仏教はビジュアル系の元祖かも
清影山如意輪寺(かえる寺)
夏には境内にたくさんの風鈴を吊るし「風鈴まつり」を行っている福岡県小郡市にある如意輪寺。
別名を「かえる寺」というのは、境内の至るところにかえるの像があるから。そばにはいろんなメッセージが書かれている。
「人生楽しく仲良く」
「人生いろんなことがあってよかったー!」
「今が幸せ」
ポジティブな言葉があちこちに書いてある。
初めはちょっと笑いながら読んでいるが、境内を歩くうちに自分のその時の境遇に合う言葉が見つかったりして「なかなかいいな」と思うようになる。
風鈴まつりの時期には青葉が美しかったが、昨日は楓の紅が鮮やかだった。
まだ紅葉の途中だが、いろんな色が重なっているのがきれいだ。
如意輪寺の本堂の中も色鮮やかで、外国人観光客が時々歓声のようなものを上げる。
仏様の光背、天蓋や瓔珞も仏具も金色に輝いているし、青や紫のLED照明がけばけばしくはならない程度に、雰囲気づくりに役立っていた。
ふと、以前思ったことを思い出した。
仏教はビジュアルだ。
薄暗い本堂に、仏像や金色の装飾が蝋燭の灯りでぼんやりと浮かび上がる、非日常の空間。
言葉で極楽浄土を説いてもわからないだろうけど、日常からかけ離れた荘厳な雰囲気の中で仏の姿を見れば「こんな美しい世界へ行ってみたい」と思うに違いない。
九州国立博物館で「仁和寺展」を拝観したときにそう思った。
学問として入ってきた仏教が一般庶民に受け入れられていったのは、「教え」とか「哲学」とかだけではなくて、ビジュアルショックだったんではなかろうか。
視覚的な刺激、映像表現って、頭で理解する前に入ってくるから影響力は甚だしい。
当時の僧侶の企画力とプロデュース力はすごい、と紅葉を見ながら思った秋の午後。
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