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ぼくの中の青い炎

怒涛の1週間が終わった。

日本大学でのゼミ参加から始まり、毎年開催させていただいている教育チャリティイベント、最後はON Track Nightsでのブース出展。

いざ終わって振り返ってみると、この1週間に詰め込まれたことは意味があったのだろう。

考えることを手放して感情論に走ることに抵抗は感じつつも、やはり想いに勝る才能はないと、そう信じさせてくれる時間だった。

想いには応えたくなる

出会いは今年のシーズンキックオフパーティーでのこと。

クラブ代表にお願いして、挨拶廻りをさせていただいたうちの一人が日本大学の遠藤教授。

クラブとの包括協定締結をきっかけに、今回の場が設けられた。

大学の授業で話すこと自体が久々な中で、どうすれば一人でも多くに受け取ってもらえるのか。

精一杯考えながら準備はしたものの、結果としての手応えはいまいち。

ぼくのように考えがあちらこちらへ飛びがちなタイプは、大衆へ届けようとするより特定の誰か一人へ向けるほうが良いのだろう。

概念としてペルソナは知ってはいたけど、今回の経験を通してより肉厚な学びとなった。

ただそんな中でも、なかなかな悪送球を見事にキャッチしてくれた生徒さんがいた。

女子サッカーをテーマとした卒論を考えているようで、質疑応答の時間でも、それぞれの興味に沿って、突っ込んだ質問を投げてくれた。

一人は女子サッカーへの熱量と、もう一人はボランティア経験から感じた男女での違いに違和感を感じ。

理由はそれぞれながら、向き合おうとしてくれる気持ちが嬉しく、なにができるかはわからないながらに、とりあえず連絡先の交換はしてきた。

熱を感じるものには純粋に応えたくなる。

元を辿ると、今回一連も自らアプローチしたからこそ調整していただけた。

夢や目標を実現させるために大事な振る舞いの一つとして、自らの想いを表現することは互いを繋ぐ連鎖の始まりとなる。

不言実行が美徳とされてきた文化ではあるものの、そうした空気が入れ替わるような時代の流れを感じるのはとても前向きなことのように感じている。

「好き」から生まれるエネルギー

Make Your Own Ball Day(以下、MYOBD)はアメリカの友人が行っている教育チャリティーイベント。

自分でつくったボールを使って遊ぶ体験を通じて、発展途上国のこどもたちの暮らしを学び、参加者から集められたボールや服を世界中に届けている。

アメリカ滞在中からイベントには参加させてもらっていた。

いつか日本でもやりといと思っていたところ、クラブスポンサーのご協力を得て、いまでは毎年開催させていただいている。

MYOBD代表のマークがユニフォームをネパールの山奥に届けてくれた

とにかく開催のためにモチベーション高く動けていた時と比べ、なかなかアップデートできない自分にマンネリ感を覚えた今年、とある動画と出会う。

イタリアの代理人がスカウトのためにブラジルへ訪れる旅に同行し、そこでの人々の暮らしの実態を、サッカーというフィルターを通して撮影されたドキュメンタリー動画。

そこで生きるこどもたちにとってのサッカーとは、人生を向上させる社会的なエレベーターのようものだという。

地獄から抜け出すため、家族に楽な生活をさせるため、また或いはサッカーを通じて生きる喜びを感じるため。

日本社会の中でも苦労に苦労を重ねてのし上がるストーリーは耳にするが、この映像の中のこどもたちが抱える背景はまた異質に感じる。

世界を見てきた人たちが言う、世界で戦うためのハングリー精神を日本で養うことは難しいという言葉の意味が腹に落ちてきた。

同時に、脳裏に浮かぶ友人の言葉。

「いかに好きなもの(のめり込めるもの)を早く見つけられるかが勝負」

この言葉に表れているように、日本では好きだという想いが原動力となることが多いように感じる。

これまでの自分の人生を振り返ってみても、それは納得がいくところ。

「好きだから、とにかくやりたい」

そういう想いに突き動かされるときはただ夢中となり、周りがすごいと言ってくれるようなことでも、いとも簡単にやってのけてしまうことがある。

好きだからこそ自分に矢印を向けて思考を凝らし、好きだからこそ失敗など存在しないかのように挑戦し続けられる。

仕事にせよ、趣味にせよ、物事に限らず人であっても、広く世の中を見渡すと選択肢で溢れているもので、自分にとっての好きを諦めず探すこと。

そして、自分の心が決めたものに出会えたらまず没頭してみる。

意志ほど堅いものではなくとも、夢の中にいるときは柔らかく物事を吸収し、表現できるので、そのやり方でしかできない道がまたひらける。

懐かしさを覚える夢空間

怒涛スケジュールのラストはON Track Nightsのブース出展。

為末さんが来られる情報をキャッチし、クラブにお願いして帯同させてもらった。(そのくせ半分くらい遊び歩いていてごめんなさい。確信犯です。)

好きに引っ張られて行ってみた感想は、とにかくめちゃくちゃすごかった。

心の底から行ってよかったと思った。

チーム練習があったので、到着したのは16時ごろ。

そのころはまだ盛り上がりをみせる地域のイベントくらいだったが、18時を過ぎ、だんだんと陽が落ちていくにつれて会場の顔も変わっていく。

ゲストによるパン食い競争が場をあたため、ひと段落する頃にはすっかりガチモードに入り、熱気が会場を包んでいく。

テーマカラーであるグリーンが暗闇に道をつくり、その中を選手たちが颯爽と駆け抜けていく姿がめちゃくちゃかっこいい。

そして選手たちを追いながら、トラックの中央スペースを走って横断していく観戦者たち。

その場の全員が、会場の音も色も、すべてを巻き込んで一体となった。

ぼくはこの景色を知っている。

ONのイベントほど豪華な演出や設備はなかったが、アメリカのホーム戦がいつもこんな感じだった。

決して多くはない人数でも、ベンチを踏み鳴らしたり、声を張り上げて歓声が飛ぶことで揺れる会場。

ボールを追いかけてピッチの周りを走りまわるこども達。

どうすれば日本でもやれるのだろう。

とにかくアメリカで学べることはとにかく学び、日本に戻ってからはとにかく人と繋がり、自分でも考え続けてきた。

そして、出会った。

元オリンピアンの横田さんの想いを起点として、ONや陸上連盟など、さまざまな人が集い、ここまでのものが出来上がったそう。

選手側としても、主催側としても、ただただ羨ましく、自分の中で静かに、青い炎が立ち登るのを感じた。

人間の可能性にチャレンジする祭典

アスリートは負けず嫌いだから、どんな設定でも勝ちにこだわった戦いになるのだが、それがプレッシャーとなってチャレンジできなくなるのであれば本末転倒である。

ただ体力の限りを尽くすだけではなく、駆け引きのインテリジェンスや、芸術的な技術、まるでテレパシーで繋がっているかのようなチームワークだったり、そういうのすべてで出し尽くすオールアウト。

一人で全部は無理でも、チームでなら、そういう作品をつくり上げることができると思う。

そして、それをゼロ距離で楽しめたり、少し離れたところで静かに応援するのだったり、一つの空間でそれぞれに合ったあり方を選べる。

これは前述のピッチでのチャレンジの話にも繋がるのだけど、それぞれで楽しみ方を選べる心理的安全性のようなものが一番大事なんじゃないかと。

ぼくは高所恐怖症だけどお祭り好き江戸っ子気質みたいなところもあって、派手なライトや音楽の演出も大好きだから、欲を言えばガンガンやりたいけど。

でもそれで一番大切にしたいことを少しでも妥協せざるを得ないことになるのであれば、それは二の次として考える。

資金も時間も有限である以上は、まずなにをやるかより、なにをやらないかを決めることが後々に響いてくる。

ぼく個人としてはもう建前としての言葉を考えることをやめ、素直に想いを、自分のやりたいことをぶつけていくことにしようと思う。

これまで活動を続けていくために、スポンサーのお願いをさまざまな場所でしてきた。

連れて行ってもらったスナックのママがその場で出してくれるようなこともあれば(この時は約1ヶ月間飲み歩きながら名刺を集めて朝帰り)企業ページの問い合わせからや、個人で関係性を築いてからなど。

そうやって上手くいくこともあれば、そもそも返事をもらえないということは慣れっこで、終電を逃すまで粘って惨敗し、飲み潰れた人たちに紛れて始発の電車を待ち続けたこともある。

成功体験と比べれば失敗の方が圧倒的に多く、それで言えばまだまだチャレンジ自体が足りていないのだけど、上手くいった時はどれも自分の想いや体験を素直にぶつけられていたときだった。

なによりも嫌なのが、説得することを念頭に置いて考えた言葉はどれも本当に薄っぺらくなること。

ブンデスクラブとの契約時も駆け引きができず、自ら首を締める状況に持っていってしまった経験があるが、ぼくは交渉が大の苦手である。

だから、心にない言葉を捻り出して伝えたところで簡単に見抜かれてしまうだろうし、なんかもう無駄に思えてきた。

綺麗な言葉が並んだところで実働が追いついていないものの多さを考えれば、やってしまうだけでも大義名分を果たすことになりそうな気さえする。

上手くいくかは知らん、でもやれたらめちゃくちゃおもしろくて楽しいだろうとは思う。

世の中これだけの才能で溢れていながら、一つの価値観に縛るなんてつまらない。

互いを尊重するための最低限の約束だけは明確にして、ぶつかり合いながら共存の道を整え、祭り当日は思い思いに個性を表現してくれればいい。

そういう人間の可能性わくわくしっぱなしになるような日々を、ぼくは生きたい。

明確なイメージができれば、あとは自らがそれに没頭し道をつくりながら、おもしろそうって思ってくれる仲間を探せばいい。

なんだ、これまでとなんも変わらんかった。

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Serina Kashimoto
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