見出し画像

その日、初めて膝に手をついた

昔から変なこだわりが強く、誰もやっていなさそうなことをわざわざ選んでやってみたり、自分が納得できないことはやり切れない、そんなめんどくさい性格をしている。

先日行われた、大宮アルディージャとの試合。普段の私であれば迷いなく両手を腰にあて、直立のまま円陣に加わっている。しかし、その日の私は膝に手をつき、ごくごく自然にみんなと同じ姿勢をとった。

「こと試合前は自信があるように振る舞う」それがこだわり。側から見れば本当に些細なことでしかない。不思議なもので、自信がある時はあれだけ堂々と立っていられたものが、自信がなくなるにつれて段々と頭も下がっていく。それでも、「自分を捨てた瞬間、私は私でいられなくなる」恐怖感にも似たような、そんな感情に駆られギリギリのところで保って(?)いた。

こんな厄介な性格なものだから、日本に戻ってきてからは特に「わがまま」「自分勝手」というような評価を受けてきた。私としてはその都度向き合ってきたつもりではあるけど、本当の意味で向き合えるようになれたのはここ数ヶ月だったように思う。

遡ること、アメリカ留学時代。当時の私はチームに守ってもらう形で王様をやらせてもらっていた。ただ、その事実に気付くことはなく、異国の地で課題を克服できたからこそ得られたものだと勘違いしていた。

そこから1年間のブンデスでの経験を挟み、日本に帰国。周りに助けられながら感謝の気持ちや、思いやりの心の重要性を学び、口にしていた当時でさえも、根底では全然変われていなかったのだと思う。それがプレーとしてより顕著に現れたのがここ最近での2シーズン。

チームに入り切れていない違和感を残しつつも、数字に繋がっている間は流れてしまっていたが、チームの調子が上がるにつれて課題として浮き彫りとなった。リーグ優勝を決めた瞬間、素直によかったという気持ちでいれたことには安堵しつつも、チームメイトと一緒に心の底から感情を爆発させられなかったこと。古巣との対戦でなにも残せずにピッチを去ったこと。悔しい以外のなにものでもなかった。

気持ち新たに新監督を迎えて臨んだ今シーズン。今振り返ってみれば、ほとんどの期間で昨年の経験を活かせてなかったと思うし、それが原因で笑えない日もあった。

ターニングポイントとなったのはサイドバックをやり始めた頃。いつもと違う景色の中で、初めて主観を抜けてチームを見れたような感覚があった。その瞬間から私の中で止まったままだった時計が動き出したかのように、自分の中でいろいろと繋がっていった。

今だから漏らすと、今シーズンで引退の文字がチラつくこともあった。サッカーが好きというよりは、サッカーは自身を表現するための手段であり、それが叶わない状況は本当にしんどかった。

それがいろいろと繋がってきたことで、もちろん急に柔軟な対応ができるようになったわけではないが、ちゃんと納得した上で様々なことにトライしてみるようになった。

そして迎えた、皇后杯。初戦の早稲田戦での出場はなく、「間に合わなかった」と思った。しかし、そんな私の思いとは裏腹に、次節のアンジュヴィオレ戦では後半の頭から出場。そして、結果として今シーズンの最終試合となった大宮戦では久々のスタメン出場。

チームが勝っても自分のパフォーマンスに納得がいってなければ、そちらの方を引きずってしまう。そんな自分本位の私が「今日の自分のパフォーマンスがどうあっても、チームが勝つことさえできれば後悔はしない」そう思えたとき、円陣でもすっと自然に膝に手をついていた。

蓋を開けてみれば、一番ゴールに近い位置にいながらも点を取り切れず、チームも敗退。しかし、そんな結果とは裏腹に、周りからはとても温かいお言葉をいただいた。

「今日のスフィーダのサッカーには心を動かされた」

その中でも一番心に響いたのがこの言葉。サッカーを続けていてよかったと、心の底から思えた瞬間だった。

とはいえ、いいサッカーをしていてもゴール前での精度で負けたことが試合での結果にも繋がり、気持ちに結果を伴わせることができなかった自身の弱さも痛いほど感じた。

円陣だけでいえば次にはいつもの姿に戻っているように感じるが、喉元過ぎれば熱さを忘れるとしないよう、こうしてブログという形で残しておく。

「思考が変われば経験が変わり、経験が人生を変える」

そう信じて、悩みながらも成長を求め、まだサッカー選手であり続けたい。

note 背景







お金がすべてではありませんが、応援していただけると尻尾がルンルンします。 ぜひサポートのほどよろしくお願いします🐶