので、個人的に一番いいなと思ってるのは3案というパターン。3案と書いたが奇数案といった方が正しいかもしれない。とはいえ1はかなりの大御所がやるようなスタイルに思うし(笑)決定率でいうならいかにも不利だ。2案というのも日本人の性質上デュアルスタンダードに陥りやすい。「どちらもいいね。」というやつで決めきれない場合、または白か黒かではなくグレーもありそうじゃない?とやぶ蛇になりかねない。

奇数にこだわるのには訳があって、単純には二分法の論理というのがクリエイティブにあまり向かないと思っていること。そして何よりクリエイティブにもうひとつ大事な要素は、決定する思考に「不規則な曲線を描かせる」ということ。

振り子の法則と3の法則

これは僕が社内でもよく話すのだけれど、「振り子の法則」というのがあって、振り幅を大きくする(ギャップ)という意味でも使われるのだけれど、ここではもうひとつの意味で、通常振り子は2つの玉が2本の糸からぶらさがっていて、ぶつかるとカチカチと等幅に直線的に規則正しい動きを繰り返す。

直線的なものは、理解はされやすいが誰もが思いつくものであったり、その動きが均一なので飽きがきやすかったり、その動きに慣れてしまって面白くなくなるということがおこりやすくなる。そこで、もうひとつ玉を増やし3つにしてみるとどうなるだろう。振り子は不規則な曲線を描き、あっちこっちに予期せぬ動きをすることになる。

昔ハイスタンダードというバンドの難波さんに「どうしてメンバー3人なんですか?」と聞いたことがあって、その時、難波さんは笑って「3人っていいんだよ、手裏剣とかブーメランみたいじゃん、遠心力がかかってどこまでも飛んでいける」と独特の言葉と解釈で伝えてくれた。そう、3はドライブがかかりやすい。

かのプレゼン名人のスティーブジョブスも「ジョブスが挙げる要点は、必ず3つあった」といわれている。この「3」という数字は偶然の産物ではなく、「Rule of Three(3の法則)」に基づくものだという。マジックナンバー3ともいう。人にとって印象に残りやすい数字ともいわれている。

クリエイティブに正解などない

と、ここまで読んでもらったんだけれど、でも僕の答えは「そんなこともあったよね」である。3つだして撃沈したこともあれば1つで通った案もあり、徹夜した複数案がけちょんけちょんだったこともある。だから結果正解はない(笑)基本や原理原則はあるが、そもそもクリエイティブに正解などハナからない。

情報化社会になると、たくさんの答えが検索によって、SNSによって目に飛び込んでくるから人は正解にたどり着きたくて、オアシスの水を探すらくだのように、どこか右往左往している気がする。一見狭いコミュニティに属するとエコーチェンバー現象で、さもそこにひとつの答えがあるかのように錯覚するし、間違えている見解ですら増幅するし、それすらもひとたび違う環境に身を置けば、吹けば飛ぶような話であることを麻痺させてしまう。

大切なことは、世の中に正解などないと知ることだ。そして様々な情報化の渦や日々大量のインプットにより自分の考えを混沌とした世界に投げ込んで、自分なりの答えを探していくことが大切だ。僕が日々大量に本を読むのもそれが理由で、インプットしたものを様々な場所や場面でアウトプットしてみて、実行にうつし経験を積み重ねる。そこで学んでいくことこそ真実だ。

簡単な答えはない。世の中はつねに混沌としている。世界は優しいが面倒くさい回り道しか良しとしない。それがブッダの説く「一切苦」の理由だと最近思う。

決定は自分の心のみ

このブログは日常のすべてを信じ(受け入れ、耳をかたむけ)、すべてを疑い、その中から自分を疑い、自分を信じて(経験により自分だけの確信になる)いくことができるように日々書いている。僕自身が疑わしいのだから、疑って読んでもらう方がちょうどいい。

決めるのは自分だ。その結果がダメであろうがよかろうが、その結果に対して悔いないところまでやりきっていったその先に、きっとその手前の悩みはかき消されていく。そんなもののように思っている。

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